Episode02-28 教会にて
2024年8月某日 都内某所
隅田川に掛かる佃大橋からほど近いこの場所には、古くからの教会が建っている。明治維新の時代まで遡るほど歴史は古いが、取り立てて華美な装飾や威容の有る建築物を誇っている訳ではない。ただひっそりと、しかし揺ぎ無く、信仰の拠り所として、在るべくしてそこに在る。そんな教会だ。
8月もやがて終わろうとする真夏日の昼下がり。整然と掃き清められた聖堂には、外の猛暑を伝えるように蝉時雨が遠くから響いている。
ただ一人、前から三列目のベンチに腰掛けて壁に掛かった十字架を見詰める女性を除き、他に人影はない。
艶やかな長い黒髪から覗く女性の容姿は、陶磁器のように白い肌をして彫が深い。どことなく「東洋人らしさ」を
恐らく長身なのだろう、スッと背筋を伸ばして、一心に壁の十字架を見詰めている。祈っているのだろうか? しかし、女性の口から祈りの言葉が洩れることはなかった。
――ギィ……
重たい音を立てて、背後で扉が開いた。熱気と共に蝉の鳴き声が聖堂の中に流れ込んで来る。しかし、女性は
扉を開けたのは男だった。濃い黒のサングラスを掛け、詰襟の白いシャツにスラックスという格好をした金髪で長身の若い男だ。
男は室内に入ったことでサングラスを取ると胸のポケットにしまう。それで明らかになった男の目は深い青色をしていた。しかし右目は固く閉じられたままなので、片目に障害を持っているのかもしれない。
その男は後ろ手に扉を閉めると、聖堂の中を見渡す。そして、直ぐにベンチとベンチの間の通路を歩き出すと、3列目 ――女性が座っている列―― で立ち止まる。そして、女性の方を向くと、やおら床に
女性は、そんな男の所作を横目で見ると、「ふぅ」と小さく鼻から息を漏らす。小さな表情の動きだが、まるで「呆れた」風に見える表情が一瞬だけ垣間見えた。
それで、しばらく2人は動きを止めるが、次に動いたのは女性の方だった。
まるで根負けしたかのように、しぶしぶと右手を男が差し出した両掌に乗せるように置く。
すると、男は差し出された女性の細い右手に
「……トマス、それ、もう止めませんか?」
そんな男の仕草を見届けた女性が、この時初めて口を開いた。声音は中性的な響きを持って聖堂に良く響く。一方、トマスと呼ばれた男の方は、
「畏れ多くも御使いガブリエル様……この口付けこそ、我ら
恐らく、女性とトマスと呼ばれた男の間には、似たようなやり取りが過去に何度も交わされたのだろう。だから、女性はまるで「処置無し」といった風に
「
呟く。そして、居住まいを改めるようにベンチに座り直すと、
「トマス分団長、報告を」
凛とした声でそう命じた。
「広島に現れた魔王アスタロトの分霊は我らの分団員が討ち取りました。我らの側の犠牲者は3名。スティーブ、ジャクソン、アベラルトです」
対してトマスは、こちらも形を改めると、片膝の姿勢に移り言う。その報告で女性は瞑目して短く何かを唱えた。
「次に鳥取で確認されたアスラ神族の眷属ですが、こちらは日本の式者が討伐したようです」
「それは、アプリのユーザーですか?」
「いえ、かなり高齢の男性で、土着の式者だったようです。その者は、その戦いで命を落としましたが、アスラ神族の眷属は滅せられました」
「そうですか……封印ではなく滅殺を……」
「恐らく、封印してもそれを継承する者が居なかったのでしょう。それ故、将来に禍根を残さぬよう、滅殺したものと思われます」
トマスはそう言うと、胸で素早く十字を切った。そして、
「次に東京の新座市で――」
「トマス、新座市は東京ではなく埼玉です。地名には気をつけなさい」
「ははぁ、申し訳ありません……で、その埼玉の新座市で発見したアスモデウスの分霊の行方ですが――」
トマスは一旦言葉を区切ると、
「日本の警察からの連絡では、さいたま市内に於いて式者とアプリユーザーの手によって討ち取られた、との事です」
と言う。少し悔しそうなのは、トマス自ら発見したものの、討ち取れずに取り逃がしていたからだ。それを日本の「式者」とアプリユーザーが協力して討伐した。その報告内容にトマスは少し不本意なモノを感じたのだろう。
「犠牲者は?」
「巻き込まれた民間人が2名、他はアスモデウスの分霊に身体を乗っ取られた少年が多数とのことですが……詳しいことは警察庁の
「そうですか」
トマスの報告はそれで終わりだった。
一方、報告を聴き終わった女性は、少し憂いを感じさせる表情で正面の十字架に視線をやると、
「やはり……相当入り込んできていますね」
と、つぶやいた。
ふと、遠くで雷鳴が起こった。夕立でも来るのかもしれない。
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Episode2 桧葉埼彩音という少女(完
お読み頂き有難う御座いました。
次回より
Episode03 ようこそ、「神界」へ!
を開始します。
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作者:金時草
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