第8話 猫の残りは一匹ですか?
相変わらず旦那様はお帰りになりませんが、とても楽しく過ごしております。
礼儀として週に一度は旦那様にお手紙を書きますが、その枚数は目に見えて減りました。
だって書くことがないのです。
領地でお暮しの義両親にも当たり障りのない手紙を出します。
こちらはすぐにお返事を下さいます。
しかし息子であるルイス様のことは一言も触れておられません。
私も触れませんし? 暗黙の了解ってヤツですね。
それにしても、なぜ平穏な時間というのは続かないのでしょうか。
ある日突然、父が入院している病院から連絡が来たのです。
アレンさんが同行してくださり、ノベックさんが馬車を走らせて下さいます。
急いで父の病室に行くと、既に弟のジュリアンと叔母の二コルが泣いていました。
「えっ! もう死んじゃったの?」
2人が私の顔を見ました。
ジュリアンが静かな声で私に言いました。
「まだ生きてるから」
私は主治医の顔を見ました。
「もって1か月というところでしょう。もしかするともっと早いかもしれません」
覚悟はしていたとはいえ、私はその場で崩れ落ちそうになりました。
慌ててアレンさんが支えてくれます。
「奥様、お気を確かに」
「え、ええ、ありがとうアレンさん」
ジュリアンが私の腕をとって椅子に座らせてくれました。
「姉さん、いままで良く頑張ってくれたんだ。もう楽に逝かせてあげよう」
「そうね……お父様……うっうぅぅぅぅぅ」
私は泣いてしまいました。
最近よく泣きますね。
「姉さん、僕は新人だしあまり休めないけど、時間がある限りここに来るから。姉さんもなるべく来るようにしてやって」
「もちろんよ。毎日来るわ」
そう言ってアレンさんの顔を見ると、真剣な顔で頷いてくださいました。
夜間は病室にいてはいけないらしく、朝来て夕方には帰るという毎日が始まりました。
私は旦那様に手紙を書きました。
封筒の隅に『緊急』という文字を書き添えて。
『ルイス様
お元気でしょうか。ご両親様も屋敷の者もお陰様で恙なく暮らしておりますのでご安心くださいませ。
今回お手紙を差し上げましたのは、私の実家についてのお願いでございます。
何度かお手紙でお知らせいたしましたように、父の容態が芳しくありません。
今回は主治医にもって1か月と宣告されました。
こればかりは仕方がないと、弟と共に静かに見送る覚悟を決めましたが、父は娘の結婚相手であるあなた様の顔を知りません。
父は男手ひとつで私たちを慈しみ育ててくれました。
最後の親孝行を私にさせていただけませんでしょうか。
ほんの数分で結構です。父にお顔をみせていただけませんか?
それだけで父は安心して旅立てると思うのです。
お忙しいのは重々承知致しておりますが、伏してお願い申し上げます。
ルシア』
数日待っても返事が無いので、また同じような手紙を出しました。
それでも返事はありません。
また数日待って同じような手紙を書いて、今度はアレンさんに手渡しをお願いしました。
旦那様のことをとても怒っているアレンさんは仰いました。
「これで返事がないとなると、坊ちゃんは鬼畜です。殺す価値さえありません」
吐き捨てるようにそう言うと、馬車でなく騎馬で王宮に向かってくれました。
怒ったイケオジ……最高です。
でも会えなかったそうで、自分の不甲斐なさを嘆いておられました。
それから数日、やっぱり返事がないなぁ〜と思いながら、吞気に朝食をいただいていたら、父の入院先から緊急呼び出しがかかりました。
弟は既に向っているとのことで、私はいつものメイド服のまま馬車に飛び乗りました。
緊急事態ということで、アレンさんが御者をかってでてくれました。
手を引かれ慌ただしく病室に入ると、目にいっぱい涙を浮かべているジュリアンの顔。
「えっ! もう死んじゃったの?」
弟が私の顔を見てとても静かな声で言いました。
「まだ生きてるから」
このような事態に直面しているのに不謹慎ですが、ものすごい既視感。
おろおろする私にアレンさんが椅子を用意してくださいます。
私が座ると同時に主治医が口を開きました。
「今夜がヤマです。覚悟をしておいてください」
私は父のベッドに突っ伏して泣いてしまいました。
本当に最近涙もろくて、もうびっくりです。
ジュリアンがそっと私の背中を撫でてくれました。
あんなに幼かった弟がジェントルマンになっていてまたまたびっくりです。
「ジュリアン……」
「姉さん。義兄さんは来れないの?」
「うん。連絡はしているんだけど返事が無いの」
「そうか……俺ね、職場で義兄さんのことちょっと聞いてみたんだ」
そうでした、弟は王宮で文官をしているのでした。
「ルイス様のこと?」
「うん。義兄さんは個室を与えられて秘書までついてるほど出世しているんだけど、功績は何かって言ったら不明なんだ。不思議だろ? それで俺の上司に聞いたらこっそり教えてくれたんだけど……」
「なんて仰ったの?」
「義兄さんの仕事は女王様のご機嫌取りだってさ。女王様って即位する前からずっと義兄さんにご執心なんだって。普通だったら通らないような案件も義兄さんが持っていくと通るんだって言ってた。だから各部署からものすごく重宝されている」
「学生時代からそうだったわ。当時はまだ王女様だったけど」
「しかも義兄さんはべらぼうにモテる。王宮中の女性を虜にしているらしいんだ。だからお目当ての女性をデートに誘うとき、義兄さんを連れていくって言えば100%来るらしい。その方面でも必要不可欠な人員だそうだよ」
「それって……天職ね」
「ある意味そうだね」
私とジュリアンは黙ってしまいました。
私の後ろでアレンさんが拳を握っておられます。
要するにルイス様は、死ぬ間際の父の見舞いをする時間は無くても、他人の恋路を取り持つ時間はあるということです。
自分の妻の顔を知らなくても、女王様のご機嫌をとっている方が、お金になるということでしょう。
合理的といえば合理的ですが、なんと言うか、怒りを通り越して情けなくなります。
私は辛うじてまだ呼吸を続けている父の枕元で、思わず呟いてしまいました。
「このクズが!」
ぴくっと父が反応したような気もしますが、気のせいということにしましょう。
それから数分後、最後にニコッと笑顔を見せてくれた父が……逝きました。
とても穏やかな最期でした。
安らかな顔の父を見ながら、私は気づきました。
いつの間にか猫が一匹しか残っていないようです。
やはり先ほどのクズ発言が原因でしょうか。
叔母が病室に駆け込んできました。
タッチの差で間に合わなかった叔母は、父の頬を両手で掴み泣き叫んで揺らします。
死んだ人間の首の骨を折った場合は、傷害罪になるのでしょうか?
私はぼんやりとそんなことを考えていました。
葬儀は身内だけでひっそりと執り行いました。
もちろん旦那様には葬儀の日程と場所をお知らせしましたが、来るわけはないとわかっているので、返事が無くてもなんとも思いませんでした。
でも、来たのです。
代理の方ではありましたが、白い百合の花束を携えて。
手紙へのリアクションは結婚式の準備の時以来ですから……約1年ぶりでしょうか。
結婚式と葬式。
式と付くものにはリアクションがあるようです。
「このたびは……ご愁傷様です」
「ご丁寧に恐れ入ります」
「エルランド様はただいま海外出張中でして」
「そうですか」
「この花を私に託されました」
「結構です」
「えっ?」
「どうぞお持ち帰りください。顔も知らない人からの花など、父が喜ぶとも思えません」
私は拳を握りしめて怒りを抑えていました。
歯を食いしばりすぎて血の味がします。
弟が慌てて間に入りました。
「えっと……申し訳ございません。姉は少々取り乱しておりまして。ランドル様ですよね? 義兄さんの秘書をしておられる」
「はい、ランドル・ベントンと申します。本当になんと言ってよいか……全ては私の責任です。どうかルイス様をお責めになるのは……」
その時、アレンさんがランドル様が差し出した百合の花束を奪うように取り上げました。
そしてリリさんに投げ渡すと、リリさんはマリーさんにレシーブでパスしました。
マリーさんは触りたくもないとばかりにそれを両手でトスします。
ポンと上がった花束をランディさんがジャンプしてアタック!
見事な連係プレーです。
もちろんランドルさんは反応できず受け取り損ねました。
地面に落とされ、無残に散った百合の花をノベックさんが拾い上げます。
「受け取ったから早く帰ってくれ」
ノベックさんはそういうと、傷んだ花を撫でました。
「お前に罪は無いのにな。でもこうしてしまう俺たちの気持ちをわかってくれな」
ランドル様は居た堪れないとばかりに、小走りで去って行かれました。
「姉さん、もう別れて帰ってきなよ」
「ダメよ。父さんが悲しむわ」
「父さんは……死んだよ」
ジュリアンは目を真っ赤にして私に抱きついてきました。
大人になったとはいえ、まだまだ可愛いところのある弟です。
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