第6話 マナテア

 若い、というより少女の声だった。フードを被っていた人物だ。ダリオが、弾かれたように首を前に戻すと、その人物が目深に被っていたフードを後に脱いだ。漆黒の髪が露わになる。彼女は、首の後に腕を差し入れると、跳ね上げるようにして髪をローブの上に出した。背中の中央あたりで切りそろえられた濡羽の黒髪が、草原を渡る冷風になびいている。

「お嬢様!」

 ゴラルが、咎めるような声を上げていた。

「良いではないですか。もう周りに人はいません。悪声を聞かされることもないでしょう」

「ですが……」

「この者もチルベス、それも宗派は違えど教会に行くというのです。遠からず耳にするでしょう。隠しても意味がありません」

 そう言うと、彼女が振り向いた。

「私はマナテア・オジュール。よろしくお願いしますね」

 ダリオは、思わず息を飲み、直ぐに言葉を返すことができなかった。真っ直ぐな鼻梁、切れ長の目に長く伸びたまつげ。そして、深い水底を宿したかのような碧い目。ただ、美しいとしか表現のしようがない顔だった。その白い顔が、墨染めのローブの上に浮かび、黒い髪で包まれている。闇夜に浮かぶ月のようだった。手は、体の前に下げられ、軽くそえるように交差されている。

 彼女の顔を見た瞬間、ダリオは、何故かウルリスを思い出していた。

 彼女の顔や姿は、どれもウルリスとは似ていない。ウルリスは、快活で明るかった。しかし何故か、どこかが似ているような気がした。

 ダリオがあまりに呆然としていたのか、彼女、マナテアが左の頬に手を当て、小首をかしげた。我に帰ったダリオは、慌てて挨拶を返す。

「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします!」

 そして、思考を巡らせる。姓を持っているということは、やはりいい家の出なのだろう。ダリオが薬売りのダリオと名乗るように、大抵の者は家名など持っていない。オジュール家というのがどんな家なのかは分からなかったが、ダリオとは身分の違う人なのだ。

 名前については理解できた。理解できなかったのは彼女の年齢だ。背はダリオよりも少し高い。年上なのだろうと思えたが、成人しているかは微妙な年に見えた。未成年が魔法で患者を治療に向かうというのはおかしい。それも、教皇庁の要請で動くという。これは、誰もが抱く疑問のはずだ。尋ねたところで怪しまれることははずだった。

「あの、アカデミーというのは何でしょう? 聖転生レアンカルナシオン教会に行って白死病患者の治療をする……」

「その方!」

 ダリオが尋ね終わる前に、歩みを止めていたゴラルが凄んできた。

「ゴラル、止めなさい。チルベスまで私に押し黙ったまま歩けと言うつもりですか?」

「お嬢様。お言葉はもっともですが、分というものがございます」

 そう言って、ダリオを見据えてくる。

「お嬢様がお話するとおっしゃっているのだから話すのは構わない。だが、言葉には気をつけよ。お嬢様はオルトロ領主、テマーク・オジュール様のご息女だ。本来、薬売りが口をきける相手ではない」

「分かりました。気をつけます」

 オルトロ領というのがどこだったか思い出せない。それでも、聞いた記憶はあった。

「いいのよ。気にしないで下さい」

 そう言うと、彼女は前を向いて歩き出した。

「アカデミーというのは、聖都ストーナにある学校です。主に教えているのは魔術だけど、その他の学問や剣術も教えています。詳しく知りたかったら、私よりアナバス教授に聞くといいでしょう。ただし、彼に何かを尋ねるときには覚悟が必要です。話が長くなりますから」

 彼女の年齢のことを聞きたいと思っていたが、アカデミーの話になってしまった。

「教授?」

 ダリオは、振り返ってアナバスを見る。彼はにやっと笑って「先生のことじゃよ」と言っていた。

「私は、アナバス教授の下で魔術を学んでいる学生。それなりに神聖魔法が使えるから、教授とともに、治療に向かうよう要請を受けたのです」

「教皇庁から聖職者の方が派遣されることは知っていました。聖職者だけかと思っていたのですが、そうでない方もいるのですね」

「アカデミーを運営しているのも教皇庁ですから、同じようなものかもしれませんね。ただ、アカデミーからの参加者は要請に応じた者だけです。聖職者は教皇庁に命じられて赴きます」

「自分から参加を申し出たのですか? 感染して死ぬ危険性もあるのに?」

 白死病が発生した街に送り込まれてくる聖職者の中には、自ら感染して命を落とす者もいると聞く。それだけに、聖職者や教皇庁、そして誰よりも教皇聖下は尊敬を集めている。

「儂の場合は研究のためじゃ。白死病に打ち勝てなければ、いずれこの世界は滅びてしまうじゃろう。白死病を研究し対処の方法を探ることは、アカデミーに所属する全ての研究者の義務とも言える。それに、白死病にかからずとも、そろそろ危ない年じゃ。そろそろ転生しても良かろう。教皇庁の覚えが良くなるから研究費も増えるしの」

 最後が本音に聞こえなくもないが、アナバスは、白死病を調べることを目的にしているようだ。

『ウルリスと同じだ』

 ウルリスも、白死病の原因を探っていた。

 では、マナテアは、どんな目的があって治療に向かおうとしているのだろう。話してくれるかと思っていたが、彼女はなかなか口を開いてくれなかった。ややあって、少し低めた声が聞こえてくる。

「私は、少しでもこの病に抗いたいのです」

 何か、強い決意を秘めた声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る