第8話

ランタンフォレストに到着し、野営の準備を進めていた頃にはすっかり日が沈んでいた。

ノアは冷たい風に身を包まれながら、その広大な森を見渡す。

月の光が葉っぱの隙間から差し込み、幻想的な光景が広がっていた。


しかし幻想的な光景とは裏腹に、闇に包まれた木々が不気味な影を落としていた。

微かに聞こえる風のささやきは不安を誘うようである。

理由は明白で、グロームスワンプに漂う魔法を含んだ瘴気が風に乗ってランタンフォレストにまで流れて来ているからだ。


魔法を含む瘴気は何らかの形で魔物達に影響を与える。

特に精霊種や幽鬼種の魔物は通常の固体よりも強力になる。


ノアはミルカを野に放ち単独で行動する。

訓練された愛馬は飼い主の周囲から離れず、敵を察知した時には早足に逃げ、指笛を鳴らせば寄ってきてくれるのだ。


彼女は周囲を警戒しながら森を進んで行く。

彼女の歩みは静かで、木々の間を縫うように進んでいった。

足元に落ちている葉がサクサクと音を立てる。


「見つけた」


ノアは地面に残されたウィスプの軌跡を見つけた。

それは幽かな青い光が蠢く痕跡であり、彼女の探索の目印となる。

彼女が軌跡を追っていくと、徐々に遠目からウィスプの姿を確認できるようになっていった。

対象に近づくにつれてその青い光が次第に明るくなっていくのを感じる。


「ウィスプ……幽鬼の一種だから銀閃爆弾と月光油が必要だね」


森の中でノアは止まり、周囲を見回します。

青白い光の球体が闇に浮かび上がり、空中を舞い踊りながら魅惑的な輝きを放っていた。

近づいてよく見てみると、それはランタンが宙に浮いていた。

ランタンの内部から青白い炎が灯されていて、それが美しい明かりを放っているようだ。


たしか、一説によると罪を犯した精霊が魔法のランタンに幽閉され、幽鬼に売り払われたなれの果てという話があったっけ。ランタンに閉じ込められた精霊は幽鬼の原動力となり永遠に燃料として使われ、呪いを振り撒く呪物と化すらしい……怖い話ね。


「3匹だけなら直ぐに処理できそうだ」


ノアは剣を鞘から抜き、月光油を塗る。

ウィスプは呪いを振り撒くし人を襲う――さっさと倒して終わらせよう。


幽鬼と退治する場合、銀の武器だけでは対抗できない。

肉体を持たない魔物には、そもそも物理攻撃があまり有効ではないし、通用しない。

そこで月光油を銀の剣に塗るのだ。こうする事で魔法の油が効果を発揮し、幽体に対して物理攻撃が可能となるのだ。


ノアは銀閃爆弾に火を付け、ウィスプの群れに向かって投げ込んだ。

炸裂音と共に銀色の粉が周囲に舞いウィスプの本当の姿を現す。

銀の粒子がウィスプの体に付着し、人型の姿を明らかにしたのだ。


彼らは揃って右手に青白く光るランタンを持ち、白い透明な肌をしている。のっぺらぼうのような顔で、手足は異常な程長い。

ウィスプは立ち止まり、茂みから突撃してくるノアの方に振り向く。


月明かりに照らされた銀色の刃が瞬く間に振るわれ、ウィスプの首と胴体を瞬時に切断した。

ランタンがゴトっと音を立てて地面に落ちると、美しい青色の光を失った。

仲間の一人を一瞬で失い、危機を察知したウィスプが臨戦態勢をとる。

一体はランタンから青い炎をノアに向けて放ち、もう一体は触手の様に伸びる腕を槍の様に尖らせてノアに向けた。


ノアは身を転がして炎をかわし、剣を縦横に振りかざし腕による攻撃を防ぐ。

青い炎と剣先が舞う。

月明かりで光る刀身と火の粉が交錯する光景が森を彩っていく。

ノアは巧みにウィスプの攻撃を避けながら踏み込む。


ノアの剣技はウィスプの動きを完全に見切り、一撃を放つ。

ウィスプの身体に深い傷を負わせた。

青い炎が弱まり、ウィスプの存在が徐々に薄れていき、やがて消えて行った。


最後の一体となったウィスプはまだ抵抗を続ける。

彼らは森の一部と化し、闇の力を使いこなしてノアに立ち向かっていく。

ランタンから放たれる青い炎に呪いが込められ、黒く変色していた。


『呪いが込められた炎か……まあ、想定内って所かな』


ウィスプは過去に何度も戦っている。彼らの行動パターンは熟知している為、さほど苦戦する相手ではない。


「型を使うまでも無いか」


一瞬で間合いを詰めたノアが最後の一撃を放ち、ウィスプの首を撥ねる。

ランタンは音を立てて地面に落ちると青い炎が消え去った。

森は再び静寂に包まれ、ノアは呼吸を整える。

彼女はウィスプの討伐を果たし、討伐の証であるランタンを拾うのだ。


「ふぅ……」


ノアは樹木に寄りかかり、息を整える。





息を整えたノアは用心深く周囲を警戒しつつ進んでいた。

夜の森は危険極まりない場所である。魔物を倒した帰り道も油断ならない。

ノアはとある魔物の痕跡を見つけて足を止める。


『この痕跡は……』


アメジストのように紫色に煌めく魔法の粉を見つけた。

ほんの一つまみ程度の些細なものだが、その痕跡を残す魔物は強力である事を知っている。ノアは嫌な予感を脳裏に巡らせた。


突然、森の奥から叫び声のような金切声が響き渡り、ノアは驚きの表情を浮かべた。同時に突如として強烈な吐き気と眩暈に襲われ、膝をついてしまう。

金切声と共に茂みをかき分けながら、大きな闇の光が彼女の近くに現れたのだ。


「クソ! シャドウウィスプか!」


驚きのあまり目を大きく開いた。

しかし彼女には目の前に現れた怪物に驚いている余裕も、眩暈や吐き気に屈している暇もない。

ランタンの中にある闇の炎が激しく燃え始めると、赤黒い炎が放出した!


間一髪。

ノアは素早く反応し、後ろに飛び退く。

赤黒い炎が命中した場所は激しく燃え、周囲の植物を枯らしていく。


ノアは剣を手に取り構えるが、シャドウウィスプの攻撃は素早かった。

幽鬼特有の肉眼では確認できない攻撃が、ノアの華奢な体を吹き飛ばす。

ノアの体は樹木に激突し、背中を強く打ち付けた。


「がっ!」


肺の中の空気が一気に放出され、痛みと息苦しさが同時に彼女を襲う。

息を整える間も無く次の攻撃がノアに迫り来る。

目には見えない攻撃だとしても、長年の修行で身体が反射的に反応し、飛び出すようにして避ける。


背中を撃ちつけた樹木に鋭利なようなものが刺さり、破片をぱらっと落としながらそれが引き抜かれる。


クソ……何とか間合いに入って銀閃爆弾を投げないとっ……。


見えざる攻撃は厄介極まりない。

彼女は剣を片手に、見えない攻撃に対して感覚だけで対処し、銀の剣を振るって防御していく。


必死に身をかわし、回避するだけで精一杯。

ウィスプと同様に、霊体である本体が伸縮する触手のような腕で攻撃をしてきているのだ。


しかし、その攻撃は通常のウィスプから繰り出されるものとは比べ物にならない威力。苦痛に顔を歪めながらシャドウウィスプの攻撃を銀の剣で受け流していく。


小柄な体格を有効活用し、ノアは少しずつだが確実に間合いを詰めていった。


『型を使うしかないか……!』


ノアは攻撃を力いっぱい跳ね除けると、大きく息を吸い込んだ。


「狼牙流剣術三の型――月華一閃!」


目にも止まらす速さで斬り込んだ――。目には見えていないが、ノアの攻撃は確実にシャドウウィスプの腕を切り落とし一瞬の隙を生む。

銀閃爆弾を投げ込める位置まで迫り、シャドウウィスプに向かって思いっきり投げつけた。シャドウウィスプは飛んできた投射物に反応し、空中で爆弾を破壊する。


しかし――空中で爆弾を砕いてしまった判断はシャドウウィスプにとって最悪の判断となる。

銀の粉が広範囲に舞った。

月明かりに照らされた魔法の銀の粉は広範囲に広がり、シャドウウィスプの隠された霊体を暴露させる。


銀の粉はシャドウウィスプの霊体に付着し、その恐ろしい姿をノアの前に表す。


「へへ……やっとおでましだね」


3メートルはあろう真っ黒い体が姿を現す。

その姿は黒い影であるが異形そのもの。長い手足と猫背が特徴的で、本来のっぺらぼうである筈の顔からは常に黒い靄が出ている。


月光油の効果はまだ残ってる――やれるっ!


シャドウウィスプは金切声で冷笑しながらノアに迫る。長い腕を豪快に振り回し、ランタンから炎を噴射し、攻撃はより一層激しさを増した。


ノアが距離をとれば赤黒い炎の球体をランタンから射出し、接近すれば長い手を鞭のようにしならせる。隙あらば体から鎖を射出し、ノアを捕縛しようとする。

隙の無い攻撃の連続。

防戦一方に見えたが、ノアはどこか余裕の表情を浮かべていた。


ノアは知っていたのだ。


銀閃爆弾に含まれる魔法の銀の粉は、霊体の動きを徐々に鈍らせる。時間経過と共にシャドウウィスプの動きは明らかに悪くなっていった。


鞭のように腕をしならせながら攻撃を繰り出そうとするも、徐々に動きがぎこちなくなっていた。ノアはその一瞬を逃さない。

その腕を細かく刻みながら間合いを詰めて急接近。


シャドウウィスプはランタンから炎を噴射するも、魔法の銀の粉により威力が格段に落ち、燃料切れをしたかのように炎が止む。


事を理解したシャドウウィスプは、慌てるような動作で体から無数の鎖を射出するが、ノアは巧みに体をしならせ、銀の剣で受け流していく。


最後の手段と言わんばかりに鼓膜が揺れる程の金切声でノアの動きを止めようと試みるが――熱く滾っているノアの体を静止するには至らない。


「くたばれえええええええええ!」


ノアは声を出し、目から血を流しながら銀の剣を振るった。

シャドウウィスプの頭部が切り離され、宙を舞う。


霊体は黒い靄となり霧散し、光を失ったランタンだけがその場に残った。

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