第18話
翌日、別邸へと帰って行くセルウィリアを見送った後、フェリクスは宮廷にある自身の仕事場に向かった。
本当は屋敷まで送ってやりたかったが、頑なに一人で帰れると言い張るセルウィリアと、仕事の予定を考えると、帝都で見送ることしか出来なかった。
「やぁやぁ、今日も元気に悩んでいるようだね。眉間に皺が入っているよ」
元気よく言うのはマティアスだ。今日もフェリクスの仕事場に来ては、皇太子の仕事から逃げるつもりなのだろう。鬱陶しいが彼が言っても、マティアスは出ていくことはない。言うだけ無駄なのは分かっているので、フェリクスは冷たい視線と呆れたため息で出迎える事にした。
「何を悩んでいるのかな。君の上司として相談に乗ろうじゃないか」
「面白がっているだけでしょう……」
「そんな事ないさ。どうせ、奥方の事で悩んでいるんだろう?」
図星を言い当てたと言わんばかりに、右手の人差し指をこちらに向けてくるマティアス。彼の指を掴み、左側へと折ろうとしながらフェリクスは答えた。
「まぁ、正解ですが。昨日、舞踏会で兄に会ったのですが、兄が妻と結婚したいと言い出してから凄く腹が立つというか……嫌な気持ちになるんです」
「いだだだだ、ちょ、やめ、折れるっ」
「彼女を誰にも渡したくないというか。僕だけを見て欲しいと思ってしまう」
「やめやめ、皇太子の指を折ろうとするなって」
フェリクスの疑問に答えたのは、マティアスではなく、凛とした女性の声だった。
「それはもう愛しているのよ」
「皇女殿下……」
マティアスと瓜二つの顔を持つ皇女は、にこやかにフェリクスの仕事場に入って来る。マティアスの指を離して、フェリクスは右手を胸に当て頭を垂れるという、皇族に対する挨拶をした。隣で『お前、何で俺にはやらないんだよ!』という野次が飛んできたが、気にする事は無い。
「僕は彼女を愛しているのですか」
マルグリットに問うというより、自問自答に近いような形で呟く。
皇女は笑みを浮かべながら頷くと、フェリクスの前に歩み寄る。
「えぇ、それはもう十分にね。今も彼女の傍にいたいと思っているでしょう」
何で分かるのだとフェリクスは目を丸くする。自分の心を見透かされているようだ。
「貴方はもう奥方を深く愛しているのよ。自分の気持ちに素直にならなきゃ」
損しかしないわよ、とマルグリットは片目を瞑りながら言う。
「気持ちを自覚したならちゃんと愛情表現をしないとね。女性は目に見えて分かる愛情表現を受けると幸せを感じるの。一切ないと自分の事を愛しているのか不安になって……他に愛を求めてしまう事もあるかもしれないわ」
きちんと愛情表現してあげてる? と聞いてくる皇女に、フェリクスは答えられなかった。顔はみるみる青ざめていく。
自分は、愛情表現どころか別邸に住まわせて放置している。
まずい、このままだと本当に男を作られてしまう。愛している今はそんなことを許すことが出来ない。
一刻も早く別邸へ帰りたかった。
「皇女殿下、ありがとうございます。おかげで目が覚めました」
「あら、良かったわ」
「皇太子殿下、暫く自宅で仕事をさせていただきます。別に帝都じゃなくても、伝書鷲を使えば書類仕事は家でも出来ますよね。今から帰らせていただきます」
「えっ、ちょっと」
マティアスはフェリクスを制止しようとするが、その腕を振り払って荷造りを始める。帝都にはあまり物を持ってきていないので荷造りはあっという間に終わった。
呆然とするマティアスと嬉しそうに見つめるマルグリットの双子兄妹に、フェリクスは向き直り、頭を垂れた。
宮殿を出てすぐに馬車を用意させて、別邸へと急ぐ。早く、会いたい。
会いたい気持ちが溢れて塞ぎようがなかった。早く、愛する妻に会いたい。
***
嵐のように去って行ったフェリクスの部屋に残された双子の兄妹。きょとんとする兄に妹は言う。
「お兄様、フェリクスを独り占めし過ぎですわ。家族の時間を作らせるのも、上司の役目でしてよ?」
「ところでお前は何故ここに?」
「お兄様を連れ戻しに来ました。今日こそはみっちり仕事をしてもらわないと」
自分より背の高い兄の襟元を掴むと、そのまま乱暴に引きずっていく。
「ちょ、ちょっと!」
「あぁ、それと。この間、街で飲んでいた酒代ですけど……あんなの経費で落ちないですからね? 経費で落とそうなんて、何をお考えになられているのですか。馬鹿な事はお止めになってください」
「いや、あれは……」
言い訳を続けようとする兄に妹は悲し気に言う。
「お兄様がそのような態度を取っていらっしゃるから、宮廷では私達の派閥が出来上がってしまうのですよ。本当は有能な方なのに……」
彼女の言うように宮廷では、次期皇帝に任命されているマティアスを相応しくないと主張する貴族達がいる。彼らはマルグリットを次期皇帝にするべきだと、母でありこの国の皇帝であるモルガンに進言しているのだ。
女帝陛下が健在な今はまだ大きな火種にはなっていないが、彼女が崩御した時、争いの原因になるのは明白である。
だからこそ、マティアスはマルグリットを利益の為に利用しようとする貴族たちが許せない。たわけのフリをしているのもいつか来る審判の時、彼らを油断させ尻尾を掴みやすいようにするためだ。
だが、目の前の妹に要らぬ心配はかけたくない。彼女の頭を撫でてやりながらマティアスは言う。
「ところで、経費で落ちなかったらどうなるんだ?」
「お兄様の自腹です」
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