第8話【※】

【※性行為を思わせる描写があります。ご注意ください。】


 外は夜の帳がおり、灯りがなければ何も見えないという時刻。

 部屋には幾つもの蝋燭が火を灯すことで彼らがいる部屋を照らしていた。グイドと対峙するのは、水色の肩まで伸びた髪に緑が混じった青い瞳を持つ少女。あどけない面影を残す端正な顔立ちをしているが、今は美しい形をした眉をひそめてグイドを睨みつけている。


「父さん、冗談でしょう?」

 少女は拳を握り、わなわなと震えている。

「私が冗談を言うとでも思いますか、フランチェスカ。さっきも言った通り、貴女は次の神代になるのです。神代になる事の何が嫌なのですか? 小さい頃からの夢だったでしょう」

 淡々と父の口から告げられる変わりようのない事実。

 フランチェスカはそうじゃないと言うが、小さい声は父には届かない。


「選定の儀はどうなるの!? まさかやらないつもり?」

 神代が役目を終えた時、次の神代を選ぶ儀式が行われる。少女たちは儀式の中で己の魔法を誇示し、才覚を見せる事で神代に選ばれるのだ。国を象徴する次の巫女を選ぶめでたい儀式である。そして、儀式で選ばれるという事は『己の実力』で神代になったということ。フランチェスカが最も大事とする部分である。


「ええ、陛下が崩御し国民全員が喪に服す中で、祝いの意味を含む選定の儀を行う事は亡き陛下に対して無礼でしょう。貴女がどう言おうが、議会で決まった事ですから覆る事はありませんよ。もう我儘を言っていい立場にはないのです」


 フランチェスカは五歳の時、セルウィリアを見て神代になりたいと夢を見てきた。その為に努力は惜しまず、魔法の名門校『国立アルコル魔導学院』を首席かつ飛び級で卒業した才媛に成長した。

 今まで築き上げてきた努力に報いる為にも、彼女は選定の儀で神代に選ばれたかったのである。

 儀式すら行おうとせず、大人たちの都合で勝手に自分を神代へと祭り上げた父にフランチェスカは形容しがたい怒りを抱き締める。

 自分の今までの努力を見ていたのかと強く怒鳴りつけてやりたい。実力で神代の座を勝ち取ることを夢見ていた娘の何を見ていたのかと。


「……私はあのセルウィリア様が辞めるとは思えない。辞めさせられたのではないの?」

 鋭い眼光を父に向ける。彼は真っすぐに娘の視線を受け止め、無表情で首を振る。

「愛する方がいたそうです。それも他国の……その方と添い遂げるという事で陛下の葬儀後に出国されました」

「あり得ない。だって、神代は純潔を守らないといけないでしょ。陛下以外の男性が近付く事は出来ないわ。祭事の時以外は顔を隠して、男性と関わらないように予定が考えられている。常に監視の目が光る巫女の生活に男が介入する事は不可能に近いはず。父さんは何かを隠している……そうでしょう?」


 フランチェスカはなおも父に厳しい目を向ける。しかし、父は相変わらず何も言わないし、少しも表情を変える事はない。


「……私は実力で神代になりたかった。こんな形は不本意よ」

 強気でいた少女の感情の糸はプツリと切れる。大粒の涙が愛らしい瞳からぽろぽろと零れ落ち始めた。父はため息をつく。

「フランチェスカ、子どもみたいな我儘は止めなさいと言ったでしょう。貴女がどう言おうと決定事項なのです。覆る事はありません。ここで辞退でもすれば、また一から神代を選ばなければいけません。そうすれば、官吏の仕事が増えるだけです。ただでさえ、陛下が崩御なされて次期国王はまだ幼い王太子殿下と国は混乱しているというのに。神代さえ不在のままだと民の心は不安で押しつぶされるでしょう。民を導くためにも貴女は神代にならなければいけません」


 フランチェスカは忌々しそうに涙を零しながら父を睨む。

「全て自分が思いのままに動かそうとしたいだけでしょう。そうなるように、段取りを組んで私も歯車として入れているのよ。私の気持ちを考えることなく。あんたなんか父さんじゃない、二度と話し掛けないで!!」


 喉の奥から血が出そうなほどにフランチェスカは怒鳴りつけ、部屋から出て行った。バタン、と大きな音を立てて扉を叩きつけるようにして閉める。

 父にどう思われようが良かった。彼は自分の誇りに傷をつけたのだから。そして、悪い事と思っておらず、むしろフランチェスカが悪いと言っている。

 本当に娘を思うなら自分の気持ちを尊重するものではないか。溢れ出る父への猜疑心を胸に彼女は自室へと逃げるように戻り、寝台に飛び込む。枕に顔を押し付け、声が漏れないように泣きじゃくった。



 ***


 突然帰ってきたフェリクスは、セルウィリアと共に夕食をとるようだった。

 自分には興味を持っていない男なので、まさか夕食でも顔を合わせるとは思っていなかったセルウィリアは、部屋に入るなり先に座っていた彼を見て硬直したのだった。


 夕食時は顔を合わせたものの、特に会話をすることなく、淡々と用意された料理を食べる。食べ終えると、セルウィリアは寝支度をするために、イェリンに湯を用意してもらう。湯浴みをし、薄いドレスを身に纏って寝所に行く。

 一日を振り返りながら燭台の火を消そうとした時、扉が数回叩かれた。夜に何の用かと思いながら入室を許可すると、フェリクスがやって来た。


 また驚きながらも、セルウィリアは肌が透けそうなほど薄い衣だけしか着ていない事に気付き、慌てて羽織ものを取り出そうとする。

 すると、フェリクスはセルウィリアの腕を掴む。

「着替えなくていい。どうせ脱がすから」

「脱がす? え?」

「何を驚いているのかな」


 にっこりと笑うフェリクスにセルウィリアは目を白黒させる。脱がすとは。

「夫婦なんだから夜伽くらいするだろう?」

「夜伽!? ちょっとお待ちください、旦那様。わたくしに興味がないのでしょう? ならば契りは交わさなくてもよろしいと思いますが……」


 セルウィリアは、フェリクスから逃れようと必死に身をよじるが、彼は離してくれない。男の力で掴まれたらセルウィリアではどうしようもない。ここは、火球を繰り出し、隙をついて逃げるか。だが、屋敷内で火を使うのはまずい……突風で吹き飛ばすか、などと考え込んでいると、フェリクスが掴んだ腕を引っ張った。


 気付けば彼の腕の中にいた。


「だ、旦那様?」

「君はこの結婚がお飾りだからと気にしているだろう。ならば、夜伽を実際に済ませて堂々と妻を名乗れば世間体を気にしなくて良い」

「それならフリでもよろしいのでは?」

「確かにそうだ。じゃあ、素直に言おう。僕が君を抱きたくなったんだ」

 フェリクスの両腕はセルウィリアを逃がすまいと回されている。がっちりとした体躯である事が肌を通して分かった。胸の高鳴りが彼にも聞こえそうなくらい音が大きい。


「初めて……? それとも装っているだけ?」

 突然、口にされた失礼な言葉にセルウィリアは思わず彼の頬をはたいていた。

「馬鹿にしないでくださいませ。わたくしは元神代、純潔を何よりも大事としてきましたわ!! 仮初とはいえ、妻に向かってなんて口をきかれるの?」

 次は手だけでは済みませんよ、と言うとフェリクスは頭を垂れた。

「軽口が過ぎたよ、申し訳ない。初めてなら優しくしたくて聞いただけなんだ」


 まだ夜伽を行おうとしているのかと驚き、セルウィリアは魔法を発動させて逃げようとする。しかし、先手を打ったのはフェリクスだった。

 セルウィリアのひざ下に片腕を入れ、腰をもう片方の腕で支えるようにして抱き上げる。


「え?」

「ははっ、僕の方が早かったね。大丈夫、無理はさせないから」


 フェリクスは言いながらセルウィリアを寝台に運ぶ。

 そこからの出来事は彼女にとって未知の世界だった。何が起きたのか頭で理解が追い付いていなかったが、フェリクスの背中に必死で爪を立てていた記憶だけが鮮明に残っている。事が終わった後に見た背中にくっきりと爪痕が残っていたのも。


 ***


 セルウィリアの汗ばんだ額に前髪がくっついている。フェリクスはそっと指で払ってやった。セルウィリアは触れられても気付かないくらい、深い眠りに落ちているようだ。彼女を見てフェリクスは思う。


 最中の痛がる彼女、シーツに残った純潔の跡。噂はあてにならないと。


「僕は君の何を見ていたんだろう……」

 フェリクスの言葉に答えるように、寝具に包まれたセルウィリアは猫のように丸まった。

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