第1回活動 邂逅
始業式を終えて、さぁて今から昼食でも食べようかと、校舎を歩きながら1つの教室に入った上平環希は現在、人生の岐路に立たされていた。
脚は硬直し、首筋から背中へ、ひんやり汗が垂れる。
そんな上平の瞳に映るのは、二人の半裸の美少女。
「な――――ッッ」
小さな悲鳴。
上平が教室を入った途端、時が止まったようにその声は「な」の一文字で止まり、沈黙が互いに続いていた。
上平は戸の引手を感覚で探しつつ、思考を巡らす――。
体育終わりで着替え中だったのか、白シャツで無造作に胸元を隠すツインテール美少女と、その後ろからひょっこりと顔を出す童顔の白髪美少女。
これを俗に言うラッキースケベというモノなのだろうか。勿論、そんな訳がない。彼女達の目を見れば分かる。無防備な自分達のところに知らない男子が現れたら、そりゃ不安だろう。間違いなく犯罪の現場だ。
ただ、上平にも言い訳はあった。
自分はただご飯を食べたかっただけ。見るつもりなんてなかったのだ。ましてや、こんなラブコメのような高校生活のスタートを望んではいない。
とにかく何か言い訳を――空気を変えようと上平は言葉を絞り出す。
「・・・・・・あっ。えー、あー、と」
本当に絞り出しただけだった。
もっと「ごめんなさい!」とか「わざとではないんです!」とか弁明する言葉を言うつもりだった。「あー」とかなら赤ちゃんでも言える。オムツ変えて欲しい時とか、お腹空いた時とか。
(そう。そう言った意味では、お腹の空いている俺が言うのは何の不思議もないんじゃないか)
上平は謎の自信を持った。
――のも束の間。
(いや、バカじゃねぇか!!)
爆発したように心の中で言葉が弾ける。
上平は瞳を揺らす。こんな一人ショートコントなんてやっている場合ではない。
しかし、それが機転となったのか、ツインテール女子が口を開く。
「ねえっ! アンタ何なのよ!」
「な、何なとは」
「何でこの教室に入ってきているのよ! ってこと。さっきから表情をコロコロ変えて・・・・・・そもそも、どうして教室を出て行かないのっ!!」
ごもっともだった。
普通こういう状況のときは入る前に気づき、扉を勢いよく閉めるもんだ。仮に中へ入ったりしてもすぐにその場を立ち去るのが鉄則だ。逆に驚きのあまり立ち尽くすパターンもあるが、アニメとかだったら女子の方が叫ぶか殴るだろう。まあそれは被害者の彼女次第なのだが、少なくとも上平がこの場を立ち去るのは当たり前だった。しかし――、
「こ、この状況は誰も望んでいないのは事実だ! それは分かっている。君達が俺のコトを不審がるのも無理はない。だけど、足が動かないんだ!」
何故か彼は残っていた。
ただ、見ないように視点を右横に逸らし、彼女達の様子を伺いつつ、言葉を発する。
「動かないって・・・・・・この期に及んでふざけているの・・・・・・」
「いや断じて!」
「なら早く出ていくべき」
白髪の少女も会話に加わってきた。
しかし彼女の言う通り。早く出ていかないと、もしこんな状況を誰かに見られたら・・・・・・。上平は高校生活で『変態』の烙印を押されてしまう。
へーんたいっ! へーんたいっ! ――脳内で嫌なコールが響く。
それは本当に困るコトだ。だから上平は早くこの場から離れたかった。
ただ――――何故か、その足は動かなかった。
まるで地面に地面に吸い付くように。
「ん。有紗。もしかしたら・・・・・・アレかも」
「え? あっ!」
白髪の少女に耳元で言われ、ツインテール女子はハッと目を見開く。と思ったら、ゆっくりと下を向いて、いきなり笑い出した。
上平は唖然と目をぱちぱちさせる。
「は、はははっ、そう言うコトね。初な生徒のフリなんかして、よくもまあ騙してくれたわね。そこは褒めたあげるわ」
「は、はい? あの何のことで」
「――らんで」
「え?」
先程までとは明らかに様子がおかしい。あの白髪少女に何を言われたのだろうか。生徒のフリ、騙す――何のことだが、上平にはさっぱりだった。
「え、あの、らんでって」
「選んでっ! って言ったのよ。・・・・・・・・・・・・苦しんで死ぬか、苦しまずに死ぬか」
「それって死ぬこと確定してますよねっ!」
「それは当たり前、なの」
「ちょ、そこの君! 彼女に何言ったの!?」
上平は白髪少女に声をかける。そのタイミングで先程までの感覚が薄れていたコトに気づく。
足が一歩前へ出る。
「きゃー。あの男、怖い。有紗」
「――っ」
「近づかないでッ! これ以上近づくと容赦しないわよ!」
ツインテール少女から凄まじい圧力を感じる。
しかし、同時に上平は自由を取り戻した。
(足が戻った、今だッッ――!)
「すみませんでしたァァア!!」
180度右回転して引き戸を開けると、教室を飛び出し、引き戸を閉める。
教室には拍子抜けした顔の少女と、不服そうに目を細める小柄な少女が立っていた。
「何だったのよ。あの男子生徒」
「・・・・・・仕方ない」
「え?」
――――――――――――――――――――――――――
「……はぁ、入学早々やらかした」
扉に背中を預けながら、しゃがみ込んだ上平は嘆息をついた。
――経った数分の出来事。
――ただ昼食を摂る場所を探していただけ。
それなのに、まさか女子の着替えに立ち会ってしまうなんて、男子高校生としては最高の瞬間だが、人としては最低な瞬間だった。
(どうしてこうなった……)
上平は、彼女たちの羞恥心を傷つけてしまった罪悪感と、ちょっとラッキーと思ってしまった自分への自己嫌悪でさらにため息を吐く。
そもそもの話、自分の教室で昼食を摂れれば何も起きなかったのだ。ただ、
「どうせ戻っても女子いるんだよなー」
上平はここに来るまでの経緯を思い返す。
4限終了後、昼食の前にトイレへ行っていた上平。その後、教室へ戻ると彼の席には所謂、陽キャと言われる女子グループが座っていた。
生憎、ブレザーポケットには財布が入っていたため、購買でカレーパンを買った。そして、先程の着替えに立ち会い、今に至るわけだ。
「……仕方ない、もうここで食べるか」
スマートフォンで時間を確認すると、時刻は既に13時過ぎ。昼休みが始まって15分が経っていた。
上平はスマホをポケットに戻すと、握っていたカレーパンの袋を開ける。
ぱんっと小さな開封音が静かな一階廊下で鳴った。
「んじゃ、いただき」
「ねぇ」
「うぉわっ――‼」
上平のもたれかかっていた扉が横にスライドする。
完全に全身を預けていた上平は、そのまま後ろへ倒れ込んだ。
「――ってぇ」
「ねえ、大丈夫?」
少女と目が合う。翡翠色の混じった瞳。
思わず見惚れそうなくらいに、彼女の瞳は綺麗で、数十秒ほど上平は見つめていた。
「ねぇ、ホントに大丈夫? 頭打った?」
「え・・・・・・あっ! あぁあのっ! さっきはごめん!」
「そのコトなら別いいわよ。事故って知ってたもの。望愛も大丈夫って言っているし。今回は許すわ」
「は、はぁ」
上平は状況が掴めずにいた。
さっきまでの気迫は何処へいったのか。
苦笑いしながら上平は息を吸う。
「あ、はは…………そ、そっか~。誤解が解けたみたいで良かったよ。ありがとう、七瀬さん」
「え、あなた私のこと知っていたの? もしかしてストー」
「いや違うからっ!」
言葉をかぶせるようにストーカー発言を否認する。その勢いで起き上がると、上平は2人をまじまじと見る。
ツインテール少女こと――
キリっとした猫のような眼つき。
ふっくらとした赤みがかった頬。
ふんわりと香るフルーティーの香水。
まさしく容姿端麗、おまけに勉強もできるという才女。
それが上平の今日出会った彼女の第一印象だった。
そしてもう一人――。
七瀬の背後に隠れていた白髪少女。
こちらは七瀬とは違った眠そうな眼。
髪は雪のように白く、腰くらいまで伸びている。
そして小学生と間違えるくらい小柄な体型。
その割には出るところは出ている――なんて考えた上平はそっと背筋に寒気を感じる。
(確か名前は・・・・・・)
「望愛、さん」
「はい変態さん」
「・・・・・・(え?)」
上平は言葉を失う。
(あっれー、おかしいぞ)
上平は先程、七瀬が言った言葉を思い出す。『望愛も大丈夫』、確かに七瀬はそう言っていた。しかし、現に望愛の上平を見る目は、それはそれは熱い殺意を秘めた瞳をしていた。いや剥き出しだった。
「あの、俺って許されたんじゃ」
「許したのは有紗。私は大丈夫しか言っていない。けど安心して大丈夫。すぐ楽にさせるから――」
彼女はそう言うと、近くにあった机を持ち上げた。そう、頭のてっぺんまで机を持ち上げたのだ。意味が分からない。
「ちょ――――」
有無も言わせずに、刹那、上平の視界は黒く、顔面には激痛が走り倒れ込んだ。
さらに追い打ちをかけるように机や椅子を投げられる上平。そして一瞬にして出来上がる備品の山。まるで昆虫を埋葬した砂山のように積み上げられた椅子と机。
「望愛、これどうするのよ」
「変態は鉄板に張り付けて海に沈める。学校の環境を守るには必要」
「・・・・・・はぁ、そうね。仕方ないか。望月委員長に1回相談してからね」
そんな2人の声を朧げに聞きながら、上平の意識は次第に闇へとフェードアウトしていった。
「――変態」
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