第52話 朝倉義景と、近衛殿

 

『私と姫は、何度も子を作ることを試みたが、一度も出来なかった。どうやら姫は、私とは相性が悪い。私に拘らず、相性の良い男と出会い、子を作った方が、姫のためになるだろう』


 義景は、近衛殿との離縁理由を話し、私は近衛殿がいるであろうと義景が言っていた、南陽寺なんようじに向かった。


 南陽寺は、義景の祖父に当たる、3代目の貞景が再興した尼寺。朝倉館から少し北に行った、山肌の場所にあり、広い敷地と寺社、そして整備された庭園と、春に綺麗な花を咲かせる、糸桜も植えられている。庭の一部は、現代でも残っていて、諏訪館跡庭園などを含めて、国から認められた特別名勝の庭園となっている。

 私も過去に宗滴に連れられ、南陽寺で行われた観桜会に参加し、春に友達でやった、上野公園のお花見とは比べ物にならないぐらい、美しくて、一生忘れることが出来ないぐらいの思い出になっている。


 景近には、階段を上がる際に補助してもらい、南陽寺の住職に事情を話してから、近衛殿がいるという部屋に案内された。


「よくもまあ、悪びれもせず、飄々と顔を出せましたよね?」

「申し訳ありませんでした」


 亡くなった細川殿の後に義景に嫁いだ、近衛春嗣の妹である近衛殿。

 石合戦が好きな、お転婆な一面もある一方、公家の娘なので、教養はしっかりとしているので、京から避難してきた公家や歌人と、日々歌会をしていて、良き妻を演じている。


「凛殿が謝る必要はない。近衛様は、週に一度は顔を出し、微動だにしない凛殿の体に泣きついていたぐらい、かなり心配していたぞ」

「鳥居様っ⁉ そういうことは、公家の威厳に関わりますから、秘密でお願いしますっ!!」


 近衛殿の動揺する姿に、景近はおかしそうにクスクスと笑っていた。


「それで、朝倉様は何の用ですか?」


 素直に、義景は近衛殿と離縁したがっていると言うべきなのだろうか。ストレートに言うのは、私もそれなりに覚悟がいる。それどころか、義景本人が直接言わず、私に託を頼んだことに、近衛殿は傷つけさせてしまうかもしれない。


「殿が離縁すると言っている」


 私の代わりに、景近が言ってしまうと、近衛殿は飲んでいたお茶を一気に飲み干した。


「朝倉様。私、無性に石合戦をやりたくなってきました。だから、そこの庭石を少しだけ拝借しても良いですか?」

「せめてやるなら、小石で我慢してください」

「どっちもやるな。阿呆共」


 少しだけ、近衛殿の悪ノリに乗ったら、景近に怒られた。


「離縁理由は、このまま一乗の地に留めておくのは、近衛様にとって年月を無駄にするとの事。朝倉家は今から、織田侵攻に備えるため、隣国の若狭を攻める。近衛様を無事に京に返すため、まだ比較的に平穏な時期に帰京してほしい」

「鳥居様。それ、本当に正しい行いだと思いますか?」


 近衛殿は、さっきまでとは違う、景近を敵として見るような、目を細めていた。


「兄様、すっごく怒りますよ? よくも近衛家を卑下したなと。地方の田舎者が、五摂家でもある近衛の名に泥を塗るような行為をしたら、他の家も黙っていません。京に朝倉の居場所は無くなると思ってください」


 私も、近衛殿を京に返すのは、すごく躊躇いがある。義景の意見も分かるが、近衛殿の意見のように、近衛家との関係を壊してしまうような、朝倉義景のバッドエンドが一歩近づいてしまうだろう。近衛家との関係、京の公家、五摂家とはこれまでも良好な関係を築いておきたいのが、私の本音だ。


「近衛殿の意見は分かりました。けど、殿の命令に背くことは出来ません。最後に、殿への挨拶を済ませてください」

「分かりました」


 覚悟を決めた顔で、近衛殿は無表情で、私たちと共に、再び朝倉館に戻った。





 再び朝倉館に戻ってきたが、義景は射場にはおらず、館内に入っていた。

 義景は、普段は常御殿と呼ばれる建屋で日常生活を送っていて、私たちが訪ねた時には、紙に筆を滑らせていた。恐らく、またどこかの有力な戦国武将に、書状でも送るのだろう。


「姫。凛から話は聞いたようだな」

「はい」


 近衛殿も入ってくると、義景は筆を止め、近衛殿の正面に座り、まっすぐ近衛殿の顔を見つめていた。


「私の意志は変わらない。どうか私の事は忘れ、別の家に嫁いでほしい」

「殿がそう仰るなら、私は殿の考えに従います。ですが、この事は近衛家と絶縁すると言っても変わらないでしょう。その事は、ちゃんと覚悟していますか?」


 義景は、そこまで考えていなかったのか、動揺してしまい、目を泳がせていた。


「昨年までは、宗滴様の助言がありましたから、今回のような殿の暴走を止められた。ですが宗滴様亡き後は、朝倉家の当主である義景様の判断が、今後の朝倉家の命運を変えます。まだ畿内が落ち着かない、隣国の加賀も安定しない中、五摂家の筆頭格である、近衛家との関係を断ち切るのは、愚の骨頂です」


 義景はぐうの音も出ない様子で、すっかり覇気が無くなり、唇を噛みしめ、肩を震わせていた。この様子は、離縁すると言ったことを酷く後悔している。


 このままだと、朝倉家が近衛家との関係が悪化し、足利将軍家とのつながりも弱くなってしまうだろう。この間、現代の義景と宗滴に、絶対に朝倉義景の最悪な結末を回避するって誓ったばかり。ここで躓いたら、絶対にダメだ。


「近衛殿。離縁すると申告されてしまった以上、このまま居続けても気まずい思いをするだけで、自然と離縁する形になってしまう運命になるでしょう」


 だから私は、近衛殿にこう言った。


「私は、近衛殿を雇いたいと思います」


 近衛殿は、私が殿に紹介したから、このまま京に返すは嫌だ。近衛家と縁を切るのは絶対に良くない判断だと思うから、殿の意志が変わらないというのなら、私がこのまま近衛殿を一乗谷に残したい。


「それは、近衛家が朝倉家の下につけと言いたいのですか?」

「いいえ。ただ単純に、まだ近衛殿と語りたいことがたくさんあって、本気で石合戦をしていないからです。これは私の我が儘であって、未練を残したまま、このままお別れするのは嫌だからです」


 私の本心を話すと、近衛殿は私を不思議そうな顔で見た後、義景に冷たい視線を送った。


「だそうですけど、殿はどう思いますか?」

「凛の傍に仕えるなら、私は他家に嫁ぐより安心する」

「はぁ……。私、こんな情けない当主に嫁いでいたんですか……」


 近衛殿もこれではっきりしたのか、義景に背を向けた。


「特別な事情がない限り、殿はもう、私に関わらないでください。私、近衛家を虚仮にした殿の事が憎いです。大嫌いです。こんな女々しい男に、近衛家の血を分けたくありません。子が出来なかったことが、すごく幸運でしたね。と言うことで、これで気楽に凛様の遊び相手になれます」


 近衛殿は、義景とは離縁することはなかったが、絶縁関係になってしまった。近衛殿を朝倉家に留めておくことは成功したが、これで良かったのだろうか。


 近衛家との関係悪化を阻止できたのは良かったのだが、宗滴のいない義景は、後先を考えない、考えが暴走する。宗滴の遺言通りに、私が義景を正しい道に進ませないといけないようだ。

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