第3話 朝稽古と城下町
ふっと目が覚めた。夢は見ていなかった気がする。
カーテンの隙間から昇って間もない日の光が差しこむ。
(てか……ここオレの部屋じゃない)
まだぼんやりとした頭を動かし、すぐに昨日のことを思い出す。そうだった、桜の木にナンパされ、気付いたら見知らぬ場所にいて、初めて会った人たちの家に泊めてもらったのだ。
「……全部、夢じゃなかった……」
昨夜寝る前に、全ては夢オチではないかと少し期待していたのだが。期待はあっさりと裏切られた。
露草は少し迷いつつ靴をつっかけ、そっと玄関の扉を開けて外を覗いた。
「矩? 夕凪?」
家の前の通りで、矩と夕凪が木刀を持って打ち合っていた。
「あ、露草――」
「隙あり」
矩が露草の方に気を取られた一瞬の隙をついて、夕凪が矩の木刀を跳ね上げた。矩の木刀がカランカランと音を立てて露草の足元に転がって来た。
「いけませんね、矩。集中力が足りません」
「だって露草が」
「目の前の敵を視界から外すとは実戦なら死んでますね」
「う」
言い返せない矩は、全くその通りですと悔しそうに唇をかんでいる。
露草は矩の木刀を拾った。手に馴染む感覚は、幼い頃から剣道を続けてきたからだろう。普段の稽古は竹刀だが、素振りや剣道形では木刀も使う。
試しに軽く振って見ると、ビュンッと風を切る良い音がした。
矩は目を見開いた。
「露草、お前……」
「こんな朝っぱらから何やってんの? 二人とも」
木刀を矩に返すと、夕凪が近付いてきて微笑んだ。
「朝稽古ですよ」
「ずいぶんとハードな朝稽古だな」
ちらと見ただけだが、先程の夕凪の動きはただ者ではない。長く剣術に通じてきた者の気迫と身のこなしを感じた。対する矩も夕凪までとはいかずとも、あれだけ激しく打ち合って息が乱れていないのはなかなかだ。
正直露草も一本お手合せ願いたいくらいだが、竹刀ならともかく木刀は自信がない。しかも防具も無しだ。
「何かの鍛錬?」
「矩の場合は鍛錬かもしれませんが、私の場合は仕事です」
「仕事?」
(あの剣技がいる仕事って何?)
露草がさらに首を傾げると、夕凪は微笑んだまま露草の背中をぽんと叩いて玄関の方へ促した。
「さあ、朝ご飯にしましょう」
どうやら仕事について説明してくれる気はないらしい。矩も何も言及せずに木刀を持って玄関に向かう。そして靴を脱ぎながら露草に言った。
「お前こそ、木刀の素振り良い音してたな」
「え? そう?」
一回だけだが、空を切る感覚は確かに少し気持ち良くはあった。
「これでも剣道には馴染んできたからなあ。一番振ってるのは竹刀だけど」
近所に住む祖父が道場の師範で、先に始めた兄の後を追うように始めたのが小学一年生の時だ。中学生からは剣道部で活動している。
「ふーん、そうか。じゃあ今度はあたしとも手合せしような」
一つに結った髪を下ろしながら、矩がニヤリと笑う。楽しい獲物を見つけたといった表情だった。使うのが竹刀で、防具もありなら考えても良い。
「では私ともぜひ」
意外にも夕凪が口を添える。
「え」
彼の剣技を見た後では、心中複雑にならざるを得ない。彼と手合せをしてみたい好奇心と、瞬殺されそうな恐怖心が入り混じる。露草がどう答えたものかと迷っていると、夕凪は特に気にした風もなく、
「露草、パンと白米どっちにしますか」
「……あ、じゃあパンで」
「分かりました」
相変わらず優しい微笑みを浮かべる彼の後を追って、台所に向かった。
朝食後、昨夜矩が言った通り、露草は統治者に会いに城へ行くことになった。
こちらに来た時に着ていた学生服に着替えようとしたら、矩にそのままの黒い服で良いと言われた。
「この世界にあんな服着てるヤツいないからな。それから」
矩がぐいと露草の顔に顔を寄せる。
「な、何……」
「昨日から思ってたけど、お前綺麗な顔してんな。肌白いし、睫毛なっが!」
「……」
露草は僅かに眉を寄せて矩の肩を掴んで顔を引き離した。
「初めて見た時、正直女の子かと思った。女の子だったら平手打ちはやめてた」
矩があっけらかんと言う。露草とて一瞬でも彼女を少年かと思ったのだからお互い様だが、それでも心の中にもやっとする何かがあるのを否めなかった。
(またこれか)
これは今に始まったことでは無い。露草はその中性的な顔立ちと身体つきから、昔からよく女の子と間違われることがあった。小学生の頃はそれでからかわれることも多かった。中学を卒業する時にはもう少し男らしい顔と引き締まった身体を手に入れて成長している予定が、残念ながら予定のままに終わり今に至る。
「一応、これを」
夕凪がつばの広い帽子を取り出して露草にかぶせた。
「その綺麗な顔立ちをあまり印象に残したくないので我慢して下さい。統治者に会っていただくまでは目立たない方が良いと思います。それに――」
何かを言いかけて、夕凪はふいに口を噤む。
「それに?」
「……いえ」
「露草、城下町は人が多い。あたしたちのそばを離れるなよ」
「あ、うん」
矩の言葉によって何か誤魔化されたような気はしたが、露草はあまり深く考えないことにした。
(ひとまず、この世界のことも、俺が来た理由も、統治者に聞こう)
彼女たちはあくまで露草を一時的に保護してくれただけである。そして親切にも、統治者の元へ案内までしてくれようとしている。
(でも統治者って怖そうだよなあ)
露草の頭の中には、強面のオヤジが不機嫌そうな顔でこちらを睨むイメージがあった。果たしてそんな人とまともに話ができるだろうか。これで「誰だお前は」なんて言われて、露草がここに来た理由に全くノータッチだったらどうしよう。
「おい、行くぞ?」
気付くと眉を潜めた矩が心配気にこちらを窺っていた。露草は頭の中のイメージと不安を無理やり追い出し、矩の後に続いて外に飛び出した。
「そういえば」
「何だよ」
露草は往来の真ん中に立つ彼女の姿をしげしげと眺めた。
矩はなぜか赤い着物を着て、下駄を履いていた。昨日までは露草に用意されたような長袖長ズボンと言う格好だったのに。
「何で着物を着てるわけ?」
「統治者に会いに行くんだ。正装は当然だろ」
この世界の正装は着物なのかとぼんやりと思う。
しかし着物を着た矩は凛とした佇まいで、意外と似合っていた。
「夕凪は着物じゃないの?」
後から家を出て来た夕凪は昨日と特に変わりない服装だった。
「夕凪は良いんだ。その格好が一番動きやすいみたいだし」
「ふうん」
矩の言葉の真に意味するところは、その時の露草には分からなかった。
「じゃあ、行くぞ」
矩が先に立って歩き始めた。
矩たちの家の周りには、似たような家がまばらに五軒ほどあるだけで、後は平地と森林が広がっていた。森林に足を踏み込めば、少し行った所からは桜の森になる。昨日露草が気を失って倒れていた所もそこだった。
桜の森とは反対方向に向かって一本道を進むこと一時間弱くらいだろうか。石垣のようなものが一部見え始めた。その途切れた箇所に向かって道は続いていて、どうやらそこが入り口らしいと分かる。
「わあ、人がいる」
城下町の入り口付近まで来ると、急に人が行き交う姿が増える。
「そりゃあいるだろ。町なんだから」
矩が「何を言っているんだ」という呆れた目で露草を振り返る。そんなことを言われても、この世界で目覚めてから矩と夕凪の二人しか目にしていなかったのだから少し感動ものだ。他に人々がちゃんと存在することを実感する。
そして、やはり露草が知らない場所であることも再確認する。
城下町の中に入ると、広い道に沿って両側に商店が並んでいた。野菜や肉といった食糧を始めとして、雑貨、服、装飾、布等を扱うお店に、食事処に床屋、修理屋といったサービス……。その町並みはどこか懐かしい感じがして、露草ははたと思い当たった。
(何か全体的に昭和感が漂ってるな……)
そう、全体的に昔懐かしき昭和、といったレトロ感がある。木造の建物が多いせいもあるだろう。
色々と店を見たい気持ちは膨らむばかりだったが、前を行く矩はずんずんと道を進んで行く。
「露草、とりあえず城へ行きましょうね」
露草の浮ついた心の内を読んだかのように夕凪が苦笑して言うので、露草は諦めて足を進めた。
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