第4話 九州 出自

 聖児は、朝になるのを待って、教えられた住所を頼りに、九州までの汽車に乗った。東京を発って、大阪、下関までは、新幹線で快適だったが、福岡から先は、意外に時間がかかり、熊本駅に到着したのは、出発してから、丸二日が経過していた。

 翌日の日曜日、バスに揺られて、ようやく母の婚家の近くに辿り着くと、そこには、青々とした水田と畑が広がり、遠くに阿蘇の山脈が見える。

 バス停の近くの店で、母の名字を言うと、○○の□□様の家かと、すぐに教えられた。母は、地方のかなり有名な素封家に嫁いでいたようだ。都会では、見たことがないような門構えのある大きな家に、母の名字である表札がかけられていた。

 玄関先に出てきた使用人に自分の名を名乗り、奥様に会いたい旨を伝え、玄関先で、しばし待っていると、使いの者が戻ってきた。

「奥様は、そのような者は知らないそうです」

 と会うことを拒まれた。

 聖児は、大声で

「○○の湯田聖児です。大事な話があって来ました。会わせていただけないなら、出生の秘密を言い触らします」

と怒鳴った。その声は、奥の間にも聞こえたようだった。家の中には、慌てた様子がうかがえ、先程とは変わって、聖児は、応接間に案内された。

 そこに、よそ行きの着物を着た一人の女性が座っていた。挨拶をすませ、二人は互いに見つめ合う。母さんとは、こんな人だったのかと聖児は思った。母も聖児の顔に、幼い頃の面影を見つけたようだった。

「聖児さん、どうやって、ここに」

と母が声をかけてきた。

 聖児は、何と言ってよいものかと辺りを見回した。

「今日は、何か特別な日なのかな。それなら、出直してくるけど」

「日曜日の礼拝に行っていました。夫は、用事があるからと、教会に残っています。今、ここには、誰もいません。大丈夫です」

 と母は、安心するように伝えた。

 日曜礼拝か、あちらでもこちらでも、忙しいことだと聖児は、思った。

「そうですか、父から聞きました」

と言った。

「そうですか……。それで、今日は、何の用事です」

 聖児は愕然とした。折角、母に会いに来たのに、それが何の用事ですとは。

「会いに来たかっただけです」

そう言うのが、やっとだった。

「会いに来たかっただけなら、玄関であんな大声を出さなくても」

 聖児は、こらえていたものが噴き出しそうになるのを感じ、

「母さん、母さんと呼んでいいんですよね。子どもが二十年ぶりに会いに来たんです。何の用事ですかはないでしょう」

 だが、母の返事は冷たかった。

「私は、この家の人間です、もう、あの家とは何の関係もありません」「あなたが、あの家とのつながりを断ちたいという気持ちは、わかるが、僕は、あなたの子どもだ。母に会いに来てどこが悪いんだ」

「あんまり大声を出さないでください」

 聖児は、今の今まで幻想にとらわれていたことを知った。この母にとって、今の自分は、実の子でも、それは何の意味も持たないのか。聖児は、悲しかった。二度と会うまいと思った。

「僕が馬鹿だった。来るんじゃなかった」

「あの、ここまで来るのに、ずいぶんとかかったでしょう。これを」

 と言って、その女は、和紙に折りたたまれたものを手渡そうとした。

「これは……」

 聖児がその場で、中を開けると紙幣が見えた。

 それを床にたたきつけ、

「馬鹿にするな。金が欲しくて来たんじゃない」

 聖児の声は震えていた。

「これで最後です。さようなら。母さん」

 母さんという言葉に、どのような意味を込めて吐き出したのか、この女には、永久に分からないだろうと思うと哀しかった。

 門を出て、聖児は後を振り返ることなく歩き続けた。後ろに誰かが跡をつけてきた。母なのか。それとも、母以外の誰かか。

 バス停で、最寄りの駅行きのバスに乗り込み、ただ、ひたすらに、前を見続けた。母が憎かった。こんなふうにした父も憎かった。

 途中、何気なく振り返ると、遠くに女性の人影が見えた。それが母との別れだった。母は、もう母ではなく、子もまた子ではなかった。

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