変態異世界へようこそ
岡本圭地
第1話 … 変態、現る!
ガタガタガタ……。
誰もいないのに、目の前の便器が震えている。
ガタガタ……。
やがて閉じていた便座のフタが、ゆっくりと持ち上がると、出てきたものは……おじさんの顔だ!
『キシシシ……ワシの創り出した変態異世界からは、逃れられんぞい……』
便器から首だけを出して、ニタリと笑うおじさん。
私は、意識が遠くなりかけた。
……なぜ?
なぜ、こんな事になってしまったの?
◇ ◇ ◇
「はーるーかー!」
聴き慣れた声が、私を呼んでいる。
振り向くと、制服姿の茜が手を振り、駆け寄ってくるところだ。
私は茜に向かって、不満を露わにした。
「茜、遅いよ! 呼び出しておいて、遅刻するなんて酷い!」
茜は、私のふくれ顔も気にせず「ごめんねー」と、反省の色なし謝罪。
「さ、行こっ!」
ショートボブの髪を揺らした茜が、私の手を引っ張った。
——今日は休校日。
それなのに、私は小学校からの友人、浦川茜に校門前に呼び出された。
茜が部活の練習に付き合って欲しいと、電話をかけてきて懇願するからだ。
何度断っても引き下がらない茜に、とうとう私は根負けしてしまった。
茜はこの春、高校入学と共にバスケ部に入部。
彼女は背も高く、運動神経も良い。
バスケを始めると、早速その身体能力の高さを発揮した。
シュートもよく決め、リバウンド率も高い。
だが、唯一ドリブルに難があった。
そのため、今日はバスケ部の顧問、千葉なぎさ先生と個人練習をする事になったとの事。
と言っても、千葉先生はテストの採点など用事があるらしく、最初だけ茜の練習に付き合うらしい。
その後は、一人で黙々とドリブル練習。
だから私が呼ばれてしまった。
要するに、その間の話し相手が欲しかったという事。
正面玄関で上履きに履き替えている時、私は壁にかけられた時計を一瞥した。
午前九時。
本来なら今頃、家でゆっくりしていた事だろう。
「あ〜あ、今日は小説読んだりして過ごしたかったのになぁ」
茜に聞こえる様に、愚痴った。
「小説って、どーせまたBLでしょ?」
むむっ。
私の大好きなBLを、馬鹿にしたような発言。
許せない、と背後から茜の後頭部を睨んだその時、階段の上から品のある、よく通る声がした。
「浦川さん、おはよう」
見上げると、ジャージ姿の千葉先生がいた。
「あっ、なぎさ先生、おはようございまーす! ジャージ姿も色っぽいですね!」
相変わらず、調子の良い事を言う茜。
「なに馬鹿な事、言ってるの。それと、なぎさ先生じゃなくて、千葉先生と呼びなさいって、何度も言ってるでしょ」
千葉先生が、やれやれといった表情で、階段を降りてくる。
ほのかに甘い香りが漂った。
千葉先生がつけている香水だろう。
「あら、石井さんも一緒?」
千葉先生が、茜の背後にいる私に気付いた。
実は千葉先生は私達、一年C組の副担任でもあった。
「あ、はい。茜の付き添いで……」
そう言うと、千葉先生は苦笑いを浮かべた。
休みなのに付き合わされて大変ね、といった心の声が聞こえてきそうだった。
千葉先生は、視線を茜に戻した。
「じゃあ浦川さん、体育館で待ってるから。着替えたら、早く来てちょうだいね」
「りょーかーい」
◇ ◇ ◇
「……それにしても、なぎさ先生って大っきいよね」
バスケ部の部室に向かう途中、茜が唐突に話しかけてきた。
茜の両手の動きで、それが胸の事だと察した。
「何言ってるの、朝から」
「朝でも夜でも、大きいものは大きいの!」
茜は、両手でモミモミする仕草を続けている。
ため息が出そうになった。
「まあ、確かに大きいけど……」
「春香もそう思うよねー。メロンが二つあるみたい、あははっ」
そう言った後、茜は私の胸をチラリと見てくる。
「それに比べて、春香はアレだよねー。まな板の上に、梅干しが二つだよね」
え? 何?
何言ってんの、この子。
さらに茜は、調子に乗った発言をする。
「なぎさ先生から、少し分けて貰えたらいいのにねー。あははっ」
はあっ?
喧嘩売ってんの?
思わず私は、拳を突き上げた。
「茜、ぶっ飛ばすよ。休みの日に付き合ってあげてるのに、そんな事言う? 私、帰るよ!」
茜は、少し慌てた様子を見せた。
さすがに言い過ぎたと思ったようだ。
「ごめん、ごめん。ウソ、冗談。私は春香がペチャなんて、1ミリも思ってないから!」
いや、思ってるでしょ。
私は腕組みをして、反論する。
「言っとくけどね、こう見えても私、最近ちょっと大きくなったんだからね!」
「え、マジで? ちょっと揉ませて」
「嫌だよ、茜の馬鹿力で揉まれたら潰れちゃう!」
「ひどーい、あははっ」
そんな話をしていると、部室が見えてきた。
茜がドアを開け室内に入ると、私も後に続いた。
そう言えば、文芸部の私が、バスケ部の部室に入るのは初めてだった。
意外と綺麗に片付いている部室内に、私は驚いた。
女子とは言え、体育会系の部室は、もっと散らかって汗臭いイメージがあったからだ。
もしかしたら、几帳面で綺麗好きな千葉先生のこと。
こういうところも、指導が行き届いているのかもしれない、と私は想像した。
すると突然、地を這うような不気味な笑い声がした。
(キシシシ……)
?
何、今の声?
あ、分かった。
また茜の悪戯だ。
本当に面倒くさい子だなぁ。
「ちょっと茜、変な声出さないでよ」
「何?」
長机の上にバッグを置いた茜が、きょとんとした顔で振り向いた。
——と同時に、ガタガタッ! と音がした。
それは、私の側にあるロッカーから聴こえた。
「えっ?」
ビックリした私がロッカーから離れると、逆に茜は近づいていった。
「ちょっと茜、怖いよ」
「大丈夫だって。アザラシかなんかだよ」
「何でアザラシがこんな所にいるの? っていうか、アザラシがいても怖いんだけど!」
「大丈夫、大丈夫ー!」
茜は「フン!」と、勢いよくロッカーを開いた。
その瞬間、ロッカーの中から黒い煙のようなものが、ブワッと放出された。
「えっ? 何?」
得体の知れない恐怖に後退りすると、ロッカーの中からモソモソと、何かが姿を現した。
『キシシシ……変態異世界へようこそ……』
意味不明な言葉を発しながら出てきたのは、赤いフンドシをした裸のおじさんだった!
「うっぎゃぁぁぁぁぁぁ! 変態ぃぃぃ!」
私は、自分でもビックリするくらいの金切り声を上げて、一目散に逃げ出した。
しかし、ドアを開けようとしても、ドアノブが回らない。
ガチャガチャ!
「え? ちょ、何で?」
ヒタヒタ……。
裸足で歩く音が、背後へと近づく。
私は身を震わせながら、恐る恐る振り向いた。
チビ、ハゲ、デブの三拍子揃った変態おじさんと目が合うと、背筋が凍りついた。
『キシシシ……今回は、この小説を変態化させてやるぞい』
何言ってるの……この変態おじさん。
危ないクスリやってるの?
そんな変態おじさんの前に、気の強い茜が歩を進めた。
茜は勇ましく、言い放った。
「ちょっと変態ジジイ! そんな格好で何やってんの! 警察呼ぶからねっ!」
『何が警察じゃ、小娘が! ワシが作り出したこの変態異世界に、そんなものはないぞい……キシシシ』
うわぁ。
やばいよ、この人……。
かなりきてる……。
変態おじさんは鼻息を荒くして、怪しい手つきで近づいて来た。
「いやっ……」
恐怖に堪えられなくなった私は、茜の背中へと隠れた。
その刹那、変態おじさんが飛びかかってくる。
「来んな、変態ジジイ!」
茜は、側に置いてあったゴミ箱を素早く掴むと、変態おじさんに向けて投げつけた。
バコッ‼︎‼︎ \\\\☆////
『おごぉ‼︎』
なんとゴミ箱は、ものの見事に変態おじさんの股間に命中した!
『おご……つ……つ……潰れた……』
股間を押さえながら、前のめりに崩れる変態おじさん。
今だっ!
私は茜の腕を掴んだ。
「茜っ、早く逃げようよ!」
だが次の瞬間、ドアが開かない事を思い出した。
「ああっ、でもどうしよう! ドアが開かないんだった」
すると茜が「春香、どいて!」と、私を脇へと押しやった。
茜は、眼光鋭くアルミサッシのドアを睨むと、身構えた。
え……まさか、蹴るの?
茜の目がキラーンと光ると、細くしなやかな脚が空を舞った。
「あ、水色……」
一瞬、茜のパンツが見えた。
\\\\ ドカーン‼︎‼︎ ////☆
直後に、激しい音と共にドアが吹っ飛んだ。
わぁ、す……凄い。
この子、球技より格闘技の方が向いてるんじゃないの?
そんな事を思っていると、茜が振り返った。
「なぎさ先生のところに行こうよ、春香!」
「う……うん、そうだね」
戸惑いながらも、私達は千葉先生がいる体育館へと急いだ。
廊下を駆けながら、私は一瞬だけ振り返った。
変態おじさんの姿は見えなかった。
つづく……
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