念蔵の冒険

 男は名を念蔵といい森で暮らしていた。彼にはもとより冒険に対する憧れがあったのだが、それは実行に移すほどのものではなくて、何もなければ憧れのままに終わるはずのものだった。しかしある時、森を歩いていると青い球体につまずいてそれを割ってしまった。中から現れたのは緑色をした小人で、彼は甲高い声で念蔵に呪いを投げつけると木々の隙間に消えていった。

 呪いをかけられた瞬間はぞくりとしたものを感じたものの、すぐには何も起きなかったので、念蔵はそのままいつものように木を切ることにした。けれどもそこで気づいた。なんだかうまく木を切れない。さすがにどうもおかしいと思った念蔵は村一番の物知りじじいに相談することにした。じじいは念蔵の目を見るなりお前は呪われていると言った。お前は妖精によって旋律を奪われた。いずれ体はその不在に気づいてまったく動かなくなってしまうだろう。

 念蔵は大きくかぶりを振ってからじじいに問いかけた。どうすればいい? じじいの答えは簡単だった。その妖精を見つけ出して殺せ。それが一番簡単な方法だ。こうして念蔵は村を後にして、当面の食料と使い慣れた鉈をもって旅にでることになった。念蔵には妖精がどこに向かったかわからなかったが、じじいはお前の思うように動けば必ず妖精にでくわすことになると言った。その言葉通りに念蔵は思いついた方向に歩いていくことにした。

 五つの川と七つの村と九つの森を越えて念蔵は妖精を追いかけた。森を越えるにつれて念蔵は妖精の雰囲気がより近くなっているように感じたが、あるいはそれは勘違いかもしれなかった。そうして最後の森を越えた先には大きな城がひとつ待ち構えていた。それは長らく人の暮らしていないようであちこちにほころびができていた。念蔵は一夜の宿を借りるためその廃城に忍び込むことにした。だれも住んでいない巨大な建築物はそれだけでずいぶんさびしいものだったけれど、一晩寝るだけの場所にたいした注文はつけられなかったから、念蔵は気にせず横になった。

 眠っていたのかあるいは半分起きていたのかわからないけれどそこで念蔵は女に会った。女は身分の高いらしくきれいに着飾っていた。この城に住む私たちは悪い妖精によって魂を奪われました。人に見えない姿となってさまようことしかできなくなったのです。どうか北の洞窟に潜むその妖精を退治して妖精から魂を取り返しくださらないでしょうか。念蔵は目覚めてその女の言葉をはっきりと覚えていた。そうして雄叫びを上げた。ようやく妖精のしっぽを捕まえることができたのだ。あとはこの鉈でもって殴り殺してしまえば終いなのだ。

 念蔵が早速、洞窟に向かったところその入口では巨人が待ち構えていた。巨人は吠える。この洞窟に入りたければ我を倒すがよい。念蔵は昨夜の夢を思い出す。女の語るところによれば巨人はあらゆる攻撃を受け付けないがたった一つだけ弱点があってそれは右膝の裏でありそこを叩けばあっさりと倒せるらしい。とりあえず念蔵は鉈でもって巨人の左腕を斬りつけてみるがなんの手応えもない。ついで右肩を打つもびくともしない。

 巨人はにやにやと笑って念蔵を見下ろしている。念蔵はくるりと巨人の背後にまわると女の言ったとおりに右膝の裏へと力いっぱい鉈をたたきつけた。するとこれまでになかった手応えがありべきりと鈍い音をたてると巨人の体は地面へと崩れ落ちた。これで念蔵は昨夜の女が嘘をついていないことがわかった。おそらくこの洞穴の奥には妖精が待っている。倒れた巨人に興味はなくそのまま放って念蔵は洞窟へと入っていった。

 洞窟の中は薄暗くて先の見通せないが分岐はなくまっすぐ進んでいけばそれで奥の方へと向かっていった。時間の感覚がうすれてどれくらい歩いたかわからない先に光が見えて念蔵は目を細める。そこにはあの緑色の小人、悪い妖精が待っていた。相変わらず甲高い声で何事かをわめいていたがそれは念蔵の知ったことではなかった。手に馴染んだ鉈を振り下ろせば妖精は砕け散る。同時にどくんと念蔵は自分の身のうちに旋律の戻ってきたことを知った。

 来た道を戻って念蔵は洞窟から出た。そこにはすでに巨人の姿はなかった。目的を達した念蔵は村へと帰ることにした。その途中で廃城に立ち寄ったところそこはにぎやかに人で溢れていた。念蔵に気づいた門番は彼を城の中へと案内する。玉座に待っていたのは夢の女で彼女は王女を名乗った。悪い妖精によってこの城にかけられた呪いは解かれたのだという。

 王女は念蔵に欲しい物を与えようと申し出る。念蔵には特に必要とするものがなかった。この足があればどこにでも歩いていけるし、この鉈が一本あればそれで仕事はできる。なにか不便なところはないかと考えたところ特になかったしとりあえず今お腹が空いていたから腹いっぱい飯を食わせてほしいと念蔵は言った。王女はそれでしたらと秘蔵のテーブルかけを彼に与えた。そうしてそれを彼の前に広げてみせるとそこにはたくさんのごちそうが並べていた。王女はこれでもうあなたは生涯、ご飯に困ることはないでしょうと言った。念蔵は喜んでそれを受け取り城から去っていった。

 さてその後、村に戻った念蔵は冒険に対してひとまずのところ満足して元の仕事に戻った。魔法のテーブル掛けを使えば食べるものには困らなかったが仕事が好きだったのでそのまま木こりの仕事をつづけていた。

 そうして暮らしていると南の方で竜が目覚めたという噂が聞こえてきた。なんでもそれは数百年周期で寝たり覚めたりを繰り返しているそうで今年がその目覚めの周期だという。目覚めたばかりの竜の気性は荒く周辺の村や街を手当たりしだいに破壊しているとの話。それを止めるには勇者と呼ばれるものの一撃が必要らしいがそんなものは伝説であって本気で信じている人は少なかった。

 ところは変わって廃城の姫は勇者の存在を知っていた。それは他ならない、妖精殺しの称号を得た念蔵のことであった。けれどもまた彼の力はまだ竜を屠るに足りないこともわかっていた。故に王女は念蔵のもとに導くものを派遣することにした。その導くものとは一羽の烏で彼は念蔵の行くべきところをきちんと教えられていた。烏は念蔵の住んでいる村までたどり着くと彼の振るう鉈の先にぴたりと止まった。そうして烏は念蔵に彼のするべきことを過不足なく語った。

 念蔵はといえばちょうど再びの冒険を求めていたところだったからその烏の誘いにするりとのることにした。烏の言葉によれば念蔵は竜を相手にする前に石人形を打ち割らなければならないとのことだった。それは東の神殿に眠っていて竜殺しを選定する役目を持っているらしい。念蔵と烏は山を越え海を越え、島一つをまるごと改造された巨大神殿へとたどりついた。

 神殿の入り口にて彫刻された扉が念蔵に資格を問いかけるが、烏は行きずり鼠のねじり三回転という合言葉によってそれを保証する。内部は入り組んだ迷路になっており、烏は念蔵の思うように進めば求めるところにたどりつくと言った。念蔵と烏は三日三晩の迷宮探索の末にその最深部に到着する。

 そこに待っていたのはもちろん石人形で彼は言葉を持たず念蔵へと襲いかかってきた。念蔵は巨体の突進にひるまず立ち向かうと正面から鉈でもってその脳天を叩き割った。石人形は核に損傷を得て再び休眠状態に戻る。石人形を打倒したものに神殿は自動的に祝福を与える。それによって念蔵の持つ鉈は聖別され竜にたいして損傷を与えることができるようになった。

 いよいよ念蔵は竜殺しという最終段階に踏み入ることになる。烏はその体を巨大化させると念蔵を竜のもとまで運んだ。烏の背に立ちながら念蔵は竜と対決する。念蔵は竜に語りかける。おはよう。竜は応える。お前が今代の竜殺しか? 言葉の代わりに念蔵は聖別された鉈を構える。竜がにやりと笑った、ような気がした。

 大きく口を開くと火炎を吹き出す。予備動作の時点ですでに烏は回避行動に移っている。その火炎も消え去らぬまま、追撃とばかりに竜の爪が念蔵を襲った。烏は空中で姿勢を立て直している途中で動けない。念蔵は鉈でもって襲いかかる爪を叩き落とす。さあ反撃だ。烏はまっすぐに竜に向かって飛んだ。恐怖はない。自分の背には聖別された武器を持った竜殺しがいる。念蔵は何も考えない。大きく鉈をふりかぶった。

 その時ふと思考をさえぎるものがあった。これで冒険はおしまいなのだ。後悔はない。そろそろ村が恋しくなってきた頃だったから。脳天に一撃をくらった竜は墜落する。そのまま火口でもって再びの眠りにつくのだろう。念蔵は烏に言った。このまま村まで送ってくれ。俺は自分の生活に戻るから。烏ははじめ彼を王女のもとにつれいこうと考えていたけれど結局のところそれをやめた。彼はそうした儀式を必要とはしていない。出会った場所で念蔵を下ろすと烏は去った。

 念蔵は大きく伸びをする。ひと仕事終えたという感覚。今日のところは帰ってゆっくり休むとしよう。そうして目覚めればまた新しい一日がはじまるのだ。けれども残念ながらすでに幻想の時代が終わりに差し掛かった今において彼の行動は阻害されることになる。三日たった朝、念蔵の家に来客があった。いかつい鎧をまとった壮年の男は言った。私の配下になれ。

 念蔵は相手が自分に敵対するもので話の通じないとわかったから容赦なく切り捨てた。それで一旦はその話は終わった。また三日たった朝、今度は大きな剣を背負った男が現れ同じことを念蔵に言った。念蔵は再び彼を切り捨てた。さらに三日後、巨大な盾を携えた男が現れた。念蔵は三度男を切り捨てた。そうして彼は国家と対立することになった。

 そのときになってようやく烏がやってきた。まずいことになったかもしれない。あなたは王にならざるをえなくなった。念蔵はその考えを好まなかったから烏に礼をして彼と別れることにした。なんにしろ同じ場所にとどまることはできなかったら行ってない場所に向かって彼は出発した。

 それは端的に言えば自分でないものを求める戦いであり非常に孤独なものだった。自分探しはよくあることだが自分でないもの探しはまずないものでそうして自分でないものをどこに求めればいいかと言えばその求める範囲はあまりにも広すぎた。あるいは狭い。自分の立ち入らないところは自分でないものだったが一度そこに訪れてしまえばそれは自分である場所だった。

 念蔵は歩いた。自分の行ってない場所を探しては虱潰しに歩いていった。その間にいろいろなものがやってきては念蔵を惑わしあるいはその行く手を阻んだ。そのいずれをも念蔵は鉈でもって切り落とした。そういうわけだったから彼の歩いた後には点々と血の跡がついていった。十年も歩きつづけたところで念蔵は彼の踏み入っていない場所がもう世界には存在しないことに気づいた。

 そうして彼に敵対するものも彼に味方しようとするものもどちらもすでに存在しなかった。いつのまにか彼は人間ではなく災害かなにかに近い扱いをされており人々は彼に対して互いに不可侵であることを約束していた。こうして念蔵の長い長い長い旅は終わりを告げた。冒険に飽いた彼は残りの人生を静かに木こりとして暮らしたというが定かではない。

 けれども彼が最後に鉈を振り下ろした大樹はそれを懐に抱き込んだまま成長し今となってはその持ちてだけをわずかに表面に見せている。世界のすべてを踏破したその鉈は再び振る舞われることを望みながら今も静かに眠っているというがそれはほとんど伝説にすぎない。その鉈は決して抜かれることはないからだ。現代では竜の存在は自然現象としてとらえられていてそれに対抗しようとするものもいない。

 鉈は静かに眠りつづける。決して覚めることなく。ついでに念蔵がどうなったかというとこれも語られることのないことだ。彼は結局最後まで不可侵として扱われた。故にその死すら誰にも知られなかった。王女も烏も彼のことを忘れた。だから最後に鉈を振り下ろしてそのままに死んだ彼はそのままに木と土に抱かれそして自然に還った。だから鉈といっしょに彼もその場所で眠っていると言える。あるいは大樹そのものに吸い上げられてその一部になっているとも言える。どうせ正確な言説などないのだからそこのところはどうだっていいのである。

 もっともっと長い時間が流れて世界は爆発してすべてこなごなになって消えた。すくなくとももとの形はなくなってしまってだれも過去のことを覚えていなくなって区別がなくなった。

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