第39話
夜の冷たい風が残っており、太陽が顔を出したのにも関わらず、未だ防寒具が欲しいほどの気温だった。
早々に朝食を済ませた彼らは、粗雑な宿に長居するのも辟易したように、足早にチェックアウトを済ませて外に出る。出された朝食は、あまり褒められるものではなかった。アフラムはおろか、健康体のディジャールですらも一口咀嚼し、それ以来一切手をつけなかった。
朝の霧がまだ晴れないが、町はもう営みを始めている様子だった。いたるところで工具の硬い音が鳴りだし、慌ただしく朝の支度をする職人や、その弟子が大通りを往来している。彼らはその人の波を上手く避けながら、ラニの工房へと向かっていた。
人の大通りから少し逸れると、もうそこは別世界のようにシンとしていた。大通りの方の職人は既に働き出しているが、まだこの辺境では眠っている時刻であるらしい。
外観からも、その貧富の差は見て取れていた。華やかな富裕層は朝早くから労働をはじめ、貧困層はまだ眠っている。実力主義の技術の国では、こういったことも珍しくはない。
ラニの工房が見え始めたとき、ふと、ソリバは違和感を覚えた。昨晩に訪れたときとは何かが違う。実際、その違和感はアフラムとディジャールにも伝わっていたようだった。新人ばかりは呑気にあくびをかみ殺して、寒そうに襟もとを掻き寄せている。
工房が目と鼻の先になると、本来木製の扉があるはずのところが、ぽっかりと穴が開いたようになっていた。地面に、扉であった木片が散らばっている。どうやら、何者かが押し入った様子であった。
「先客かな」
ディジャールは軽々しく言うが、その表情にはどこか警戒心が滲んでいた。
「急いだ方がいいみたいだね」
「言われなくても分かっている。行くぞ」
ソリバはあくまで冷静を保ってつぶやき、それとほとんど同時に駆けだした。その後ろをディジャールが追い、突然のことに面食らった新人は、待って、と言いながらドタドタと走る。アフラムは溜息を吐き、歩いて後を追った。
工房の中はもぬけの殻だった。扉の残骸が漂わせる危機感とは反して、そこは眠っているかのように静かだった。工房の奥へ続く扉の周辺に、何やら油や五寸釘やらが散らばっている。
「兵器がないね」
ディジャールがそう呟き、ソリバがそちらの方に目を向ける。そこは以前あったはずの棚が消失し、ただの壁がむき出しになっていた。錆びれた赤銅色の目立つ壁である。
「何かあったみたいだけど……」
と、その時、工房の奥の方から何やら人の声が聞こえた。奥に続く扉を隔たった、複数の大人の声である。ラニの幼い声も、かすかながら響いている。が、その声色は穏やかではない。
ソリバはすぐに扉を開けようとした。だが、それをディジャールが止める。右腕を掴まれたソリバは、忌々しそうに振り返った。
「何のつもりだ」
「まぁ待ちなよ。少し会話を聞こうじゃないか」
「相手は複数。さらに大人の男だ。襲われているかもしれない」
「おかしいと思わない? 大の大人が、ただの子供一人に押し入るようなことするなんて。何か隠していることがあるんだよ、きっと」
「あ、あの、何の話ですか?」
ふと、後ろから大きな声で訪ねた新人に、ディジャールがしっと指を立て、口をふさぐ。幸いにも向こうには知られていないらしい。
ディジャールは有無を言わさず、ジッと扉の向こう側へ耳を傾けた。気づけばソリバも、無意識のうちに気配を消そうとしてしまっていた。
「……から、………って……」
「それが………だから、………違法だと、……」
「……なんで……これが……」
「容疑……のは……三度目だな。もう………はでき……」
途切れ途切れに聞こえているのは、ラニの弁解をする声と、それにきつく詰問している声らしかった。
(違法? 容疑? ……まあ、たぶんあの兵器の関連だろうけど)
「だから……するの? ………自由は……じゃないか……」
「……逮捕しろ……こいつが………遅い………」
それと同時に、何やら金物を取り扱っているかのような硬い金属音が鳴り始める。それに抵抗するように、ラニの甲高い声がハッキリと聞こえ始めた。
「や、やめてってば! 僕は何にもしてないじゃないか! ねえ、やめてよ!」
その時、反射的にソリバは飛び出していた。扉を体で押しのけ、風のような速さでその場に踊り出る。パタン、と地面に倒れた扉はディジャールと新人の姿をも露わにし、彼の引き攣った表情が相手方によく見えてしまっていた。
ソリバの視界には、複数の白い装束を来た男たちに腕を掴まれるラニと、その首筋に迫った太い拘束具が映った。
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