二十三.
「ダンス部の子も、この前SNSにアップしてた動画はあなたが編集したって言ってたよ。会長も一緒に踊ってたやつ。ホントすごいね? なんでもできちゃうんだ」
早希先輩に褒めちぎられると、居心地悪そうに両膝を擦り合わせ、背中を丸めて小さなスマホ本体で頑張って顔を隠そうとする喜多川さん。
褒められたから照れているのか? ……いや、たぶんこの挙動は……。
「……花巻部長が」
ぼそぼそと、
「りえかさんに、相談されてた。廻谷のホームページ、ずっと変わってなくて古臭いから……新しくできないかって……」
耳まで真っ赤に染めた喜多川さんが、
「やりたい……それもやりたい……から、今はウェブデザインの勉強とカラーコーディネートの資格取ろうと思って……それで、りえかさんのお役に立てるなら……」
そこまで言い終えると急に足をバタつかせ、首を左右に振ってさらさらのショートカットを暴れさせる。
な、んだ、この小動物みたいな女の子は。可愛い顔してスペックもフットワークもレベチじゃないか。パソコン部に入ってきたすんごい子って……そういうベクトルで⁉︎
「はあん。そういう腹だったか」
腑に落ちたみたいな顔で頷いた辰吾先輩が、おもむろに自分のスマホを取り出す。
「喜多川さん、りえか追っかけて廻谷入ったろ? この狭い町でもグループでも、そりゃあ有名な女だからな」
いやいや。え? りえか会長の追っかけってだけならまだ百歩譲ってわかるけど。
それで模試もトップ取ったりゴルフで優勝したりは普通無理だろ⁉︎ 酔狂でやれる次元の追っかけではないって。一周回ってバカだって。考え直せ。そんなに高い才覚をお持ちなら、その才能の使い道をもうちょっと精査したほうが良いって!
……いや。喜多川さんがそういう子だったとしても。
「本当にタレコミして良かったの? だって、いくら離婚したって言っても、きみは小早川巡さんの子で……ええと、選挙とか……」
僕が気まずそうに伺いを立てると、喜多川さんも動きを止め、きょろきょろと視線を地面へ泳がせている。
彼女はただ鳩ノ巣りえか信者ってだけじゃない、はずだ。今もグループとの繋がりは持っているはずで、もし今回の事件が明るみになれば、二年前と違って今度こそは……。
あれ、でも彼女は辰吾先輩のおじいさんの選挙に協力していたのか。
よくわからなくなってきた。彼女は結局どっち側の人間──どっちの味方なんだ?
喜多川さんが自ら胸の内を明かすまで、僕も他の生徒会二人も、慌てることなく静かに唇が動くのを待っていた。
「……から……」
彼女はうつむきがちに答えた。
「どっちも好き、だから……りえかさんも、滝口先輩も……」
「え。……あっ」
「この町はね、古くて狭くて、昔からのしがらみもあったりして……大人たちはあっちこっちで喧嘩してるかもだけど……子どもまで、一緒になって喧嘩しなくて良いと思う……りえかさんにも滝口先輩にも、廻谷の人は、みんな、仲良くしていて欲しい、から……」
辰吾先輩は背中を軽くそらし、後頭部をわしわしとかきむしっている。親か先生に説教された悪ガキの、ほんのわずかに残された素直さみたいな反省の色をにじませ、
「そうかい。心配かけて悪かったな。内藤あたりはともかく、りえかとは、別にお前が思うほど喧嘩しちゃあいねえよ」
とそっけなく返した。本当かよ──とは、僕も早希先輩も水を差してやらなかった。
「知ってます。お二人とも、今は同じ生徒会ですものね」
喜多川さんは顔を上げると、なぜか辰吾先輩でも早希先輩でもなく僕をチラ見した。まともに目が合ったのは初めてだ。しかしすぐに目を逸らした喜多川さんが、
「……そ、れに……」
ここまでよりもうんと小さな声で。
「涸沢くん……籠森の人でもないのに、毎日、生徒会ですごく頑張ってる、から……」
なにを言われたのか、しばらく理解できなかった。
僕が頑張ってる? なにをどう頑張ってるって? 僕なんて、早希先輩に釣られて──そう、内藤先輩に図星つかれたのは癪だけれど、やっぱり廻谷のマドンナにほいほい乗せられて成り行きで生徒会に入っただけの、大した取り柄もない男子生徒で。
きょとんとしている間、隣で話を聞いていた早希先輩が喜多川さんへしきりに頷き、感極まったように唇を噛んでいる。
「そうか、なるほどな!」
肩にぐっと体重をかけられ、驚き振り返れば、辰吾先輩がしたり顔で僕を見下ろしていた。
「涸沢が決め手だったか。お前って、そもそも塚本のツレだしな。はっは、なかなか隅に置けねえ男じゃねえの」
「え? ……えっ?」
「話はよーくわかった。手ェ貸してくれてありがとよ。あとは……そうだな」
辰吾先輩はぱっと僕から手を離すと、相変わらずガラの悪いしゃがみかたでベンチに腰掛けたままだった喜多川さんと頭の位置を揃える。
「なあ喜多川さん。その涸沢の顔に免じて、もーいっこ頼みがあんだ」
こらこら、どこ見てるんだ辰吾先輩。そんな怖いリーゼント頭で、女子高生の胸元をガン見するんじゃないよ。
……ああ。
用があるのは胸じゃなくて、ずっと大事そうに抱えているスマホのほうか。
「さっき撮ってた写真。そのデータ、しばらくは俺の預かりとさせてもらえねえか?」
さっと顔色を変えたのは早希先輩のほうだった。そうか、あの写真には連中だけじゃなく僕らも……。
「もちろん消せとは言わねえ。虫が良い話ってのは重々承知の上でだ。預かるだけなら別にりえかでも良いけどな。まあ直接グループのほうに流すってんなら俺が止められた立場じゃねえが、たとえば……出水みたいな無神経な野郎の手に落ちちまうと、ちょいとな」
出水将斗──町の外から潜り込んできた、新聞部の野次馬。
「あいつとは俺もソリ合わねえし。ほら、塚本ががっつり制服で映っちまってるだろ? そのタレコミでさっき居た大人連中が痛い目見るだけなら別に構わねえんだが……ほら、お前の姉ちゃんの時もよ」
「わかってます」喜多川さんはいつになく明快な声色で答えた。「出水くんにもグループの人にも、誰にも渡しません」
決して雰囲気や、他人の声には流されないという強い意志を感じる。
彼女も間接的とはいえ、二年前の事件に近い場所で関わっていたからこそ、きっと僕よりもくっきり見えている景色があったのだろう。
「こういうのはいつも、ただの趣味でやってるだけで、誰かに見せたくてやってるわけじゃないので。それに……あの会見の後、記者や町の人に追い回されて話を聞かれたのって、学校の大人たちじゃなくて私たち生徒のほうだった。大人たちはいろんな知恵があるから上手く逃げられたけど、子どもはそんな上手に逃げられないから」
きゅっと唇を引き結ぶ。
「お姉ちゃんも、自分が体張ってあんな無茶したって全然意味ないって気付いただろうし。その場限りの正義感だけで動いても、割りを食うのも痛い目に遭うのも、今は大人じゃなくて子どものほう……私たちも、大人たちや社会との付き合いかた、戦いかたを間違えちゃいけないと思う」
「……そうか」
「きっと、りえかさんも……りえかさんこそ、誰よりも一番わかってるんじゃないですか? あの人、本当はもっと広い世界に出て、なんでもできてなんにでもなれるすごい人なのに。きっと、廻谷と廻谷生を守りたくてずっと残ってくれてるんです。この学校で、この町でやりたいことが明確にある人だから……自分の目が届くところに居続けて、そのまま大人になって、最後は自分の力で学校を、町を守れるように」
廻谷期待のホープ、次代の鳩ノ巣りえか。
辰吾先輩にも負けないくらいに地元愛と学校愛をこじらせた、喜多川さんの胸にはめらめらと燃えたぎった情熱の炎を秘めていて。
「──廻谷の生徒会長も、ずっと最前線で戦っているんですよ」
× × ×
「はっはははは!」
そこまで聞き終えると、辰吾先輩が青空を仰いで声高らかに笑う。
「まだまだ籠森も捨てたもんじゃねえな! 廻谷にだって、まだ全然おもしれー奴が残ってるじゃねえか」
「そ、そうですね……かなり面白い子ですね、彼女」
「なに言ってんだ、お前もだろ涸沢。つーか喜多川さん。そんなにりえかに首っ丈だったんなら、お前も生徒会入りゃいいじゃねえか」
スマホをリーゼント頭へ掲げ、
「とりあえずこっちには呼んでおいたぞ。せっかくだ、最後に直接話していけや」
そんなことを言い出したら、この場にいた全員はもちろんぎょっとする。
まさか、辰吾先輩! さっき自分のスマホを弄ってたのって!
「呼んだって……今ですか⁉︎ だからりえか会長は今──」
「どうせいつものゴルフ場だろ? ここからそんな遠くねえよ。あっちの酔狂な廻谷オタクも、生徒会のピンチって聞きゃあすっ飛んでくるに決まってる」
すかさず生徒会のグループチャットを確認する。チャットには辰吾先輩から送られたあまりにも危機感が薄く緊急感の出ない号令──『塚本 ヤバい 籠森公園』。
「ネットの検索エンジンかよ⁉︎ こんなんでちゃんと伝わるんですかあ⁉︎」
だが、誰よりもこの事態に取り乱したのは喜多川さんだった。
跳ねたようにベンチを立ち上がり、両膝をがっくんがっくん震わせ、歯をカタカタ鳴らして真っ赤な顔して、
「無理……」
「えっ? 喜多川さ──」
「お先に失礼します! わたっわた、私はっ、毎日りえかさんと同じ空気吸えるだけで幸せなのでっ!」
普段の教室での様子からは信じられないほど猛スピードで公園を飛び出し、道端に停めておいた自分の自転車へ乗り込んだ。
ペダルに足をかけ、そのまま退散しようとするのを、
「喜多川さん!」
僕は叫んで呼び止めようとする。
自分も道へ出て、すでに出発してしまい数十メートル先を進んでいた喜多川さんへ、無性に聞きたくなったことを問いかけた。
「喜多川さんは、廻谷が好きですか⁉︎」
自転車がピタと止まる。
振り返った喜多川さんは頬を上気させていて、口角は変わらず固くて笑っていなかったけれど、どこか晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
「好き……大好き!」
気恥ずかしい。そんな大声で叫び返されると、なんか知らない人が見れば、まるで僕が告白されているみたいだ。
「廻谷も籠森も。今が人生で一番楽しいかも。できれば一生、ここで高校生やってたい、って思うよ!」
それだけを言い残し、喜多川さんはすたこらさっさと逃げていった。
彼女と入れ違うように──ほとんどタッチの時間差で、黒塗りのタクシーが公園の前でピタと停車する。
「早希っ!」
りえか会長の顔も赤かった。
ついさっきまでゴルフをしていたのが一眼でわかる、風通しの良さそうなゴルフウェアを着て帽子をかぶって。文字通りすっ飛んできたから紅潮しているのか、タクシーの中でもずっと気を揉んでいたから体内に熱を溜め込んでいたのか。
荷物も車内に放ったまま公園へ駆け込んできたりえか会長は、早希先輩を見つけるなりひたと抱きしめた。
「大丈夫、早希⁉︎ 怪我してない⁉︎ 酷いことされてない⁉︎ バカ、おバカ‼︎ ほんっとバカなのよ、もう‼︎ 早希、早希、早希、早希〜〜〜〜〜ぃっ‼︎」
……ああ。
ちゃんと伝わったんだ、あんな辰吾先輩の拙い文章で。
ちゃんと伝わるだろう、あのりえか会長が脇目も振らず人目も憚らず、ぼろぼろと涙を流しながら心底愛おしそうに抱きしめてくれるなら。
「う、うう」
早希先輩はぷつんとなにかの糸が途切れたみたいに、言葉にもならない声を上げ、同じくぼろぼろと雫を地面へ落として、しばらくりえか会長の汗ばんだ背中に飛びつき嗚咽混じりに叫び続けた。
最悪の事態を免れたことに安堵する一方、確かにこんな状況、当事者であったとしても立ち会っている間はなにをすれば良いんだろうと、とっくに女子二人から距離を置き遊具で年甲斐もなく遊び始めた辰吾先輩を尻目に、僕はその場でただ立ち尽くしていた。
……喜多川さんには、僕からも改めてお礼を言わなきゃダメだな、こりゃあ。
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