第6話 言わなかった話

「あーんしてください」


「あーん」


「……」


 翔利が瑠伊に食事を食べさせて貰っている光景を華が静かに眺めている。


「やっぱり自分で食べるより美味しい」


「いつもそう言ってくれて嬉しいです」


 そんな事を話しながら瑠伊は翔利に箸を運ぶ。


「なんかあれだねぇ」


「どうしたのばあちゃん」


「用事が済んだから残ろうと思ったけど、帰った方がいいかな?」


「居てよ。ばあちゃんがいつも居ないから結局トイレは瑠伊さんが帰るまで我慢だったんだよ」


「私は別に気にしませんよ?」


「俺がするの。身体を見られるのとは訳が違うんだから」


 瑠伊の仕事は食事を食べさせるだけではない。


 お風呂に入れない翔利の身体を拭く仕事もある。


 それはもちろん上半身だけではない。


「慣れって怖いよね。最初は恥ずかしくて虚無ってたのに、今じゃ気にしたら負けだって思って何も思わなくなったからね」


「私も最初は恥ずかしかったですけど、だんだんと……」


 そこまで言って瑠伊が翔利から視線を外す。


「どしたの?」


「なんでもないです」


「冬なのにここだけ真夏なのかな……」


 華が窓の外を見ながら黄昏れる。


「斉藤が言ってたけど、あんた達毎日そうなんだって?」


「そうって?」


「いつも今みたいにしてるんだろ?」


「うん」


「斉藤には今度菓子折りでも送らないと」


 斉藤さんは少し前に退院してこの病室には居ない。


「声は抑えてるから他の人には迷惑かけてないだろうけど、少しは抑えなさいよ」


「仲良くするなって事?」


「人前では事務的にしなさいって事。退院してうちに帰った後ならいくらでもやっていいから」


 そう言われても翔利にとってはどこまでが駄目で、どこまでがいいのかが分からない。


 人と関わってこなかったから、人との距離感が分からないのだ。


 瑠伊もそうだからお互い照れはあってもどこまでがセーフなのか分からない。


「今更か……。まぁ私が色々言ったのもあるからなんとも言えないけど、人前ではせめて『あーん』って口に出すのはやめなさい」


「瑠伊さんの『あーん』が無いと食べた気しないんだもん」


「私もいらないって言ったんですよ。だけど佐伯さんが引かなかったので」


「翔利……そうだよね」


 華が悲しそうな顔で翔利を見る。


「どしたのさ」


「なんでもないよ。それより食事が終わったら聞きにくい事を聞いてもいいかい?」


「嫌だって言ったら?」


「瑠伊さんが悲しむかもしれない」


「絶対に聞く」


 翔利にとっても今の原動力は瑠伊だ。


 その瑠伊が悲しむような事は絶対にさせない。


「私に関するお話ですか?」


「そうだね。でもこれは瑠伊さんが話したくないなら話さなくていい話だから、話せる事か翔利を抜きにして聞くよ」


「大丈夫です。佐伯さんには私の全てを知って欲しいので」


 ここでいやらしい事を思った人は心が汚れている。


 翔利はその言葉を聞いてただ嬉しかった。


 自分が瑠伊の『特別』になれたのかもしれないと。


「じゃあ翔利も話すかい?」


「なにを?」


「両親の事」


「別に隠してないからいいよ」


 華はずっと気にしているけど、翔利にとっては終わった事なので誰に話そうと気にしない。


「その前に食べちゃおう」


「あ、はい。あー……、どうぞ」


 瑠伊が「あーん」を言ってくれない事にふくれながら運ばれてきた食事を食べる。


「味気ない」


「退院したらまたやりますよ」


「……我慢する」


「翔利が可愛い」


 ふくれる翔利を見て華がそう言う。


 なんだかんだ言っても、華は翔利を溺愛しているから瑠伊との絡みを見ているのが好きなのだ。


 華は翔利の食事が終わるまで不貞腐れる翔利を眺め続けた。




「寒いですね」


「俺のマフラー使う?」


「半分いいですか?」


 病室で話す事でもないからと中庭に出てきた。


 ここなら寒いので滅多な事では人が来ない。


 だから翔利のマフラーを瑠伊と二人で使っていても大丈夫なのだ。


「ばあちゃんの編んでくれたマフラーあったかいよね」


「手編みなんですか? すごいです」


 そう言って瑠伊がベージュのマフラーを手に取り眺める。


「なんかもうあれだね」


「ん?」


「早く結婚しろって感じだよ」


 華が呆れた様子で二人に言う。


「俺も瑠伊さんも結婚できる歳じゃないよ?」


「そういう事じゃないんだよ。まぁ気にしないでいいよ」


 翔利はよく分かってないようだけど、瑠伊の方は少し顔が赤くなっている。


「じゃあ明るい話は終わりでいいかい?」


「俺の話は別に暗くならないよ?」


「翔利はね。まぁ簡単に話してくれるかい?」


「うん。簡単に言うと、サッカーの才能があるって父親に言われてクラブチームに入れられて、そしたらそのクラブチームで一番になっちゃったんだけど、そのせいで両親が調子に乗って俺をサッカー漬けにしたんだよ」


 翔利は別にサッカーが好きとかではなかった。


 華の影響なのか、翔利は基本的に大抵の事ははできる。


 その中でもサッカーは出来すぎてしまった。


 だから小中とサッカーだけをやらされてうんざりしていた。


 本当はサッカーの強い高校に行かされる予定だったけど、遅れてきた反抗期なのか、高校は翔利が自分で選んだ(近い場所を)。


 でもその代わりにクラブチームには通わされていた。


 瑠伊と出会う少し前までは。


「瑠伊さん前にさ、俺の人生狂わせたって言ったじゃん?」


「はい。佐伯さんの足ではもう前のようにサッカーは出来ないので……」


「俺ね、ずっとサッカー辞めたかったんだよ」


「え?」


 翔利にとってサッカーは両親の話の種としか思っていなかった。


 翔利が有名になれば「あれは自分の息子だ」と自慢が出来る。


 翔利にとってはそれだけのものだった。


「だからむしろ瑠伊さんには感謝してるんだよ。いくら両親がからってクラブチームの監督には辞めないでくれってうるさく言われてたから」


「やっぱり佐伯さんのご両親もお亡くなりになっているんですか?」


「飛ばしてた。なんかの食事会に行ってる途中で事故にあったって」


「佐伯さんは無事だったんですか?」


「うん。だって俺は行ってないもん」


 有名なクラブチームの監督が俺をスカウト? したいということで食事会に翔利を招いた。


 だけど翔利はそんなめんどくさい事をしたくないので熱がある事にしてサボった。


 どうせ翔利に発言権はないのだから「自分が行かなくてもいいだろう」というのもあった。


「あの時は大変だったよ。わざわざ謝りに来て。最初は事故に見せかけて俺を殺す気だったんじゃないかとか思ってたし」


 実際は本当ににただの事故で、信号無視の車に両親は撥ねられた。


「そんで晴れて自由になったけど、今までサッカーしかしてなかったから、自由を貰っても何したらいいのか分からなかったんだよね」


 そこに現れたのが瑠伊だ。


「俺は瑠伊さんに救われたんだ。制限付きの自由が完全な自由になって、更に瑠伊さんっていう存在に出会えた」


 傍から見たら最悪の出会いなのだろうけど、翔利からしたら最高の出会いだ。


「だからありがとう、俺と出会ってくれて」


「……」


 翔利の言葉に瑠伊が沈黙で返す。


「佐伯さんはご両親が亡くなった時悲しかったですか?」


「特に何も感じなかったかな」


 それを聞いた瑠伊がマフラーを外して翔利に返した。


「瑠伊さん?」


「実の両親が亡くなっても何も感じないんですね」


 瑠伊が悲しそうな目をする。


「瑠伊さん、翔利はに説明しただけだよ。実際はそんなに軽くないからね」


「え?」


 華が瑠伊のしている勘違いを解こうと口を開いた。


「翔利はサッカーをやらされてたって軽く言ってるけど、実際は義務教育だからって学校を休ませて毎日暗くなってもサッカーの練習をさせてた。この意味が分かるかい?」


「……私とは違う意味での虐待です」


「そう。翔利が全部を話さないから私も分からないけど、手を出さなければ虐待にならない訳じゃない。翔利には文字通り自由が無かった」


 翔利に友達がいなかったのはそもそもあまり学校に行ってなかったから。


 両親にさせられてたサッカーの練習も一人。


 そして華には話していないが、もしもサボったり試合に負けたりしたら食事が抜かれたりがあった。


 たとえ試合に勝ったとしても「そんなのは当然」とダメ出しが始まる。


 翔利の両親は別にサッカーに詳しい訳ではないから素人目で知ったような事を延々と言われ続けた。


「翔利には自由も幸せも無かった。瑠伊さんはさっき両親が死んで何も感じないのかって言ったけど、今の親代わりが亡くなった時に悲しめるかい?」


「……悲しめません。もしかしたら喜んでしまうかもしれません」


 瑠伊が今にも泣き出しそうな表情で言う。


「佐伯さん、ごめんなさい。佐伯さんの気持ちも考えないで勝手な事を言って」


「別にいいよ。多分普通は実の親が死んだら悲しむんでしょ? ばあちゃんが前に言ってたけど、人格が形成される時期に普通じゃない事をさせられてたから俺は普通と違うっぽいし」


 翔利はとかけ離れた生活をし過ぎて同年代の人と考え方がズレている。


 だから瑠伊といくらイチャついてもそこに恋愛感情が浮かんでこない。


「でもばあちゃんも悲しそうじゃなかったよね?」


 華も翔利と同じように葬式の時には涙を流さず、ずっと棺を睨んでいた。


「当たり前でしょ。翔利を傷つけたんだから実の息子だろうと許せる事じゃない」


「ばあちゃんもありがとう」


「私はお礼を言われるような事はしてないよ。何も出来なかったんだから……」


 華はこうしていつも自分を責める。


 もう少し早く気づいていたら翔利を幸せに出来たのではないかと。


「瑠伊さんが居れば俺は幸せだよ」


「嫉妬しちゃうねぇ」


「ばあちゃんもだよ。ばあちゃんが死んだら悲しいから俺を悲しませないでね」


「いい子だ事」


 華が優しく翔利の頭を撫でた。


「華さん、私に聞きたい事って言うのは」


 瑠伊が少しむくれながら言う。


「えっとね、瑠伊さんのご両親が無くなったのはいつなのかと思ってね」


「私が高校に受かってすぐです」


「事故で?」


「はい。車に撥ねられて」


「犯人は見つかってないと」


 瑠伊が頷いて答えた。


「ありがとう。ごめんね、嫌な事思い出させて」


「いえ、私にも佐伯さんが居ますから」


「その佐伯さんってのそろそろやめないかい?」


「まだ続けます」


 瑠伊が「まだ恥ずかしいです」と二人には聞こえない声で言った。


「呼び方なんて好きなやつでいいよ。それより寒いから帰ろ」


「そうですね。リハビリもしないとですし」


「マフラー使う?」


「人前になるので駄目ですよ。でも」


 瑠伊はそう言って翔利の手を握った。


「これぐらいなら大丈夫ですよね?」


「瑠伊さんの手、あったかい」


「この子達は……」


 なんで華がこんな話をさせたのかは分からないけど、翔利と瑠伊の言わなかった事が聞けて、また仲良くなれた。


 きっと華はそれが目的でこんな話をさせたのだと思う。


 そんな事は微塵も考えずに、翔利と瑠伊はリハビリ室に向かった。

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