第3話

(フィレンツェ……イタリアは犯罪が多いと聞きます。というかパリも。ギャスパー氏に教えを請えないのであれば、やはり私は調香師を目指したくありません……ごめんなさい)


 自分を送り出してくれた人々に対して、心の中で謝罪する。故郷に帰るか迷ったが、せめてバカロレアは取っておこうと考え直し、学園での学業を優先することとした。職業バカロレアを取る過程で、もしかしたらなにか他のやりたいことを見つけるかもしれない。はたまた、思い直してギャスパー氏がパリに戻って来るかもしれない。そう考え直し、とりあえずやれることをやろうと決めた。


(私は調香師になりたいのでしょうか、それともただギャスパー氏に近づきたかっただけなのでしょうか)


 握りしめた手を開き、ブランシュは凝視する。そこには香水のアトマイザー。大きく、日本の漢字という書き方で『光』と書いてある。フランス語で言うところのリュミエール。日本の要素を取り入れた、ギャスパー氏の作品だ。


 彼はテーマを決めるとき、カテゴリ分けをする。イメージを『俳優』と決めたら、一定期間は様々な 俳優をイメージした香水を発売する。世界の都市の時もあれば、天気の時もある。『光』は、日本の漢字がイメージの時だったらしい。一文字に多分な意味が隠されているのが好きだそうだ。


 オルファクティブピラミッド、つまり香水としてのピラミッドにおいて『光』は、トップにダージリン、ミドルにカルダモン、ラストにグルマンという、一見シンプルで甘い雰囲気を漂わせる組み合わせではあるが、どこか優雅と流線的な美を奥底に感じる。


 ダージリン・カルダモン・グルマンは香水ではよく使われる種類ではあるが、ダージリンの中にも様々な種類があり、カルダモンにもあり、グルマンにもある。その組み合わせだけでも何種類もオリジナルが出来上がるが、配合する割合を変えることによってまたさらに増えていく。


 一滴だけでも開く香りに違いがあり、それもまたオリジナルだ。お酒のウイスキーも水一滴で味が変わる繊細さを持つというが、それに匹敵する奥深さだ。『光』はギャスパー氏が考え抜いた、ギリギリのバランスの上に成り立つ。


 ブランシュは一四歳の記念に『光』を授かった。この子の未来に光あれ、と。それ以来、この香水を使っており、困った時や辛い時には香りを嗅ぐことで平静を保つ。ダージリンの効能だろうか。それ以来、誰かの『光』になりたいという気持ちが強くなり、勇気を持って入学希望を出したのだが、結果はこうなってしまった。


(しかし、これからどうするべきか、不安しかありません)


 社会勉強でなにか香りに関わるアルバイトなどができればいいが、労働管理局が目を光らせており、それも難しい。バレないようにやっている生徒もいると聞くが、元々引っ込み思案のブランシュには、『悪いこと』をわかってやるのは度胸が足りない。

 

 もしアルバイトをするなら、お花屋さんなんかどうだろうか。長くやっていたヴァイオリンが生きる仕事もいい。音楽が好きだからピアノの調律師とか、人の役に立つ仕事も興味がある。なんて、色々と妄想することが好きだ。


(なってしまったことはもう、どうしようもありません。お友達を作って……まず、こんな都会に住む方々と、どんなお話をして、お近づきになればいいのでしょうか?)

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