第51話 妖精(1)

 ユーラシア大陸の北端のチュクチ半島にある、エクセル・バイオの「極東高度研究所(Far East Advanced Research Institute)」は頭文字FEARIを捩って「妖精(fairy)」と呼ばれている。「妖精」にはいくつもの実験棟があるものの、行きかう人物はほとんどいない。年間平均気温で0度を下回るこの地に於いて、メインの研究設備はほぼ全て地下に建設されていた。

 エクセル・バイオが得意としているのはクローン技術と培養技術である。その最先端の研究技術が「妖精」に集約されていた。GMCデバイスが支給されてから、総帥であるヴィクトール・クローネルは「妖精」に籠ったままだ。

 ヴィクトールは培養庫と呼ばれている地下空間に足を運んでいた。

 バスケットボールのコートが4面も入る大きさの培養庫には、大小さまざまな培養カプセルが立ち並んでいる。メロンソーダを思わせる僅かに発泡した緑色の培養液の中にいるのは、牛や馬などの数種類の動物たち。

 5m四方の大きな培養カプセルの中には、体中にチューブが繋がった丸々太った異形な牛が入っている。顔と4本の足は小さいのに、肩から背中、腰までが異常なまでに大きい。肉の部位で言うと肩ロース、リブロース、サーロインと呼ばれるあたりだ。牧場で飼育されている牛の5倍ぐらいはあるだろうか。1頭の牛から5倍の食肉を得ることができる、エクセル・バイオ特性のクローン食用牛の研究によるものだ。

 隣にある4m四方の培養カプセルの中には、黒鹿毛の綺麗な馬が入っている。鍛え上げられたしなやかな筋肉に包まれた、今すぐにでも走りだせそうなサラブレッド。食用牛よりもたくさんのチューブに繋がれ、筋肉がピクピクと動いている。これは培養カプセル内で動けないクローン体の筋肉を鍛えるため、電気的な刺激を与えているのだ。理想的な肉体を作るための研究実験だった。

 しかしヴィクトールは周囲に目もくれずに、まっすぐ培養庫の奥へと歩いていく。辿り着いたのは巨大な金庫を思わせる頑丈な扉の前。「立ち入り禁止(Authorized Personnel Only)」と大きく書かれた扉の横にあるタッチパネルで、十数桁のアルファベットを押した後、掌を翳し、さらにカメラを覗き込む。暗証コードと5指の指紋、目の虹彩認証によるロックを外したのだ。

 プシューという圧縮空気とともに、重厚な扉が開かれる。

 中には幅1m高さ2mほどの円柱状の培養カプセルがいくつも並んでいた。中に入っているのは高身長でやせ型の女性。サラブレットと同じように全身の至る所にチューブが繋がれ、体中の筋肉がピクピクと動いている。カプセルごとに微妙に年齢が違うようで、奥に行くにしたがって若くなっているようだ。一番奥は、まだ胎児でしかない。

 ヴィクトールは一番手前の培養カプセルの前で立ち止まる。自分と同じ顔をした培養カプセル内の女性を、無表情で見つめていた。


 巨大な金庫のような培養庫で育成されているのは、全てヴィクトール・クローネルのクローン体であった。


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