第3話

「それでは、今日の部活はこれまでとする」


 ありがとうございましたと、部員全員が口を揃えて言った。

 空はもうオレンジに染まり、すぐにでも日が落ちそうな頃合い。


「それじゃ、僕もこれで帰りますね」

「ああ。お疲れさん」

「た、谷村先輩!」


 部長に挨拶をして、同情に背を向けた悠一にかかる声。

 振り返った先に居たのは、先程の試合で敗北を喫した一ノ瀬だった。


「えっと……どうかした?」

「いやその、失礼な態度を取って、その、……すみませんでした!」

「失礼失礼……ああ。うーん、まあいいんじゃない?」


 あっけらかんと、笑顔で悠一はそんな風に返した。


「い、いいって……でもオレ、後輩なのに」

「別に僕は気にしてないし……だったら、問題は何もない。違う?」

「いや、でも――」

「無駄だぜ一ノ瀬。そいつ、オカルトにしか興味ねぇから」


 部員の一人が、軽口を叩くように言った。

 続くように、数人が「そうそう」「だな」「間違いない」と笑う。

 それは決して、悠一を謗るための笑いではない。


 親しい間柄にこそ向けられる、冗談交じりの言葉だった。


 悠一は"努めて"不服そうに、唇をあからさまに尖らせた。


「オカルト、ですか?」

「ああ。なんだっけ? ママシー、……ミメ、ミメーシ、」

「……擬態種(ミメシス)ですよ」


 同級生の言葉を遮るように、悠一が言った。


「そうだそうだ、それそれ。こいつ、ミメシス事件の事をもうそりゃずっと漁っているんだ。もうオタクだよ、オタク」

「好きなんだからいいじゃないっすか。ゾンビを撃って倒すゲームが好きな人だっているんだし、何もおかしなことはないと思うんですが」

「いやまあ、そりゃそうなんだが……なあ?」

「擬態種――」


 一ノ瀬とて、聞いたことがないわけがない。

 今でこそ耳にすることが極端に減った単語であったが……数年前はそれこそ、テレビでもネットニュースでも引っ張りだこの単語だった。


「大体、あんなのがそこらにいてたまるかって。事件も報道こそされるけど、数は月に一回あるかないかだ」

「そうそう。ど田舎のこの街に? ないない。現れないって」

「……ですよね! あははは」


 悠一はそんな風に、後頭部を搔きながら笑って見せた。


 ――擬態種は人を喰らう。

 だからこそ、人が集まる都心部に現れる。


 それは、社会科の先生も認める、極めて一般的な論調だ。

 ふと、一ノ瀬は悠一の方を見やった。


 笑顔を振りまき、話を盛り上げているように見える悠一。

 されど一ノ瀬の瞳に映る彼の目は、ちっとも笑っているように見えなかった。


 悠一は笑顔を張り付けた顔で、冷めた視線をもってして、ただ地面の一点を見つめて――。


「でも……用心は、した方がいいかもっすね」

「何が」

「擬態種は……ずっと、身近にいるもんですから――なんて」


 そんな風に呟いた。


***


 歩けば歩く程に暗くなっていく通学路を、悠一は一人で歩いた。

 

 肩に下げた竹刀は、自分用にと購入したものである。

 剣道部の殆どは学校の備品を使う中、悠一だけは購入し、丁寧に竹刀袋に入れて持ち歩いていた。


「……やっぱり、遠征をしてでも向かうべきか? リターンは大きいが……リスクが勝る。よもや、特急電車ごときで手荷物検査なんてあるわけもないけど、うーん……――」


 横断歩道に止められ、赤信号が点灯している最中も……悠一はポケットからいつものメモ帳を取り出して、ページを開いていた。

 隣に並んで立っていた他校の女子高生は、ぶつぶつと怪しげにつぶやく悠一から距離を取る。


「三ヶ月前に摂取したから、まだ数日は保つはず……問題は、それがいつまでか……くそっ、僕にだって、わかるわけがないのに……」


 そこで聞き慣れた、電子音が奏でる「故郷の空」が、悠一の耳に届いた。

 はっと意識を覚醒させると、すでに隣に並んで立っていた通行人は前を行っており、道は更に暗くなってきていた。


 慌てて横断歩道に脚を踏み出したその刹那――。


「――けてっ」

「……声……?」


 本当に微かな音量であったが、悠一の耳には確かに届いた。


 ――幼い少女の声だ。


 遠く……だけど、声が届く範囲の中に、悲鳴と取るにはいささかトーンの低い……確実に聞こえたのは「助けて」という言葉。


 聞き覚えがあった。

 とても、古い、思い出。


「――っ」


 考えるよりも先に身体が動いていた。

 歩いた道を逆走し、家々の隙間にある路地を駆ける。


 仮に悠一が考えている通りの出来事が巻き起こっているのだとすれば――人目につかない場所こそが、奴らの『餌場』だ。


 路地の中にあった、開けた空間。ちょうど街灯が道を照らし始めた瞬間に到着した悠一の目に映った光景。


 両手でナイフを握りしめる少女の、小さな背中が網膜に焼き付いた。


「はぁっ、はぁっ、……」


 歳の頃はきっと十歳に満たない。

 病院で、入院患者が着るような衣服を身にまとい、裸足でコンクリを踏みつけている。


 そんな少女の眼前には、――一人の男。


 乾いた血が付着したツナギ姿。

 見るからに工場職員であるという風貌の中年男性。


 男の手には、鉄パイプのような長い金属が握られていた。

 何度も殴られたのだろうか、あるいは逃げる際に何度もこけたのだろうか……少女の服は土埃に汚れ、素足はあちこちが傷ついてしまっている。


「……手こずらせやがって。――ちっ! "刃物"が使えねぇのは厄介だが……しかし、もう終わりだ。観念しな」

「っ、助けて、……はぁっ、助けて、うう、……っ」


 少女はしきりに、誰かの「助け」を求めていた。

 見て分かるような荒い呼吸がしきりに繰り返されている。

 物陰に隠れて、その現場を目の当たりにして、悠一は思う。


 ――まだ、『少女は死んでいない』が。


「っ、何を考えているんだっ、僕は!」


 大きく頭を振った悠一は、竹刀袋から武器を取り出し、二人の間に割って入った。


「な、なんだお前はぁっ!」

「…………」


 激昂し、長物を振り回すツナギ姿の男。

 対して、悠一の背後からは、小さく儚い声が聞こえる。


「え、あ、たす、けて……?」

「ああ。僕は――キミを助けに来た」

「――あ、りが、と……」


 そこで緊張の糸が切れてしまったのか、少女はその場でへたりこんで、尻もちをつく。

 悠一は背後をちらりと確認し、ため息を一つ。


 ――できれば、その足で逃げてほしかったが……。


 そんな心の声も今は封じ込め、眼前で立ちはだかる男に意識を集中させる。


「だ、誰だお前は!」

「…………」


 武器を振り回し、ツナギの男は唾とともにそんな言葉を悠一に吐きかけた。

 されど、悠一は答えない。無言のまま、構えを鋭くして、心を落ち着かせる。


「じゃ、邪魔を、するな!」


 向かってくる男の動きは、決して遅くない。

 およそ、中年男性のものとは思えないほど早い。


 だが――。


「はっ」


 落ち着き払った様子で、悠一は男の武器を叩き落とした。


「な、」


 叩かれ、長物を取りこぼしてしまった男は動揺し、後退る。


 ――弱い。


 それが、悠一の正直な感想だった。


 ――"持っている"とすれば、すぐにでも反撃が来そうなものだが……。


 この時点で、悠一は眼前にいるその男が擬態種なのか、ただの人間であるのか判断がつかなくなった。擬態種が少女を襲っているという構図だとばかり思っていたが……ここに来て、ただの傷害事件である可能性も浮上する。


 とはいえ、どちらであっても、悠一の行動に間違いはない。

 相手がただの人間であるのなら、与し易いだけのこと。


「だけど――」


 悠一は背後を確認した。

 少女はまだ腰が抜けたままなのか……尻餅をついて固まり、立ち上がれていない。


 何の対抗手段も持たない少女を守りながらとなれば、たかが人間相手であっても、応戦できるかどうか……。


 そんなことを考えていた悠一に迫る影。

 敵は、もう動き始めていた。


「しまっ」

「殺すっ!」


 男が振り上げた鉄パイプをバックステップで躱すが、避けきれず、悠一の右肩を軽くその武器が叩いた。響くような鈍痛に驚き、手先までが痺れる。そこで悠一は竹刀を取りこぼしてしまった。


「くそっ」

「死ねっ! 死ねっ!」


 やたらめったらと無作為に、武器を振り回す男。

 よほど焦っているらしい。


 とはいえ、素人の動きだ。

 リーチこそ長い武器を使っているが……目線、そして足さばきから、攻撃を予測して避けることなど、悠一にとってみれば容易い。


 しかし――背後には、動けなくなった少女が居て。


「一か、八か……っ」


 悠一は"継ぎ脚"で大きく踏み込み、男のみぞおちに拳を叩き込む。


「うぐぅつ!」


 喘ぐ男を尻目に、後退して落とした竹刀を拾う。

 見れば、男は再び武器を拾い上げ、こちらへ向かって来ていた。


「この――」


 竹刀は先程の攻防と同じく、男の手背を捉えた。


「いたっ、」


 男は再び、鉄パイプを取りこぼす。

 そこで、悠一が只者ではないと感じ取ったのか……はたまた、別の思惑があったのか。

 男は悠一に背を向けて走り去った。


「ま――」


 言いかけて、手を伸ばしかけて、押し止める。

 今はもっと大事な事がある。だから飛び出してきたのだ。


「キミ、大丈夫?」


 振り返って、少女に駆け寄った。


「あ……う、うん……ありが――」

「ととっ」


 そこで少女は気を失い、悠一は慌ててその身体を受け止めた。

 あちこちが擦り切れて、ボロボロの病衣。普段着として着るには、あまりにも異質だ。


 どこかに入院していた彼女を、あの男が誘拐してきたのだろうか?


 そんな憶測を立てながら――ふと、悠一はその違和感に気がついた。


「……傷が、ない」


 破れた衣服の隙間から垣間見える素肌。

 裸足で駆けてきたと思しき、汚れた両足。

 見える範囲でどこにだって、傷が見当たらない。


 ――そんなはずはない。だってさっき、間違いなく擦り傷だらけの素足を見た。


「どういう――」


 意味を理解しかねていた悠一であるが、ふと――長い髪に包み隠されていた、少女の首に巻かれた『ある物』の存在に気付く。


 薄闇に輝く灯り。

 一定の感覚で明滅する緑色のランプ。

 チョーカーと言うには、仰々し過ぎる大きさの機械。


「――"ヒトガタ"」


 悠一の吐き出した言葉につながる材料は、全て揃っていた。


 擬態種は、人間を喰らう化物である。

 ただし彼らには感情があり、理性がある。


 なにより――彼らが彼らとなるには……人を喰らうようになるには、条件が必要な事がすでに解明されていた。


 一方で擬態種は人間の姿をしているだけで、全くの別種である。

 つまり、突然知人が擬態種に変貌したなんて事態は起こりえず、そういったケースでは『その知人はそもそも擬態種であった』に過ぎない。


 擬態種は自らを擬態種であると理解し、生活している。


 彼らとて、人間と遜色ない感情を持っているのだ。

 人間は、決して強い存在ばかりでない。ならば、それは擬態種とて同じだ。


 命を狙われることになるかもしれない未来を憂い、忌避感を覚えることもある。

 人間側に少なからず存在した擁護派の活動も重なり――日本国では、「条件を満たしていない擬態種」に限り、政府管理下の元、人間と同じ生活を送る権利が与えられた。

 それが、特定保護管理解剖学的現生人類擬態種――。


 人の形をした化け物であることから、"ヒトガタ"という俗称で呼ばれる。

 つまりそれは、"人の形をした化け物"という蔑称だ。


 少女の首に巻かれた機械は、一般に首輪と呼ばれているものだ。

 首輪を付けた人は、ひと目見て市民権を得た擬態種であると判断が出来る。


「本当に、いるんだ……」


 悠一の口からは、そんな感想が聞こえた。

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