12. 友達とは

 エニカは後ろの岩によりかかり、ふらつく体を支えた。

 痛い、苦しい、呼吸が辛い。しかし、決して魔法は使わなかった。


 エニカにとって魔法は、ただの友達。


「友達は……戦うための道具じゃないんです……」


 それが、戦いにおいてエニカが魔法を使わない理由だった。


 傷つくのは自分だけでいい。痛いのも、辛いのも、自分だけでいい。

 自分を孤独から救ってくれた大切な友達に、こんな苦しみを味わってほしくない。


「友達には……いつも笑っていてほしいって……思いますから……」


 友達は必ず守る。

 あの日少女が誓った、たった一つの決意。

 例え死んでも折れることのない、鉄の誓い。


 その言葉を聞いて、レティは舌打ちしエニカの方に近づいてきた。

 そして、その手を伸ばし、エニカの髪の毛をつかんでグッと上に引っ張り上げた。


 レティの悪意に満ちた鋭い目が、エニカの目を見据える。


「はあ? 何が友達だ、何が笑っていてほしいだ! あんた見てると反吐が出そうになる! いっちょ前に何かを守ってるつもりかい? あんたみたいな弱くて薄汚いクソガキに守れるものなんて何もありはしないよ! 魔法は使わないだって? かっこつけやがって! どうせ何の役にも立たないゴミみたいな魔法しか使えないんだろ!! 無力で脆くて何もできないカスみたいなあんたの体より役に立たないなんて、よっぽど使えない代物なんだろうね! あんたみたいなアホガキにはお似合いの、ちんけでみすぼらしいその魔法をぜひ見てみたいもんだよ!!」


 レティがちぎれんばかりにエニカの髪を引っ張る。

 その痛みと恐怖を唇を噛み締めてこらえ、エニカは血と涙でぼやけた目をレティに向けた。


「私のことはいくらでも罵ればいいです。でも、私の大切な魔法を……友達をバカにすることだけは絶対に許しません。あなたたちみたいな、人の命を何とも思っていないような卑劣な人たちには、私の友達を侮辱する権利はありません」


 自分が何もできない愚かな存在だということは十分わかっている。

 今日一日でそれが痛いほど身にしみた。


 しかし、そんな役立たずな自分のそばにいてくれた大切な友達を笑うことは、誰であろうと許さない。


「うるさいんだよ!! 偉そうな口ききやがって、何様のつもりだい! あんたにはねえ、生きてる価値すらないんだよ! この世界は弱肉強食さ! 力を持った強者が生き残り、できそこないの弱者はただ蹂躙されて死んでいく、それがこの世の摂理ってもんさ! あんたは弱者の中でもそうとう下の部類だよ! あたいらみたいな強者に食われて、無様にその体を腐らせていく、それがあんたの最後だ! 弱いやつらにはねえ、口をきく権利も、その足で立つ資格も、生きる価値も何もないんだよ!!」


 レティは髪をつかんだまま、エニカの頭を後ろの岩に叩き付けた。

 エニカの視界が揺れ、後頭部が焼けつくように痛む。


「確かに私は弱くて無力です。でも私は、もっと弱い人たちを知っています。自分勝手に人を傷つけて、罪のない人たちの命を平気で奪って、みんなが平和に暮らせるように作られたルールを嘲笑うように破って、大切なものも守りたいものもなく、何の責任も背負わず、自分より弱い人を喜んで痛めつける、そんなあなたたちが、この世界で一番弱い!!」


 エニカの視界に映る赤黒い羽を持った化け物は、なんて醜く弱いのだろうか。

 自分たちを強者だと勘違いして、弱者を見下し、この世界で平穏に暮らすこともできない。


 その背中に何かを背負う覚悟もなく、自分たちがしたことに対する責任は見ようともしない。

 世界で一番弱い生き物。


「あんたいい加減に……」


「あなたたちは人ですらありません!! 人が人であるために持つべき心が、あなたたちには一欠片だってありはしません!! あなたたちは自分たちの欲を満たしたいだけのただの醜い化け物です!!」


 エニカの慟哭が響き渡る。

 涙を流しながら、目の前の化け物に言葉を叩き付けた。

 この世界で一番弱く、醜く、汚い怪物に、必死に抵抗し叫んだ。


「……そうかい。それじゃあその化け物に殺されて朽ちていきな!!!」


 レティが怒りの形相で魔法銃をエニカの額に押し当てた。


「死ね!! クソガキ!!!」


 エニカは顔をグッとこわばらせた。

 恐怖と悲しみが全身に広がる。


 しかし、言いたいことは言った。この化け物たちに言うべきことはちゃんと言った。

 最後までひるまず、自分の道を貫き通した。


 後悔は山ほどある。それでも、今やるべきことはやりきった。

 きっともうすぐ夕焼けは終わる。

 守り切った。子供も。師匠の意志も。自分の生き方も。


 レティの指が引き金にかかる。

 その瞬間、突然エニカの弱った体から白く輝く魔力が溢れ始めた。


「え、うそ、ダメ!!!」


 エニカは必死に体を押さえつけ魔力を止めようとするが、勝手にとめどなく溢れる魔力はそのまま一箇所に集まり、形を成していく。


「出てきちゃダメ! 今出てきたら危ないから、お願い出てこないで!」


 見慣れた細長い四本足に、いつもエニカを温かく見守っていた瞳。

 ルーワンは体の形成を待たずに走り出し、その大きな角でレティを弾き飛ばした。


「うわっ!!」


 レティは大きく後ろに飛ばされ、土埃を上げながら倒れ込む。


 ルーワンは主を守るようにエニカの正面に立つと、その目を鋭く尖らせレティたちを睨み付けた


「エニカ様の魔力制御が弱まり、ようやく出てくることができました。やはりエニカ様は頑固なお方ですね」


 エニカはその背中に必死に呼びかける。


「ルーワン、お願い戻って! 今はダメなんです! あなたにまで傷ついてほしくないんです!」


 そんなエニカの叫びを聞きながらも、ルーワンは決してその場を動こうとはしなかった。


「エニカ様、友達とはときに厳しい言葉をかけて、間違った道に進まないようにその手を引き留めるものだそうです。ですから、あえて言わせていただきます。エニカ様は今まで危険な目にあわれたとき、頑なに我々を外には出しませんでしたね。森で魔族に襲われたときも、こうして盗賊たちに攻撃されているときも、我々が痛い思いをしないようにと、自分ばかりが傷を増やし我々を守ろうとしてくれましたね」


 エニカの額の傷も、今なお痛み続ける体もそう。


「しかし、エニカ様が我々のために傷つき、涙を流し、だというのに、それを何もできずに見ていることしかできない。我々にとっては、それが何よりも苦しいのです」


 できれば、すぐにでも飛び出して守りたかった。

 エニカの痛みを少しでも減らしてあげたかった。


「けれど、そんなエニカ様だからこそ、我々の主があなたでよかったと、心の底から思えるのです。エニカ様が最初に下した命令を、生涯守っていこうと思えるのです」



『お友達になってください!』



 その言葉を、ルーワンは一生忘れないだろう。

 ルーワンの温かい声に、その目に、決意の炎が灯る。


 エニカは圧倒された。いつもそばにいてくれた友達がまさか、自分のことをそんなふうに思ってくれていたなんて、知らなかった。


「でも……ルーワンたちは、私の大切な友達で……」


「あなたも我々の大切な友達なんです!! あなたが我々を大切に思っているのと同じくらい、我々もあなたを大切に思っているんです!! それが友達というものだと教えてくれたのはあなただ!! 我々に主従関係を越えたつながりをつくってくれたのはあなただ!!」


 ルーワンの声が震えている。


 ずっと耐えていたのだ。エニカが傷ついているとき、泣いているとき、外に出て守りたくてもエニカが魔力を押さえて幻獣を出さないようにしていた。


 そんな中、幻獣たちはずっと歯を食いしばって耐えていたのだ。

 大切な友達が傷つけられているのに何もできない自分たちの無力さを、ただただ嘆いていたのだ。


「あなたが……エニカ様が我々に友達という言葉を教えてくれた。最初はそれが何かもわかりませんでした。しかし、今では我々とエニカ様をつなぐ大切な言葉だと知っています。それがどれほど大事な言葉で、どれほどエニカ様が望んできた言葉なのか、我々は知っています。そして、それがいつの間にか、私の大好きな言葉になっていました。エニカ様がそれを教えてくれた。それを、名前と一緒に与えてくれた。忠実な下部になることでしか幸せを見いだせなかった我々に、今まで感じたことがないような温かい幸せをくれた。それがどれほど嬉しかったか、誰にも想像できないでしょう」


 エニカの目から大粒の涙がこぼれる。


 今までずっと一人で戦ってきた。友達を守るためだと、一人で全てを背負って傷ついてきた。


 友達がそんな自分の姿に心を痛め、苦しい思いをしていたことを知らずに。

 友達を守ろうとするあまり、友達の心を傷つけていた。


「エニカ様のおかげで、名前を呼ばれる喜びを知ることができました。この世界に自分の居場所ができたように思いました。私を含め全ての幻獣がエニカ様にどれほど感謝しているか、それはエニカ様にすらわからないでしょう。我々がどれほどエニカ様に笑っていてほしいと願っているか知らないでしょう」


 エニカは知らなかった。

 幻獣たちの感謝も願いも。


 なぜならそれは、エニカが幻獣たちに思っていたことだったから。

 孤独を消し去ってくれたことへの感謝。そばで笑っていてほしいという願い。

 エニカが幻獣魔法を使ったその日から、幻獣たちに対して思っていたことだった。


 そしてそれと同じように、幻獣たちもエニカに感謝していた。その笑顔を望んでいた。

 その思いに、エニカは涙が止まらなかった。


「だからこそ、我々は誓います。エニカ様が我々を守るように、我々もエニカ様を守ると。友達とは、共に笑い、共に泣き、共に戦い、共に守り合うものだと私は思います。ですから、あなたが飛び回るこの空を、共に飛んでもよろしいでしょうか?」


 あの日の、友達を必ず守り抜くと心に決めたエニカの誓い。

 しかしそれは、エニカが一人で決めたものだった。


 今度は違う。これは、エニカと幻獣たちが共に心をつなげて立てた誓い。


 友達として必ずお互いを守り抜く。


 エニカは泣きながら小さく頷いた。


「うん……ごめんなさい、今まで辛い思いをさせて……」


「いえいえ、それは我々のセリフです」


 そう言って微笑むルーワンの視線の先で、レティが体についた土を払いながら立ち上がった。


「おしゃべりはそこまでだよ。魔力の補充は十分だ。今度こそ、終わりにしようじゃないか」


 レティが持つ魔法銃の銃口が再びエニカに向けられる。

 ルーワンはその銃口の先に自ら移動し、レティを睨み付けた。


「これ以上エニカ様を傷つけることは許しません」


 しかし、エニカの体力が残り少ないせいか、ルーワンの体が端の方から少しずつ消えていく。


 このまま消えてしまったら、今度こそエニカの命が危ない。

 それを察し、ルーワンの顔に焦りの色が浮かぶ。


「なんだい? やっと魔法を使ったと思ったらもうおしまいかい?」


 そのとき、背後で覚えのある魔力が揺らめくのをルーワンは感じた。


「これは……!」


 ルーワンは驚きながらも、その声には安堵が混じる。


「エニカ様、あなたは戦いが苦手で、冒険者になればたくさんの苦労があなたを襲うでしょう。多くの困難や逆境があなたの道を塞ぐかもしれません。しかし、私には確信があります。きっと将来あなたは、誰よりも優しい冒険者になる。我々はその道のりを支え、困難を共に乗り越えていきたい。しかし、今はそれが難しいようなので、その役目をあなたの師に託します。我々の大切な友達をどうか、守ってください」


 ルーワンの体が魔力の粒となって消えていった。

 レティの銃口が直接エニカに向く。


「これで終わりだよ!」


 レティの指に力が入る。


「!」


 そのとき、一振りの黒い刀がレティの目の前に突き刺さった。

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