1の慈雨
6月5日。
「清水さん、用がある。」
小夜の席の目の前に立つ藤村円。
大きな瞳が、逃がさないと言わんばかりに小夜を捕まえる。
「6月6日、午前6時に屋上。」
小夜と目があったのを確認してから、円は端的にそう言い、返事を待たずに教室から出て行く。
肩にかかる黒髪が靡いた。
1人取り残された小夜は、視線を落とす。
所々赤が滲んだ上履き。緩く編み込みされた後ろ髪。桃色が塗られた人差し指の爪。
———雨天決行。
これは計画だ。円が立てた、絶対に失敗しない手筈の計画。
15センチメートルの激情で、しあわせを手に入れるための。
———昔いじめられていた円が、同じ中学、高校に進学したいじめの主犯を殺す計画。
決行は明日。6月6日、1時限目が始まる前。
円はその日、いじめの主犯格を刺す、と言った。
小夜は、湿度の高い狂気が背中に張り付いて離れない、と心の中で呟く。
清水小夜は、円の計画に巻き込まれた、無関係なはずの人間だった。
今から丁度1週間前、たまたま円のいる教室に用があった。小夜と同じ風紀委員会のメンバーに連絡するべき事があったからだ。
風紀委員会の子は、円の隣の席だった。小夜は手に持った資料を渡そうとして、その子に近づいた。
席に座っていた委員会の子は、小夜の姿を見つけて勢い良く立ち上がる。
ごめん委員会のこと忘れてた、という焦った声と共に、ガタンと椅子の音がして椅子が倒れる。音に驚いた小夜は、資料の何枚かを落とした。
慌てて資料を拾い集め、枚数を確認するが、1枚だけ見当たらない。
円の少し開いた鞄に綺麗に吸い込まれていた事に気付いた小夜は、円の鞄を開けた。
勝手に人の鞄を見ようとしたわけじゃない。
ただ、プリントを取るくらいなら、と。
少し鞄の口を開けるくらいなら、と。
流石にそれで怒られはしないだろう、と。
———見てしまったのだ。
円の鞄の中に剥き出しで入っていたそれを。
『……見たんだね。』
いつの間にか後ろに立っていた円の声が忘れられない。
小夜だけに聞こえる、心臓を掴んでゆっくりと圧をかけていくような、そんな声。
「……2週間後、円の幸せを願って。」
円の本性を知った時を思い出して、小夜は軽く笑う。
先生に円の持っていた包丁の事を言おうなんていう考えは無かった。
円の信用は厚い。クラスメートからも、教師からも。
小夜は小心者ながら勝者だった。
勝つ方につく。小賢しい真似をしてでも、自分の立場を不利にさせない生き方をしてきた。
だからこそ、小夜は円の計画の協力者になると言った。大きな賭けだったが、円は意外とすんなり承諾した。
計画の概要は掴んでいる。
それでも、歩き方を間違えた瞬間、小夜たちは少年院に送り込まれる。
こんな危ない橋を渡るような真似、今までならしなかったのに、と漠然と思う。
その上で、小夜には、円なら上手くやるという目論見が確かに存在していた。
———あの子は狂気の塊だ。逃げ遅れた獲物の喉元を間違いなく掻っ攫う。
小夜は、計画の内容以外は全く聞かされていなかった。
なぜいじめられていたのか、なぜ殺そうとしているのか。殺す相手が誰なのか。
「きっと、私は知らなくて良い話なんだろうな。」
今はただ、円の計画を信じるだけでいい。
計画を介した私たちは、計画を信仰しているだけでいい。
それでいい。それ以外の繋がりなんていらない。
この計画に『1』という名前を付けたのも円だった。
理由は知らない。さあね、と円が唇を震わせた屋上しか、小夜が知ることはない。
不安定で不可解な『1』。
それでも、藤村円がいる限り、小夜の神様は確実に『1』であり続ける。
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