さまよう夕陽

秋色

第1話 父さんとの散歩

「……綺麗だ」


 父さんが夕陽を見つめて言う。そんな場面を今でもたまに、何かの瞬間に思い出す。


 子どもの頃、よく父さんと散歩に行き、一緒にオレンジのグミみたいに染まった夕焼け空を見上げた。近所の河沿いの道を散歩し、時には土手に座って沈んでゆく夕陽をしばらく眺めて帰るささやかな散歩。たまに小さな弟も、そんな散歩についてきた。

 夕陽を見てキレイと感じるのは貴重な瞬間。夕陽が沈むのはあっという間だし、父さんがキレイという言葉を口にする事はめったにない。別にひねくれているとかじゃない。父さんは、いつも私達姉弟を大切に思ってくれる、真っ直ぐで優しい人だ。

 ただ父さんは変わっているというか、物事を全て数字で測ってかかろうとする。それは職業病だろうと母さんは言っている。

 中学校で数学の教師をしている父さんは、全てを公式に当てはめて、数字で答えを出す事に慣れてしまっていたから。

 それに大学時代に時計や宝石を扱う店でバイトしていたと言う。そのせいか、父さんはブランド物を強く意識しているようだった。そして別に高級ブランドでなくても、ボールペンなら文房具屋さんで一番幅をきかせているあのメジャーなペン、そして音響機器ならこのメーカー、といった具合に、それぞれの分野で広く知れ渡っている第一線の物しか選ばなかった。もし万が一、人から贈られた物でそれ以外の物が家にあったとして壊れたり、ちょっとでも使いにくかったりすると、「やっぱり壊れた」と悲しそうにつぶやく。

 でも大人ってそんなものなんだろうな、と当時は考えていた。なぜなら近所に住むウチのじいちゃんもちょっと内容は違うけど、同じように物事を選ぶ所があったから。ちなみにじいちゃんは、母さんの父親にあたり、父さんとは血のつながりはない。


 じいちゃんは歌を聞いても映画を見ても「ベテランの歌は流石だなあ」とか「あれは一流女優の主演だから」とそんな変な決めつけの褒め方をした。でもベテラン歌手の歌がいつも名曲なわけでもないし、一流女優主演がいつも名作なわけでもない。ヒットチャートに上がれない歌もあれば、話題に上らないまま忘れ去られる映画もある。だから私はイライラする。じいちゃんにとって、唯一そのモノサシから外れるのは、民謡歌手の祝島むつみだけ。大物歌手ではあるけど、とにかくそんな事に関係なくファンだったから。


 大人の感覚は私には不思議だ。そんなふうに母さんに言って、「父さんとじいちゃんは似たとこあるよね」と言うと母さんは首を傾げた。


「全然、似てないと思うけど」


 確かに父さんは、じいちゃんみたいに開けっぴろげではない。胸の内に何か秘めているように見える。損なタイプだ。そして、そんな父さんのスキが甘くなるのが、唯一夕暮れ時の散歩に思えた。


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