9.ヤコブの手紙第四章第一節
ロザリオの眩い光が、熱線を弾き飛ばしていく。
それでも尚、押しつぶすような衝撃と熱が未だにセルジオを襲っている。
何とか耐え凌ぎ、視界は白一色から、熱と血によって赤く染まった聖人橋に戻りつつある。
赤髪の女はすでに息絶えている、残るは細剣を持った茶髪の女だ。
黒髪の荷物持ちを守るように剣を構え、化け物でも見るような目でこちらを睨みつける。
他所の世界からのこのこ来て、小遣い稼ぎの感覚で簡単に人を殺せる奴が、一体どの面下げて被害者面しているのか
茶髪の女が荷物持ちを逃す指示をしている、これ以上情報を漏らされるのは不味い。
短剣を投げて足止めしたいが投げる物がない、するとその意志を感じ取るように、聖遺物から白く輝く短剣が形成される。
未だこの力は未知数だが、少なくとも今はまだ自身の意思に従ってくれるようだ。
落ちた長剣を右手で再び握り締め、二人の元へ駆けていく。
距離を詰めながら荷物持ちめがけて数本投げる、いくつかは茶髪の女に弾き飛ばされたが一発が荷物持ちの足に命中した。
自身が使っていた物と遜色無い切れ味のようだ、ふくらはぎに深く刺さると荷物持ちは倒れ、短剣は消滅する。
「痛い…痛い…ッ!!」
「ラクト! 下がって!」
出血する足を押さえ、苦悶に喘ぎながら引きずる荷物持ちの名を叫び、茶髪の女は立ちはだかった。
様子を見るに深い関係性である事は間違いない。
親類か、あるいは恋人か。
どちらにせよ、そのような重要な人物を戦場に駆り出してる時点で、狙われる危険が考慮出来ない浅はかな女である事は確かだ。
しかし油断はできない、盾を持っていないのであればこのまま短剣を投げ続け、出来るだけ力を削いでおくべきだ。
間合いを図り、投げる隙を取られない距離を維持しながら、聖遺物が形成する短剣を左手から放ち続ける。
弾き切れなかった短剣が彼女の脇腹や頬を掠めていく、無視する事ができないダメージに耐えかねたのか、茶髪の女は剣を構えセルジオに向かって突進した。
「この……卑怯者!」
勢いを乗せて放った細剣の突きの連続を胸と足の動作で避ける。
「他所の世界の者を、平然と買収し捨て駒にした奴が何をいうか!」
失血による焦りか、彼女はやや大ぶりな突きを見せた。
その隙を見逃さず、かわした体制のまま右足を踏み込み、右肩で彼女を突き飛ばす。
「ぐぅ……っ!」
内臓まで響いたのかくぐもった声を上げる。
「この地も! この橋も! 元は我々の物だ!!」
よろけながら体制を立て直す所を狙って、彼女の脇腹めがけて剣を斜め右に振り上げた。
回避が間に合わないと判断したのか、茶髪の女は左腕に装着した籠手で咄嗟に防ぐ。
「ッッ!!」
鋼が割れ、肉に食い込む音と感触が手に伝わる。
致命的な一撃は免れたものの、割れた籠手から溢れる流血を見るに、左腕は使い物にならないだろう。
「こんな情報、何も聞かされてない……ッ!」
追い詰められた動物が必死に威嚇するような表情で、息を切らしながら細剣を構え距離を取る。
だが飛び道具を持った相手にその判断は悪手だ、引いた隙を狙い短剣を二発放つ。
二発の内一発は何とか反応し、細剣で弾いたが、姿勢を戻すのが遅れたのか、二発目が彼女の右肩を抉った。
「あぐッ!!」
時間と共に増えていく傷口と流血に、苦痛に喘ぐ声が彼女からも漏れてくる。
ラクトと呼ばれる荷物持ちの方を見ると、信頼か好意を寄せていた異性が目の前で傷つき、何も出来ないまま虐げられていく悔しさに涙を流していた。
「アンリ……もういい……! お前だけでも逃げるんだ…!」
フェンシングであれば彼女は祖国でも優勝候補だっただろう、正々堂々一対一の戦いであれば敗北していたかもしれない。
だがこの不利な状況と、迫り来る痛み、そして失血死の恐怖が彼女を蝕み、徐々に剣を鈍らせていったのだ。
「何これ……こんなの人間じゃない……!」
セルジオの憎悪に澱んだ瞳を、怯えた表情で見据えながら吐き捨てる。
「どの口がッ!!!」
そう言い放つと、セルジオは剣を右方向に構え、渾身の一撃を彼女に振り下ろす。
数歩後ろにはラクトがいる以上、避けてしまえばラクトが殺されると悟った彼女は、苦肉の策で直剣のように両手で横に構え防ごうとするも、案の定細剣の刀身は砕けてしまう。
そしてそのままセルジオの一撃は、彼女の右肩にケーキに入刀するナイフのように深々と入り込んだ。
「アアアアアアアァァァァァッッッ!!!」
苦痛とプレッシャーに歯を食いしばりながら戦っていた彼女は、ついに雷鳴にも劣らぬ声量で絶叫した。
鎖骨を砕きながら抉り込まれた一撃による激痛からか、敗北による屈辱感からか。
どちらとも取れる叫びを上げながら、膝から崩れる彼女に入り込んだ剣を引き抜く。
引き抜いた剣からは滝のように血が流れ落ちていく。
「やめろ……! やめてくれ……!!」
彼女に向かって手を伸ばす荷物持ちの懇願も虚しく、セルジオは雷鳴をも超える雄叫びを上げながら、彼女の首を跳ね飛ばした。
「ごめんね……ラクト……」
――聖人橋に、彼女の名前を呼ぶ悲哀の叫びが響き渡る。
跳ね飛ばされた首が宙を舞う。
そしてボールのように転がり落ちた彼女の首まで、荷物持ちは体を引きずっていく。
「アンリ……アンリ……! どうして……お前だけでも…ッ!」
そして抱き寄せながら、物言わぬ生首に向けて謝罪の言葉を呟いていた。
一歩ずつ近付くセルジオに怯えた表情を向けると、荷物持ちは辛うじて動く左足で必死に後ずさっていく。
「こんな筈じゃない……! 何の才能も無く荷物持ちとしてこき使われて、何も成し遂げられないまま死ぬなんて……!」
泣き言を並べ立てる荷物持ちに、セルジオは無言で剣を構える。
「頼むよ……スキルでも、何でもいい……! 一度くらい、俺の人生に…生きてきた事に意味を与えてくれよ……!!」
可哀想に、人に生まれながら、童話の小鬼のような人生しか歩めなかったのだろう。
生かした所で惨めな生き方しかできないのなら、せめてもの慈悲で楽に殺してやる。
「誰かああああああァァァァァ!!!!!」
剣を振り翳した瞬間、ラクトの張り裂けるような思いを込めた絶叫に呼応し、何かがセルジオに衝突する。
受け身も取れないまま橋の欄干まで吹き飛ばされるも、辛うじて意識を繋ぎ止めたセルジオは、と立ち上がりながら荷物持ちの方に目を向けた。
狼だ、しかし明らかに大きすぎる。
昔読んだ神話でしか見た事がない姿に、ラクトは人生で初めて目を輝かせながら叫んだ。
「お前は……フェンリル!」
「……! 今の声、聞きましたか?」
「聞こえたわ! 聖人橋の方ね!」
悪魔の使いとして迫害された、黒い肌を持つ男の問いかけに肩まで伸ばした赤毛を結んだ女が、聖人橋の方角へ顔を向ける。
忌まわしい再誕者が、数少ない同胞を殺めているに違いない、そう確信した二人は恐るべき速さで森を駆けていく。
――急ぎましょうニコラ! 走ればまだ間に合います!!
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