贖いの廉施者

@sigure3375

前日譚:枯れた花冠

 赤子を抱く聖母ヨロラの形を模した巨大な像がシンボルの、東の大国エルズペス。

 複数ある街の中でも最も規模の大きい街ミランゲルド街、その中心部にある噴水は待ち合わせの場所として使われる事が多く、市場は毎日のように人の行き交う声で溢れ返っている。

 果実、肉、魚、どれにおいても自分の店の物が1番質が良いと言い張る商人と、その真偽を確かめるように国民が品定めしている。

 そしてその中を、後ろめたい事でもあるのかと言わんばかりに、ローブで頭まで隠す二人の親子が市場を抜けていく。

 美しく赤いレンガで築かれた建築物で囲まれた階段を登った先にある、ヴァルフォロメイ家の屋敷の裏口に忍び寄り、鍵を開けていそいそと中に入っていく。

 親子は被ったフードをほぼ同じタイミングで外し、ネストロフは父セルジオに話しかける。

「今日はお母さんにバレなかったね、父さん」

 セルジオは職務から解放される週末の昼に、二時間程度私用と称して聖ルドヴィア教会へ孤児に文字の読み書き等を教えている。

 その事が妻オリガにバレないよう何事もなかった様に裏口から帰ることが日課となっていた。

 今日はヴァルフォロメイ家で最もめでたい日だ。

 仕掛けた悪戯が成功したような笑顔で、ネストロフがそう言うと。

「そうだな、それに今日はオリガの誕生日だ。」

 9月12日、夏の暑さは落ち着き、秋の涼しさも見え隠れするこの時期に五十二歳になった事を祝う妻の誕生会が開かれる。

 上流貴族のように自身の権威とそれに媚びへつらう派閥政治の絡んだ豪華絢爛な物ではなく、純粋な気持ちで祝ってくれる、身内だけで行う比較的粛々とした物だ。

 無論、歳をとった事が嬉しいというよりも、未だ治療法も分からぬ病も多々あり、医療の手が及ばなければ、神に祈るしか無かったこの時代において、ここまで無事生きる事が出来た事に対する喜びを表す物である。

 教会近辺で咲く色とりどりな花々で母の誕生祝いに花冠を作ろうというネストロフの提案に乗った父は、小さなバスケットを満たす程に取ってきた花を使って、どちらがより綺麗に花冠を作れるかを競争していた。

 貴族とは到底思えぬ質素な服を纏いながら、セルジオは花を一つずつ結んでいく、妻のサイズに合わせるとなると中々バランスを取るのが難しかったが、なんとか形になりつつある。

 もう少しだと意気込む所に、美しく伸びた足を覆う様な、ワインレッドの衣装を纏った妻オリガが、セルジオの後ろで手を腰に回しながら立っている事に気づかなかった。

 「その花、市場で買った物ではないでしょう」

 セルジオは突然の妻の声に驚いて振り返り、誤魔化すような笑みと、手を頭の後ろに置きながら答えた。

「あぁオリガ! いつの間にいたのか、これは参ったな」

 頬を指でかいて照れ笑いをするセルジオ、困った事や隠し事をしている時は決まってその仕草をする癖をオリガは見抜いている。

 その事など意にも介さず、セルジオは続ける。

「買った物だと味気ないと思って、手作りの花冠にしようと提案したのはネストルフなんだ。」

 その性格よりも不器用な出来の花冠と、息子からの提案、そしてそれに嬉々として乗るセルジオの変わらない部分に、怒りと呆れの顔から、徐々に嬉々とした笑みが溢れてくるのが見える。

「フフ、分かりました、外に出たならちゃんと手を洗って、服を着替えなさい。」

 そう言いながらオリガが上機嫌で立ち去るのを見るや否や、セルジオとネストロフは顔を合わせ二人はガッツポーズを取る。

 久方振りに妻の機嫌を取ることに成功した父セルジオは、英雄のような成果を上げて凱旋する騎士のような気持ちだった。





 そして夜になり、オリガ=ヴァルフォロメイの誕生日は、卓に置かれた七面鳥や、様々な料理と装飾と共に行われた。

「セルジオ、ネストルフ、そしてお集まりいただいた皆様へ。

 私はまた歳を迎え、そして皆様と無事に暮らす事ができた事を大変幸せに思います。

 頂く前にアーシマと共に、この日まで見守ってくださった聖母ヨロラとテセウス様に祈りを捧げましょう。」

 親族を含めた皆がその言葉に従い、祈りを捧げる。

 ネストルフは卓に置かれた七面鳥を前に待ちきれないと行った様子だ。

 そして祈りと食材への感謝の言葉を終えると同時に、かろうじて本能に勝った理性に従い、ネストルフは学んだ通りにナイフとフォークを使って口に運びだす。

 その様子には親族も孫の成長を見守るように満面の笑みで眺めていた。

 やがて食事を終え、オリガは親族の面々から祝い品の数々を受け取る、遂にネストルフの番がやってきたかと思うと、妻に対し目を閉じ、頭をこちらに下げて欲しいと言い出した。

 無論オリガはその言葉に従うと、二人は競争はしたものの決着がつかなかったのだろう、合作という形で作られた一回り大きい鮮やかな花冠が頭に乗せられる。

 上流貴族では到底起こりえないだろう、まるで住まいを屋敷にしただけの、仲睦まじい家族の団欒の様な光景に誰もが微笑んだ。

 日付も変わる時間にさしかかる頃には祝いは終わり、ネストルフも眠りについている。

 寝室にてオリガは、セルジオに胸の内にある不安を明かした。

「先日、西から凱旋してきた兵士の様子がおかしいのです、まるで何かに操られて帰ってきた感じがして…」

 セルジオは頷き、慰める様に返す。

 「分かった、警備の者も増やし警戒を強めよう。

 明日はフリント国王の聖別式だ、オリガも明日に備えてゆっくり休むといい」

 そう告げると蝋燭の灯りを消し、暖かく平和な一日を終える。

 そして日は昇り、鶏の一声で一同は目が覚める。

 昨日の様に日が差していない窓を除くと、胸の中に秘める不安を表したような曇天が空を覆っていた。

 雨が降る様子は無いので、いつも通り式は執り行われる筈だ。

 セルジオも先の戦いで戦果を上げた事を表する勲章が授与される為、家紋が刻まれた黒鉄の甲冑と長剣を覆うようにコートを羽織り、一同は国王の待つ城へ向かう。

 城の警備に名前を伝え、中を通ると使いの者が待っていた。

 妻と息子は聖別式が見える別室で待機となり、セルジオは大通りにて他の騎士と共に国王に並ぶ様に立つ。

 すると隣に立っていた戦友ウィスレイが顔を合わせず話しかける。

 戦地を生き抜いた同胞であり、今回の戦いでは、場所は違えど共に戦果を上げた事には違いなかった。

「遅かったじゃないか、ネストルフは元気にしてるか?」

 同じく、セルジオも顔を合わせず返す。

 式中での騎士の私語は本来禁じられているが、国民の歓声に紛れ、バレない様に会話する事は度々あったのである。

「一回り大きくなったが、まだまだ手を焼かされているよ。

 昨日の妻の祝いで、一緒に花冠を作ってやった。」

 仮にも貴族の者が花冠とは、普通なら誰もが思うだろう、しかし互いに胸の中を明かした仲だ。

 セルジオの事を小さい時から競い合いつつも彼の事を尊敬していたウィスレイは、何だかお前等らしいなと少し口角を上げて笑った。

 そうこうしているうちに、国王が前に連なる兵士達の生還を讃える言葉を並び終えたらしい、いよいよ勲章授与の時だ。

 一人一人の騎士が名前を呼ばれると国王の前に立ち跪く、そしてその忠誠心と戦果を讃える言葉と共に勲章が与えられる。

 毎年の様に行われる式ともなると、流石に他の騎士の顔ぶれは嫌でも分かるようになる。

 しかしウィスレイの前に呼ばれた騎士は全く見た事ない顔だ、歴史の浅い家柄の者だろうか。

 顔を見るに、黒い髪と瞳をした二十代半ばの青年だ、しかし様相には、明らかに国を重んじる物ではない、淀んだ因縁の様な物が伺える。

 その青年が勲章を授与した時、異変が起きた。

「その悪政もこれで終わりだ!」

 そう発すると同時に懐から取り出した短剣で国王の胸を貫く。

 状況が理解できぬまま倒れ、事の真意を確かめられぬまま息絶えた国王に、国民は阿鼻叫喚であった。

 ウィスレイは激怒し、一歩先に私より先にこの黒髪の青年に剣を振りかざすも、何やら超常的としか思えない現象により吹き飛ばされる。

 すかさずウィスレイの元へ駆け寄り安否を確認する、幸いにも大怪我ではないようだ。

 兵士の方に目をやると、奇妙な事に戦意や怒りが感じられない、それどころかこの青年の悪行を見届ける様だった。

「貴様ら、何をしている!」

 セルジオはそう叫ぶと、それに呼応する様に剣を抜いた、しかし剣の矛先は国民に向いている、まるで黒髪の青年の意思によって操られている様に。

 剣技とは表現しきれない超常的な力によって切り掛かる騎士を殺し続ける黒髪の青年が声を上げる。

 「忌まわしき悪魔と、その信奉者を一人残らず殲滅せよ! 貴族も王族も分け隔てなく殺せ!」

 その声に千近くの兵士が無差別な蹂躙を開始した。

 異形としか思えぬ青年の力と、赤のレンガで建てられた美しき町の景観が血によって更に赤く塗りつぶされていく光景に、ただただセルジオは戦慄した。

 現実に引き戻す様に、回復したウィスレイが立ち上がりセルジオに向かって叫ぶ。

「早く家族の元へ行くんだ! あれは禁じられた悪しき魔術だ! 今の我々で対処できる物じゃない!」

 そうだ、家族はどうなっている、私が守らねば。

 操られた兵士がこちらにも集まってくる、ウィスレイはセルジオの前に立ち、行く手を阻ませまいと剣を構える。

「ここは俺が時間を稼ぐ! 一刻も早く家族の元へ!」

 戦友ウィスレイに助けられたセルジオは、その思いに応えるべく家族のいる部屋へ向かった。

「オリガ! ネストルフ!」

 幸運にも無事だった家族を見て胸を撫で下ろす。

「父さん! 何が起きてるの?」

 困惑する息子を落ち着かせる様に答える。

「大丈夫、悪い奴が少し暴れてるだけだ」

 この阿鼻叫喚の中では少々苦しい嘘をつくと、使いの者が口を開く。

「皆様、ここは危険です!」

 使いは部屋の本棚に向かい、並べられた一冊の本を押し込むと本棚が開いて階段が現れる。

「本来は、王家の者のみが使う通路なのですがこの緊急事態です、私が責任を持って避難させます。」

 ランタンに火を灯し、使いは先導する、その明かりに導かれる様に一同は階段を降りて行った。

 狭く暗い通路の中に、今なお殺戮の限りを尽くされているであろう国民の断末魔と国に駐在していた兵士の怒号が響き渡る。

「どこか、安全な避難先はあるのですか?」

 オリガは不安な表情で使いに問う。

「あるにはあるのですが、この前例の無い混乱を極めた状況の中で、既に指定している避難地も、戦火の最中にあるかもしれません。

 まずは非常事態の為に用意してある馬車に乗って、被害が及んでいない遠方の地へ避難する事が先決です。」

 危険がないかを注意深く歩きながら探る使いにセルジオは王族の安否を聞く。

「その件は安心してください、別の者が対応しています。

 貴族の皆様だけでも安全な場所へ誘導するよう、我々は仰せつかったのです」

 やがて歩いている先に、ランタンの物ではない光が見え、徐々に大きくなっていく。

 暗い通路から抜け出すと、そこはエルズペスの城外だった。

 待ち合わせてる馬車に一同は乗り込むと御者は勢い良く馬を走らせる。

 未だ整理のつかない状況に、事情が事情とはいえ見殺しにしたも同然のフリント国王とその民達、そして戦友ウィスレイを置き去りにしてしまった事に対する自責の念がセルジオを責め立てる。

 その心情を察するように使いの者が口を開く。

「…セルジオ様、一従者でしかない私めがこのような事を申すのもおこがましいのですが、セルジオ様は正しい判断をなさったと思います。

 未だ前例の無い状況です、困惑するのも無理はありません。」

 俯くセルジオに、語りかけるように使いの者は言葉を続ける。

 「大事なのは、あの時何が出来たかではなく、今からどうするかです。

 過去にお父様ともお話しさせていただいたことがありますが、あのお方はとても素晴らしい人でした。

 後継者たるセルジオ様の血筋は、決して絶やしてはならないと、釈越ながら私はそう思っています。

 ウィスレイ様もきっと、同じお考えがあっての事でしょう。

 だからどうか、自分を責めないでください。」

 使いの者の言葉に励まされ、確かにその通りだと感じたセルジオは、隣でただ縋るように祈り続けるオリガとそれを不安そうに見るネストルフを元気づける。

 外を見ると朝日を遮っていた曇り空はより一層その厚みを増している、不穏な空気が漂ってはいるが、それに反して目の前に徐々に近づく郊外の村までは被害は及んでいないようだ。

 その事に安堵したのも束の間、突如御者の首が消滅した。

 御者はあまりにも鮮やかな断面部から血飛沫を上げ、先ほどまで手綱を握っていた馬車から転げ落ちると、巻き込むように御者を跳ね飛ばした感覚が振動で伝わった。

 何の前触れもなく返り血を浴びたオリガとネストロフは発狂し、突如手綱を握る者を失ったショックと二人の絶叫に馬は興奮したのか、馬車は制御を失い暴走する。

 荒れ狂う馬車の中で、セルジオは二人を守ろうとしたが、自身が振り落とされないようにするのが精一杯だった。

 絶え間なく上げられる発狂と怒号の中、突然荷台の空間だけ重力がなくなるような感覚に襲われたかと思うと、走馬灯のようにゆっくりとした速度で荷台が横になり、使いの者は宙を浮いている。

 錯覚と思しき感覚が元に戻り、凄まじい衝撃と激痛と共に意識を失った。




 全身が激しい痛みに襲われながらも意識を取り戻したセルジオは、呻き声を上げながら辛うじて動かせる頭を右にやると、跡形もなく破壊された馬車と血溜まりを作りながら息絶えた馬が見えた。

 ぼやけた視界で必死にピントを合わせながら状況を把握しようとする。

 そこで目に映ったのは惨憺たる結末だった。

 使いの者は半壊した馬車に下敷きになり、絶命している、馬車の下は想像するのも憚られるような始末になっているに違いない。

 その横で倒れているオリガの腕はありえない方向に折れ曲がり、美しいと評判だった顔の右半分が消失している。

 そこから見える肉と器官の数々が、まるで他者の決める美醜など所詮皮一枚で決まるものでしかないとでも言うように。

 ネストルフの姿が見えない、相当遠くへ飛ばされたか、或いは首が回らない左側のどこかで倒れているか。

 そう考えていると聞き覚えのある声が聞こえる。

「お探し物はこれか?」

 ゆっくりと首を元の方向へ戻すと、頭部を強く打った衝撃で息絶えたネストルフの遺体の首を掴んで持ち上げている、国王を殺害した張本人と、聖書に描かれた使徒を彷彿とさせる格好をした女が立っていた。

 ネストルフをセルジオの横に投げ捨てると、男は奇妙な言葉を口にする。

「剣聖と呼ばれる者として生き、記憶を引き継ぎ新たな人生を始めたはいいものの、流石にこうも呆気ないと面白味が無くなってくる」

 聞き慣れない言葉を耳にするも、口内を満たす血液で思ったように話せないセルジオは咳き込み、吐血しながら問いかける。

「貴様らは…何者だ…?」

 掠れた声で問いかけるセルジオに対し、憐れむような態度でセルジオの前に座り込み、女が返答した。

「私は、別世界にて命を落とした者達に特別な力を与え異世界に転生させる、重要な使命を担った神の使いです。」

 意識は比較的はっきりとしてきたが、それでも言っている言葉の意味は一つも理解出来ないセルジオ。

 その心情を汲み取ったのか女は続ける。

「おめでとうございます。

 この地は、異世界として神に選ばれました。」

 少しずつ言葉の意味を理解し始めたと同時に、沸々と怒りが湧きあがるセルジオは、この所業を非難するように罵る。

「ふざけるな…! 貴様らの都合で、人を散々殺しておきながら…!」

 言葉を続けようとするも損傷したであろう臓器から溢れる血が言葉を遮った。

「最初は私共も交渉をしていました、他の国が莫大な富と引き換えに、転生先として受け入れてくれる中、唯一この国だけがどうしても交渉成立に至らず、大変心苦しいのですが実力行使で一度滅亡させ、新たな国を作るという判断に至りました。」

 いけしゃあしゃあと放つ女の口ぶりに殺意が湧き上がる、体さえ動けば今すぐにでも斬り伏せる程に。

「私共が来る前から偶然この地に転生した者もいるようですね。

その方々が遺した物が、転生させるにあたり魂と力を安定させる効果をもたらしてくれるようです。

そうですね、折角ですし再誕者とでも呼びましょうか。

こうしてる今も、皆英雄となるべくこの地を侵攻するでしょう。

悪しきエルズペス領に未だ蔓延る異教徒を狩り尽くし、神聖なるドルクシス派がこの地を制すというシナリオによって。

 それにしても何故このような好立地物件を神は見過ごしていたのか、皆目検討がつきませんね」 

独り言のように呟くと、女はセルジオに手をかざした。

 すると白い光を放ち、セルジオの傷が癒えていく。

「これはささやかですが、私からのお詫びです。

 あなたは本来死ぬ予定ではない者なのですが、こちらの不手際で危うく死なせる所でした。」

 全身を支配していた苦痛が消え、いくつか麻痺していたような部位の感覚を取り戻した。

 セルジオは立ち上がり剣を取ると、未だ崩さぬ笑みを浮かべていた女に、殺意に任せ雄叫びと共に切り掛かる。

 大腸を曝け出しながら死ぬという、最も醜悪な死に様にさせてやるという怒りと共に、腹部目掛けて放たれた剣は黒髪の青年の剣に止められた。

 赤子の手をひねるように軽々と受け止め、返す刀で黒髪の青年から放たれた一撃の威力は常軌を逸しており、防御の姿勢をとって尚、受け止め切る事はできなかった。

 あまりの威力に思わず膝をついて息を切らす、戻ったばかりの腕の感覚が受けた衝撃で再び消失している。

その様子を見ていた女が口を開く。

「折角元気になられたのに、そう死に急がないでください。

 心配せずともこの地は必ず、今よりも良い世界に生まれ変わりますから」

 そう告げると、女と青年の周囲の空間が歪み、次の瞬間何もなかったかのように消滅する。

 そして国も家族も失い、唯一の剣すらも軽くあしらわれ、意思も希望も打ち砕かれた騎士だけが取り残された。




 どこにも外傷が見られない、眠るように息絶えたネストルフを抱き抱え、セルジオは歩き出す。

 オリガの亡骸が握っていた、宝のように大事にしていた花冠を身体に添えて。

 道が進んでいく内に雲と濃霧が行く手を阻む、光景から抜け落ちてゆく彩色に合わせるように花冠も色褪せていき、やがて完全に喉も花も枯れ切った頃、前方から馬車のランタンが見える。

 馬車が泊まると、御者はその姿を一瞥し、ただ一言

「乗っていけ」

 とだけ伝えた。

 

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