「第九話」半分

 辺境の村の更に奥に、その家は弱々しく在った。ぶち抜かれた木の壁、穴の空いた屋根、薄暗い印象を抱くしか無いその家は、田舎者の私から見てもなかなかにひどい有様だった。


「ここが、俺ん家」

「……」


 シエルはそれを聞いて、怒りを蓄えながらも黙っていた。


「母ちゃん、ただいま」


 中に入ると、そこには更に悲惨な状況が広がっていた。ゴミで荒れ果てた狭い家の中に、薄い布団が一枚ある。その上で、苦しそうな息をしている女性が寝かせられていた。不衛生、硬い布団の上……これが病人に対する配慮だろうか? ──無論、そんなはずがなかった。


「シャルル……!」


 怒りに満ちた彼女の口から、ついにその名が出された。このとき初めて彼女は、自分の父であるシャルル王に対しての怒りを表に出したと思う。それは自分への冷遇ではなく、自分の国の民を貧しくしていることへの、真に人の上に立つことができる人格者としての怒りだった。


「こんな状況になっているだなんて、私は知りませんでした。王が、いいえ人間としてこれを見過ごしていいはずがありません。元より私は王になるつもりでしたが、ええ……この国は、私が変えなければいけません」


 シエルの声には、確固とした決意を感じた。少年はその燃え上がるような感情の渦を目の当たりにし、しばしたじろいでいた。


「へ、へー! じゃ、じゃあまずは示して貰おうじゃ……」

「おうおうおう! いつにも増して臭ぇなぁこの家は!」


 振り返ると、そこには見覚えのある男がいた。先程私とシエルを罵倒し、村人たちの意見を鋭いものにした張本人、ヤーブだった。


「ああん? なーんで魔女と平民サマがいるんだぁ? 何しにきやがった!」

「ちっ、違うんだヤーブさん! こいつらはその……俺が来て欲しいって頼んだんだ!」


 咄嗟に飛び出した少年の言葉に、ヤーブは眉を怪しく顰めた。私はシエルを背後に下がらせた。しかしシエルは私の手を潜り抜け、ヤーブを睨みつけた。


「私達はこの子のお母様を救いに来ました、やましい理由は何一つありません」

「いやいやいや、可笑しいだろ。そのガキの母親は俺の患者だぜ? 治療を施してやるのも、その礼に金をたんまり貰うのもこの俺だ。──なぁ、クソガキ!」

「ッ……!」


 ヤーブがその太い腕で少年を殴り飛ばそうとしたその瞬間、シエルは飛び出した。少年を咄嗟に抱きかかえ、一撃から庇ったのである。直撃こそしなかったものの、鈍い音が彼女の腕から聞こえて来た。


「っ……ううっ」

「お、王女様……なんで!」

「おーっと、馬鹿なことするなぁ王女サマは……そんなバカな行動するってこたぁ、平民の血が混じってるからかぁ?」


 嘲笑うヤーブは苦しむシエルにそのまま背を向け、懐から何か液体を取り出した。其れの蓋を開け、布団の上で苦しそうな母親にぶちまけたのである。


「ありがたい薬だ、一滴残さず飲めよ! 金は勝手に貰っていくぜ~」


 そう言ってヤーブは、棚の上の少ない金銭を乱暴に握りしめ、ポケットの中にぎゅうぎゅうに押し込んだ。口笛を呑気に吹きながら、この家から出て行こうとしている。──そこで、私の怒りは抑えられるものではなくなっていた。


「ああん? どけよ」

「どかないよ」

「退けっつってんだろ、殺す……」


 ヤーブの顔が青ざめていく。別に何かをしたわけではない、ただ睨んだだけ……体格も何もかも格上な相手に対して、上目を使って怒りを表しただけなのだ。


「なっ……なんだよ」

「謝るなら、半分で許してあげる」

「半分って、何がだよ! お、俺はただ依頼されただけだ! この村で一番の医者の俺が、一番の薬を処方してやってるんだぞ⁉」

「その薬を貰って、あの人は元気そう?」


 私は取り出した櫛で、苦しむその人を指した。薬をかけられ、さらに苦しそうにしているその様子を、ヤーブは青ざめた顔で見ている。


「あ、あれは副作用だ! 薬ってのはな、そういうものなんだよ!」

「いいの? 本当にそういう答えで良いの? 『自分は悪くない』っていう主張のまま、半分やられていいの?」

「……! お、俺は医者なんだ! 医者の言う事を聞いておけば、いつか元気になるんだよ!」

「じゃあ私が今すぐ治してあげるよ」


 髪の毛を一本引き抜き、息を吹きかける。緑色の優しい風は渦を巻き、苦しむ母親の口の中に入っていく……それは見る見るうちに母親の強張った表情を和らげていった。


「──」


 口をパクパクさせたまま、ヤーブは視線を私に戻した。


「じゃあ、半分ね」

「ひぃっ」



 逃げようとしても、無駄である。私は抜いた髪の毛でヤーブを拘束し、近くに生えていた巨木に吊り下げた。彼はとても恐ろしいものを見るかのような目で、炎を握りしめた私を見つめている。


「……半分って、おい、やめろ、人間の所業じゃねぇよそんなの!」

「あれ? 言ってなかったっけ?」


 私は音を立てて燃える髪の毛を口元に近づけ、その真実を告げる。甘く、優しく、されど事の重大さを知らしめる残酷な口調で。


「私、魔女だから」


 力強く吹かれた風に炎は舞い踊り、そのままヤーブの上半身へと燃え移る。きちんと「半分」、彼の体の大部分を、炎は延々と蝕み続けていた。

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