髪結いの魔女

キリン

「序章」処刑された魔女 

「プロローグ」 王女と魔女

 自分の胸元に目線を移すと、赤紫色のワインがべっとりとシャツに沁み込んでしまっていた。


「おっとしつれーい。よそ見をしていたらぶつかってしまった……」


 そこには、悪人面が立っている。海賊のような黒髭、血の気の引いた白い肌、にんにくのような鼻。言わずと知れたセイレム教の大司教、その中でも最も悪名高いエンザイだ。


「まぁしかし、貴女も実に運がいい! 私とぶつかって私が口にした聖なるワインを浴びた事により、その田舎臭い服を脱ぎ捨てる事ができるのです! さぁ神に、私に感謝を!」


 何言ってんだこの人。思わず口が滑りかけ、慌てて押さえた。今度は笑いが込み上げて来た。余りにも訳の分からない事を言う変態が目の前にいれば、そりゃあ笑うしかないではないか。


「……感謝を、するのです」


 若干の怒りが込められたその声は決して小さく無かった。しかしパーティ会場にいる貴族共は誰一人として動こうとせず、見て見ぬふりをしているのがほとんどだ。


(癪だけど、頭を下げるしか無いかな。教団に目付けられるといろいろ面倒だし)


 心の中で溜息をつき、現実では作り笑いを浮かべた。――その時だった。乾いた音と共に、誰かが目の前の大司教を引っ叩いたのは。


「ぶほっ」

「――え?」


 ぐらり。体勢を崩し、そのまま無様に倒れ込んだエンザイ。自分の思い通りにならない状況に加え、殴られたという本人にとっては論外な状況に動揺を隠しきれていなかった。


「だ、誰だ! 誰が……わっ、私は大司教だぞ! どこの馬鹿野郎だ、出て来い!」

「――無礼者、誰が立っていいと言ったのです」


 威厳、そして若干の威圧感を交えながら、その白髪の少女は私の前に立った。白と水色を中心としたドレスを着こなすその様は、人間というよりはお人形のような完成美さえあった。──彼女の名前はシエル・ニーベルンゲン。この国の第二王女、つまりは次期新女王イザベラの妹である。


「し、シエル様……」

「只今の行いを、私は全て見ていました。貴方からぶつかっていったくせに反省もせず謝りもせず、挙句の果てに意味の分からない戯言で感謝を強要した」

「違うのですシエル様! 私はただ、彼女に神の御言葉を……!」

「あなたのような恥知らずがこの場にいる事を、私はとても恥ずかしく思います」


 噂通り、正義のお姫様という感じだった。仮にも権力者であるエンザイに対し、この弁舌。どこの馬の骨かも知らない女の為に、ここまで言える王族は少ないと思う。


「……っ」


 この状況に耐えられなくなったのか。雑に頭を下げて、逃げるように大広間から出て行った。


「貴女、大丈夫ですか?」

「えっ? あっ、おかげさまで。凄いですね、あんな変……じゃなかった、気難しい人にも力強く弁を振るいになって。私みたいな田舎者の為に、ありがとうございます」

「いえ、私は当然のことをしたまでです。民なき国は国と言えず、民をないがしろにするのを、王族である私が見過ごすわけにはいかないのです。それに……」

「? それに、なんですか?」

「人として、自分が恥だと思うような生き方をしたくないだけです」


 私はひどく驚いた。もしもこれが、次の女王になるイザベラの物であったのであれば、私はここまでの好感を抱いていなかった。例え自分が他人に見られていないとしても、自分に返ってくるものが余りにも少なかったとしても……彼女は上に立つ者としての責務を果たす。そんな、素敵な人間なんだと思えたのである。


「シエル様。私、貴女のファンになってしまいました。次期女王はイザベラ様だって聞きましたけど、継承権に興味が無いのですか?」

「王になっても、私にできることは少ないです。政治面、軍事面……あらゆる面において、イザベラお姉さまの方が王に相応しいのです。――それに、私が声を上げたとしても、私に賛同する人間は少ないでしょう」


 現国王シャルルの影響だろう。彼が初娘であるイザベラ様を溺愛している事は誰の目から見ても明白だった。本当の素質や信念は、こうやって力に押し潰されていく……私はそれが、何とも悲しく、仕方のない事だと思うしかないのだろうかと、歯痒かった。


「……それでも私、シエル様の活躍を心よりお祈りいたします」

「そう言われると、私も頑張らなければいけませんね。……これも何かの縁、もしよろしければ、私とお友達になってくれませんか?」

「えっ!? 立場的にそれは不味いのでは……?」

「別に構いませんよ、貴女が男性であったのなら話は別でしたが」


 唐突の誘いに心臓が高鳴る。死ぬまでに叶えたい願いトップスリーのうち一つが、今此処で派手に叶ってしまった。


「それと、友達はお互いに呼び捨てをすると聞きました。そう言えばまだ貴女の名前を聞いていませんでしたね、貴女のお名前は?」

「ロゼッタです」

「良い名前ですね、それから敬語は使わないように」

「が、頑張る……」


 まだ王族を呼び捨てにするのはハードルが高そうである。シエルは優しく私を笑ってくれて、何だか少し恥ずかしくなってしまった。変な男にワインをかけられて、今日は最悪な日! とか思っていたけど……終わり良ければ、全て──。


「静粛にぃいいいイイイッッッヅヅヅヅづっ!」

「!?」

「何事です!?」


 声は、先ほど醜態を晒したエンザイのものだった。大広間にある目線の殆どが、彼へと向かって行く。


「エンザイ! 何をしているのですか!?」

「黙れ! その邪悪な口を、それ以上開くな!」

「なっ……!?」


 エンザイの放った一言は、流石のシエルをも絶句させた。神聖であるとされている王族の口を邪悪と罵った罪は、問答無用で斬首だ。それは仮にも王国に仕える大司教であれば、想像がつくと思うのだが。


「皆様! どうか落ち着いて聞いていただきたい! たった今、私が神より賜った聖書に天啓が下ったのです!」


 見下すように、勝ち誇ったように。エンザイは人差し指で宙を描きながら、やがてその矛先は一人の少女へ向いていく……あろうことか、怒りに震えるシエルの方へ。


「シエル・ニーベルンゲン。我が神は、お前を罪の具現……つまりは魔女の生き残りだとご教示くださった。──魔女は、殺さなくてはなぁ?」


 どよめきが伝播し、それは瞬く間に肥大化していく。見て見ぬふりに徹していたはずの彼らの興味は、全て一人の少女に集約されていた。


「────」


 口をパクパクさせて絶句しているシエルは、先程とはまるで別人のようだった。怒りを通り越し、呆れを超え、今まさに放心状態に陥っているのである。


 その様子を、事の発端である大司教は邪悪に笑った。


「真実を言われて言葉も出なくなったか、魔女め! それとも何だ? これから自分がどう罰されるのか、恐ろしくて震えているのか!? 安心しろ、古今東西、魔女は縛り首だと相場が決まっている!」


 シエルの表情は真っ青だったが、何も言わなかった。口をパクパク開けたり締めたり、全く声を出そうとしていない。──いや、違う。


(喋らないんじゃない、喋れないんだ)


 目を凝らすとうっすら見える、間違いなく魔力の流れだった。滅び去ったはずの魔法、それが彼女の力強い言霊を封じ込めているのである。無論、エンザイの仕業だろう。


「神の御言葉に狂いはない! 衛兵たちよ、その魔女を捕らえるのだ!」


 警備に当たっていた衛兵のうち数人が、持っていた槍を構えて私とシエルを囲んだ。大司教はそれを満足そうに眺めている。


「……!」


 口の部分を気にしながら、シエルは自らを囲む衛兵たちを威嚇した。しかし衛兵たちは怯むことも膝をつくこともなく、シエルが見せるであろう隙を伺っていた。


「抗っても無駄だ! 先程の暴挙からもしやとは思っていたが、やはり貴様は魔女だった! 寵愛を受けた私に逆らった時点で、神はお前の運命をお決めになっていたのだ!」


 口がきけないシエルに対し、大司教は言いたい放題だった。客観的に見れば馬鹿馬鹿しいはずのそれは、しかし「神の御言葉」というパワーワードによって正当化されてしまっていた。正義とか悪とかではない、あの男の気に入らない人間こそが、この国では悪になってしまうのだ。


「だが貴様の悪運も此処までだ。このエンザイが、神に代わって貴様に天誅を下す!」


 シエルの顔が絶望に染まっていく。彼女は助けを求めるが、貴族たちはまるで虫を見るかのような目で見るばかりで、とても彼女を助けてくれるような人間はいなかった。


「悔しいか? 自分の罪が暴かれて嬉しいか? 魔女である貴様を助けるような物好きなど、この場にいるわけがないだろう!」


 その言葉で、彼女は地に膝をついた。静かに涙を流しながら、天井に揺らめくシャンデリアの輝きに目を眩ませていた。無情にも、そんな彼女の隙を逃すまいと、兵士たちの槍が一斉に私とシエルに襲いかかった。


(逃げて)


 彼女の唇は、震えながらも動いた。

 それは誰かに助けを求める懇願などではなく、友達になったばかりの私に対しての、お願いだった。


「ほんと、かっこいいなぁ」


 覚悟が、決まった。髪の毛を引き抜き息を吹きかけてやる……するとどうだろう、それは眩く熱い光へと姿を変え、向かってくる兵士の方へと突っ込んでいったのだ。


「ぐあっ……がぁっ!」

「ひいっ、熱い!」


 屈強な兵士が三人ともその場で悶え苦しんだ。シエルは何が起こったのか分からないといった顔で、火達磨の兵士を見て震えていた。


「安心して、あの炎じゃ人は死なないから。それよりほら、言いたいことがあるんじゃない? 声は、私が出せるようにしといてあげたから」

「……! 声が、戻った!?」


 驚いた様子のシエル。しかし彼女はすぐに状況を把握し、今自分が成すべきことを実行に移した。


「在り得ない、あり得ない、燃え盛る赤髪、髪の毛を使った魔法。お前は、お前は本物の『髪結いの魔女』……?」


 彼女は、呆然と私を見ているエンザイの前に立ちはだかった。


「大司教エンザイ! 王家の血を引く私を侮辱し、この命を奪おうとしたその罪は重い! 王女シエルの名の下に、お前を死刑に処す!」

「バッ、馬鹿なことを言うな! 本物の魔女を隠し玉に持っていたとはいえ、私に勝った気になるな!」

「本物の魔女……貴方は今、そう言いました。では私は? あなたの言い方だと、私は偽物のように聞こえますが」

「っ……!?」


 馬鹿が露呈したエンザイ、しかし奴はまだ諦めていないようで、懐から何かを取り出した……それは、シエルを魔女だと言い張る根拠として使った聖書だった。


「我が神の言葉を疑うとは不届き千万! これだけは貴様にもそこの魔女にも変えられまい!」


 シエルの焦りが見える。確かにあの聖書が信じられている限り、どれだけエンザイが馬鹿でも「神の御言葉」の一言で片が付いてしまう。


 無論、そんなことを私が許すわけがない。


「じゃあ見せてよ、それ」

「えっ……」

「書いてるんでしょ? シエルが魔女だって」

「こっ、これは神聖な聖書だ! 貴様のような魔女に見せるわけが無いだろう!?」

「んじゃ勝手に見せてもらいまーす!」

「はぁ!? ……っぁ!? 本が、勝手に……!」


 取り寄せた聖書が手中に収まり、私はエンザイに満面の笑みを見せてやった。あいつは必死の形相で走ってくるが、運悪く転んでしまったらしい。


「どうぞご覧ください、お姫様」

「ありがとう、ロゼッタ。どれどれ……まぁ、見事に真っ白ですね、これのどこに神の御言葉が?」


 エンザイの青ざめていくその表情、そしてタイミングよく炎から開放された兵士たち。どうやら彼らはすべてを察したらしい……槍の矛先はシエルではなく、言い逃れができないエンザイへと向かっていた。


「……あ、ああ」

「立て、我が国はお前を簡単には死なせないぞ」

「たぁすけてくれぇぇぇぇぇ!!!!!」


 叫びも虚しく、エンザイは兵士に担がれていった。

 嵐が去った大広間には、静寂とともに新たな課題が露わになっていた。


「……ロゼッタ」

「ごめんね。でも私、後悔なんてしてないよ。友達を守るためにやったんだもん」


 我ながら馬鹿なことをやったと思う。大勢がいる中で魔法を使ったことにより、私の正体が魔女だということが明らかになってしまった。この国では魔女は重罪……それが大人であろうが子供であろうが関係ない、魔女であるというその事実さえあれば、容赦なく殺されるのだ。


「私みたいな嫌われ者が、シエルみたいな素敵な人の身代わりになれた事、本当に嬉しいの。私、その……本物の魔女だからさ、きっとマシな死にかたしないだろうなーなんて思ってたから」


 悔いは無い、一片たりとも。これでいいのだ、孤独なまま抗いながら、最後は首を縄に括られるよりは、この短い人生の中で作れた最高の友達を助けて死ぬ。それが最善で、きっと神様とやらが私に与えてくださった、唯一の憐憫なのだろう。


 だが。


「私は、ちっともよくありません」

「え?」

「友を、いいえ命の恩人を罪人として殺す? そんな事をしてしまえば、私は死んでも尚地獄の炎に焼き続けられるでしょう。私は認めません、絶対に認めません」


 そう言ってシエルは、兵士たちに取り囲まれている私の方へと歩み寄ってきて、そのまま手を差し伸べて来た。兵士たちも動揺を隠せず、槍の先が鈍っているのが分かる。


「魔女ロゼッタ、我が最高の友であり恩人よ、どうか私の名誉と貴女の命を守るため、私と共に、姉と戦ってください。──貴女を救うために、私は王になります」

「────」


 頭が全て空白になる。彼女がまさかここまで人を思いやる聖人だとは思ってもみなかった、断るべきだ、断るべきなのだ、彼女の王族としてのこれからを想うのであれば、私はこの手を取ってはいけないのだ。呪われた魔女である私が、この手を取る事は許されない。


 でも私は、どうしようもなく彼女と生きていきたかった。


「……友達の頼みなら、仕方ないなぁ」


 硬く、熱い握手を交わす。それはきっと私と彼女の修羅の道を示すものであり、これからの地獄を象徴する第一歩である。しかし私はどうしようもなく、絶対に助けて見せるというシエルの熱い瞳に魅入られてしまっていたのだ。


「これからよろしくお願いします、ロゼッタ」

「こちらこそよろしくね、シエル」


 こうして、出会って間もない二人は、この国の闇の根幹へと真っすぐに立ち向かっていく。

 しかし、この魔女と王女の呪われた友情が、この国の命運を左右することになるとは、この場の誰も……ましてや神でさえも予想だにしなかっただろう。


 今はただ、大きな窓から射す陽光が、二人を祝福するかのように明るく照らしていた。

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