小田原評定

森本 晃次

第1話 テレビ特番

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年3月時点のものです。今回は、若干作者の考え方の偏った部分があるかも知れないということで、テロップとしての、「あくまでも、個人の意見です」という部分がありますので、ご了承ください。


 あれは、まだ平成になってからしばらくした頃の、西暦が、

「20世紀」

 だった頃のお話です。

 今のように、

「スマホだ。SNSだ、ユーチューブだ。配信だ」

 などというものなかった時代。

 インターネットはおろか、まだまだ会社にも、パソコンの普及していなかった時代である。携帯電話もあるにはあったが、機能としては、電話を掛けるか、メールが少しできるかという程度の時代。アンテナがついていて、折り畳み式ではなかった時代のことである。

 携帯電話の代わりに、ポケベルというものが、一世を風靡していた時代である。数字の暗号で、何を言いたいのかが分かるという、そういう仕掛けで、通信ができたという頃だった。

 電話代も携帯電話を使うと高かった。

 固定電話が、3分で10円が市内通話だった時代、携帯電話を使うと、1分で、100円近くも取られた時代だった。変に通話をしていると、あっという間に通話料だけで、月、何万円と行ってしまう。

 長距離電話を掛けるのに、公衆電話に10円玉をいっぱい両替して、遠距離恋愛の彼女のところに掛けたという人には懐かしい思い出だ。

 その頃は、テレフォンカードが一般的で、カードに描かれた写真や絵が、今ではプレミアだったりするだろう。

 30代以下の人たちは、PHSというものをご存じだろうか?

 携帯電話のようなもので、通話料金が少し安めなのだが、何しろ通話できる範囲が相当狭い。建物に入ったら、圏外になってしまったりしていた。昔の携帯電話であったら、電車に乗っていて、トンネルに入ったら、すぐに圏外になってしまったようなそんな時代のことである。

 PHSはすぐになくなったが、PHSの時代よりもさらに古い時代で、ビデオデッキがやっと一般家庭に普及してきた、昭和50年代後半くらいに、一般的なテープを、VHSと言ったが、それと同じようなテープで、ベータマックスというのがあったのを知っている人はさすがに少ないだろう。

 ベータマックスは、VHSよりも、かなりテープが小さい。それがメリットなのだが、デメリットとしては、

「倍速録画ができない」

 というものであった。

 120分テープを3倍速で録画すれば、6時間録画できるのだが、ベータではそれができない。

 つまり、ビデオにしても携帯電話にしても、出てきた時には、ライバルとなる製品が必ずあったといえるだろう。そして、それらは、それぞれに、一長一短があったのだ。

 そして、少しの間、並行して運用されるのだが、ある時期を境に、その明暗がくっきりと分かれるのだ。まったく売れなくなり、次第に製造中止となってしまって。今では、その言葉を聞いて、

「ああ、そういえばあったあった」

 という程度ならまだいいが、

「えっ? そんなものあったっけ?」

 と言われてしまうと、もう、どうしようもないということであろう。

 そんな時代の中の一つの時代としての、1990年代、世紀末ということでいろいろな事件も起こった時期だったが、もっとも、科学が進歩し、今のテクノロジー時代のさきがけとなった時代だということも間違いのない事実だった。

 なんといっても、パソコンというものの、会社への普及から、家庭への普及。そして、携帯電話での、メールの通信などが、社会生活をまったく変貌させたのだ。しかも、いい方に発展させたという、

「テクノロジー元年」

 といってもいいだろう。

 パソコンにしても、最初にビックリしたのは、マウスというものだった。

「何だい? これは?」

 と訊ねたが、実際に、そんなにサクサク最初から行くものではなかったのを覚えている。ワープロというものには、マウスはない、矢印キーで捜査するだけだった。それなのに、マウスを当ててクリックするだけで、その場所から入力ができるという画期的な発想には、参ったと感じたものだった。

 考えてみれば、数学や算数だって、

「1足す1は2」

 という数式を最初に考えた人はすごい。

 何をするにも、最初に始めた先駆者が一番であって、その後であれば、どんなに革命的なことであっても、最初に開発した人にはかなわないのではないだろうか?

 特に黎明期というのは、どんどん新しいことが発見されたり開発されていくものだ。

「最初に始めた」

 ということであれば、まさに黎明期というものに、先駆者がたくさんいるということであろう。

 開発という意味とは少し違うが、食べ物だってそうである。

 ウニやカニなどの海産物を、誰が食べれると思ったのか、動物だってそうだ。稲作よりもさらに昔から、肉を食べていたというではないか。

 もちろん、火というものが使われるようになったことで、

「焼く、焚く、煮る」

 などということができるようになったことが、文明を一気に開花させることになったのに違いない。

 ギリシャ神話においての、

「火」

 というものは、特別な意味がある。

 ゾロアスター教というペルシャで発展した宗教の神は、

「アフラ・マズダ」

 を善の神として、

「アーリマン」

 という悪の神の二元で構成されている。

 そのゾロアスター教の別名が、

「拝火教」

 とも言われているのだ。

 前述のギリシャ神話においての、火というものであるが、元々は人間界には、火というものが存在しなかったという。それは、創造神であるゼウスが、人間界にわざと火というものを与えなかったという。それを、人間を好きなプロメテウスが、

「火のないところで苦労している人間が可哀そうだ」

 ということで、神の国から人間界にもたらされた。

 ゼウスは怒り狂って、プロメテウスには罰を、そして人間界には、女を使わすことにしたというのだ。そもそも、火を人間界に与えなかったのは、

「火を使って争いが起こったりする」

 という理由からだったのだが、ゼウスは、人間界にいなかった女を創造し、

「災いの元」

 として、その女を人間界に送りだした」

 それが、いわゆる、

「パンドーラー」

 であり、

「パンドラの匣」

 という話の主人公なのだ。

 つまり、ギリシャ神話では、

「火を人間界には神はもたらすつもりはなかった」

 ということと、

「聖書や古事記の世界」

 のように、最初から女というものがいたわけではなく。しかも、災いの元として、女を人間界にもたらすことになった。

 というところが、ギリシャ神話の他にはない特徴でもあったのだ。

 つまり、神話の世界は別にして、火だって、最初に起こした人がいて、その衝撃的な発見を、神話のごとく描いたり、神として崇めたりしているのだ。それだけ、衝撃的なことであるほど、最初に発見したり、使ったりした人は、パイオニアとして、崇められることになるのだ。

 パソコンにしても、最初に電子計算機として、コンピューターの元祖を築いた人がいるからこそ、今があるのだ。そのことを、ついつい忘れがちだが、そのことを再認識させるのが、

「歴史」

 という学問なのではないだろうか。

「歴史を学ぶということは、先駆者に学ぶということなのかも知れない。何もないところから新しいものを開発するというのは、人間の発想が豊かでないとできることではない」

 と言われるが、人間には、「発想:とは別に、「思想」というものがある。

「発想を学ぶものが歴史であるならば、思想を学ぶのが哲学というものである」

 といえるのではないか。

 思想というと、宗教というものが頭に浮かんできて、宗教というと、新興宗教であったり、過去の歴史から、

「戦争の原因となったものに、宗教がらみが結構ある」

 という発想から、なかなか敬遠されがちなものである。

 新興宗教というと、どうしても、家族を引き離したり、陰で何かの企みが渦巻いていたりと、ロクなものではない。クーデターを起こし、国家転覆を狙った宗教団体だってあったではないか。しかも、過去の戦争を考えてみると、十字軍のように、キリスト教とイスラム教の戦いであったり、民族戦争と呼ばれるものの背後に、宗教が絡んでいたりする。

 そういう意味で、過去の日本で、封建制度の中世の時代。大航海時代において、キリスト教の布教を、弾圧した秀吉や、徳川幕府など、その政策は間違っていなかったといえるだろう。

 何しろ、スペインやポルトガルなどのやり口は、

「宣教師を先に送り込んでおいて、キリスト教の信者を増やし、そこで政府ともめた際に、そのどさくさに紛れて軍隊を送り込み、占領してしまう」

 という、あからさまなやり方で、植民地を増やしていった。

 幕府も、秀吉もどこまで分かっていたかは分からないが、結果的に植民地になることもなかった。

 もっとも、地理的なものが優位に働いたということでもあったようだが、鎖国政策など、成功だといえるのではないだろうか。

 学校の歴史の授業などでは、どうしても、今の憲法にある、

「信仰の自由」

 という建前から、どうしても、鎖国や、キリシタン弾圧を容認するような境域であれば、矛盾してしまうことになるから、教育を受けた人間は。

「鎖国やキリシタン弾圧は間違っている」

 と、思わされてしまっているのだろう。

 しかも、明治政府の政策が、

「列強に追いつけ追い越せ」

 であり、

「富国強兵」

 を行うことにより、その時に結ばされた不平等条約を改正させて、本当の独立国家の道を歩もうとしたことも間違いではなかったであろう。

 歴史を学んでいくと、基本的に、その時代時代で、最善の方法を行ってきたということが分かるだろう。

 教育では、どうしても、今の時代と比較して、今の時代を正しいものだとして教育しようとすると、過去の歴史は、黒歴史の部分を中心に習っているかのように思えて仕方がない。

 本来の歴史教育というのは、そういうものではないはずだ。

 それが、もし、プロパガンダに利用されてしまっているのだとすると、世の中をどう解釈すればいいのか、やはり、

「過去に学ぶ」

 という姿勢がないといけないのではないだろうか?

「過去があって今がある」

 あるいは、

「今の答えは未来にある。歴史が必ず答えを出してくれる」

 という発想が、そもそもの歴史という学問なのではないかと考えるのだ。

 また、歴史という7-意味での言葉の中に、

「歴史は繰り返す」

 という言葉があるのを、ほとんどの人は聞いたことがあるだろう。

 一つのブームが一世風靡をして、それが去ったとしても、それから数年後に、またブームが訪れるなどという時に使ったり、政情などの、体制などが、一度滅んで、違う体制なったとしても、また、同じような体制が繰り返されるような場合などにも言われることだろう。

 たとえは、民主化を人民による革命で成し遂げ、民主主義政権を打ち立てても、しばらくすると、軍事クーデターが起こって、軍事政権が生まれることがある。そんな時でも民衆は、英雄となるべく、民主化を主導する、

「力のある先導者」

 が出現するのを待っていたりするのだ。

 かつてのフランスが、

「第〇共和制」

 だったり、

「第〇帝政時代」

 などというように、それぞれの体制を繰り返してきたのが、その典型ではないだろうか。

 帝政のように、抑えつけが行き過ぎると、民衆の不満が爆発するものだろうし、逆に共和制には、自由の代わりに、貧富などの差別が起こったり、多数決による決定のため、少数派の意見が、どんなに正しかったとしても、否定されたりと、民主主義や共和制には、どうしても限界がある。

 そのため、共和制政府はそれをまとめることができず、弱体化していくと、今度は、民衆としては、

「強い指導者」

 を求めることになるだろう。

 そのため、またクーデターが起こり、強い指導者による、独裁であったり、政府による弾圧などの、社会主義国家が生まれたりするのだ。

 それが、19世紀後半から、20世紀頭で起こった、帝政の解体であったり。ファシズム、社会主義の台頭だったりするのだ。

 第一次大戦の戦後処理の間違いと、世界恐慌などによって、国の体力によって、生き残りの難しい国は、どうしても、社会主義であったり、ファシズムに走りがちになるのだ。

 ファシズムの基本は、民族主義でもある。

「自分たちの民族が一番優れていて、他の民族の存在を認めない」

 というような極端なスローガンの元、求めていた、

「強い指導者」

 によるプロパガンダによって、国民が洗脳されていき、いつの間にか、世界征服の野望と、民族浄化などの発想の元、暴走を許してしまうという国家が生まれてくるのだ。

「こいつらではヤバいかも知れない」

 と思っても、もう遅い。

 完全に国家は独裁国家になってしまい、逆らえば、強制収容所送りとなり、同一民族であっても、他民族同様に、大量虐殺の中に放り込まれることになるのだ。

 そうなってしまうと、もう逆らうことはできない。ファシズムは暴走を重ね、無謀な戦争に突き進むことになる。

 そんな歴史が繰り返されたことで、人類がどこまで学んだというのか、世界中が焦土となり、人がまともに住める土地など、どこにあるというのかといわれるような世界を経験しておきながら、戦争はなくなることはない。そんな、

「歴史の繰り返し」

 はまっぴらごめんと言ってもいいだろう。

 幸いにも敗戦国である日本は、占領軍による、

「強制的な民主化」

 さらに、お隣の朝鮮半島で、戦争が起こってくれたおかげでも、特需もあり、戦後復興を一気に加速することができた。

 あれだけ、カーチス・ルメイによる、日本本土の都市への、無差別爆撃で、ほとんどの都市が廃墟と化していたのに、二十年も経たないうちに、ほぼ、復興が成っていたのである。これが、アジアにおける。復興や経済成長などでの、

「奇跡」

 と呼ばれた最初だったのだろう。

 話が大きく逸れてしまったが、そんな、

「繰り返される時代」

 の中で、1990年代というのも、エレクトロニクスにおいての革命の時代といってもいいだろう。

 ちょうど、その頃の日本というと、経済的には、

「バブルの崩壊」

 という事態を迎えていた。

 それまでは、

「事業を拡大すればするほど、儲かる」

 と言われていた時代であり、銀行も、

「過剰融資」

 と言われるくらいに、投資を行い、その利子において、さらなる利益を拡大させようとしていた。

 しかし、バブルという言葉の通りの、

「実体のない泡」

 である。

 少なくとも、経済がうまく噛み合っていたことで発展したバブル経済であったが、一つ歯車が狂えば、何と言っても実態がないのだから、すべてが狂ってしまう。

 それまで、

「銀行は絶対に潰れない」

 といわれた、神話が、簡単に崩れた。

 銀行の財政破綻によって、経済を助けるはずの銀行がうまく経営できない状態に陥ると、会社が破綻していく際に、銀行による援助がなければ、成り立たないのに、その銀行が自分たちの融資したお金の回収がほぼ難しくなった時点で、追加融資などとんでもないことになるのだ。自分たちの足元に火がついているのに、資金援助どころではない。

 そもそも、企業が事業拡大をして、収拾がつかなくなってしまったことで、銀行の資金繰りまでうまく行かなくなり、足元を気にしなくてはいけなくなったのかを考えてみろと言いたいのだろう。

 それが、バブルの崩壊であり、その時にまことしやかに叫ばれ出した言葉が、

「リストラ」

 だったのだ。

 それまでは聞いたこともない言葉で、企業再生のための、人員整理などという意味で一般的に使われるようになった。簡単に言えば、社員を大量にクビにすることで、何とか人件費を抑えようという考え方である。

 会社において収入の道が閉ざされれば、支出を何とか抑えるしかないというのは、当たり前のことだ。

 そのためには、一番経費を食っている部分として、人件費が大きいだろう。特にバブルの時代には、どんどん事業拡大するために、人員をたくさん入れてきた。その中には、企業縮小により、閉鎖された事業所などで、大量の失業者が出るわけだが、そういうのも、リストラなのである。

「肩叩き」

 などという言葉があったり、退職金を弾むから、自主退社を募るという、

「依願退職者募集」

 などというのが、横行したりした。

 それが、バブル経済がもろ刃の剣だったということを示すことでもあり、

「どうして、誰もこんなことになるということに気づかなかったのか?」

 あるいは、

「気づいていた人もいたであろうが、それを口にできない世相があった」

 というのも事実だろう。

 もし、そんなことを言ってしまうと、今うまく行っているところに、不必要な不安に巻き込むことになり、もし、バブルが弾けなければ、自分が悪者になってしまい、

「世間を騒がせたほら吹き野郎」

 ということになってしまうのではないだろうか?

 そんな懸念がある中で、それは、昔から言われている寓話の中のお話に、似たような話があるではないか、それが、

「オオカミ少年」

 という話なのではないか?

 そんなオオカミ少年のような話を、あるテレビ局が、ある時、ドキュメンタリーとして放送したことがあった。その番組は、少し偏ったところもあったので、世論の発想を考慮に入れて、編集を、どちらかというと、

「バラエティ色」

 を強めた番組にしていたようだ。

 再現VTRに出演していた俳優を、わざとコメディアンや、芸人を使ってみたりして、世論の反感を買わないように気を遣いながら、製作していたのであった。

 ただ、時代は今のように、個人情報や、コンプライアンスなどが、まだまだ確立されていない時代であり、騒がれ始めてはいたが、個人情報などに関しては、まだまだ、後退した状態だったといってもいいだろう。

 それでも、プライバシー保護の観点から、本人を出演させることをしなかったあたりは、さすがに放送倫理というものに、充実であったということだろうと理解できる。

 この時代には、バラエティなどで、

「やりすぎ」

 と非難される番組も少なくなく、

「批判はされるが、それでも、視聴率は高いというジレンマの中で、敢えて、番組を強行する」

 という発想は、実際にあり得ることなのだろう。

 この番組は、オオカミ少年というものをたとえとして作り上げたもので、元々、少年には、自分で、

「予知能力が自分にはある」

 といって、いろいろなことを予言していたが、そのうちに、それが、

すべてウソだった」

 ということになり、それが地域で有名になり、その少年のことを、いつしか、イソップ寓話の話の中にある

「ウソをつく子供」

 という話から由来して、通称、その子供のことを、

「オオカミ少年」

 と呼ぶようになったのだということである。

 この話は、

「ウソをつき続けることで、物事の真実を見抜く力が低下することで、人のいうことを誰も信じなくなる」

 ということへの警鐘だともいえるだろう。

「軽々しくウソをつき、それに味を占めて、繰り返していくことで、最後には自分に跳ね返ってくる」

 という解釈もできる。

 しかし、最後には、ウソをついた少年も、信用しなくなった村人も、全員が被害に遭ってしまったということで、

 いくら、どんなに欺かれたとしても、

「またこれはウソなのだ」

 といってすべてを信用しないということは浅はかなことで、最初から人のいうことを信用するのではなく、自分でも疑ってみるというくらいの、用心深さを持つ必要があるのだということへの教訓にも見える。

 製作されたドキュメンタリーとしては、子供の頃からウソばかりついている、いわゆる、

「オオカミ少年」

 と呼ばれる子供に対しての話であり、まわりの人はあくまでもわき役である。

 オオカミ少年はそれまで予言したことがすべてウソであったにも関わらず、ある瞬間から、彼が言ったことが、すべて当たってしまうという、奇跡的な転換が待ち構えていた。それをドキュメンタリーとしたものだが、実際には、少年が頭を切り替えただけだった。

「自分が感じたことがことごとく反対になったのであれば、逆に考えていることの反対のことを口にすれば、すべてが当たることになるのではないか?」

 という発想である。

 これは理屈上はその通りであり、普通に実践すればいいのだろうが、少年としては、今まですべてが外れてきたので、もう、予言するのが怖くなった。つまりは、

「これ以上何も言わない方が無難であり、冒険をする意義が自分にはない」

 という考えを自ら覆る、実に勇気のいることであった。

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