王太子とヒロインは追い詰められる(1)

 ジェレミーはダニエルの拘束を解くように言い、数名の護衛だけを残し、他を下がらせた。

 そして、二人に視線を向ける。


「ゆっくり話を聞きたいから二人とも座れ」


 今まで目を逸らしてきた問題に本腰を入れる、というジェレミーの決意の表れでもあった。

 ダニエルは頷き、向かいの席に座る。次期王太子妃であるサラを敬うつもりなど全くない態度にジェレミーは思わず苦笑した。


 ――――それだけ怒らせてしまったということか。サラに悪気はなかったんだろうが……。


 ジェレミーは『サラがダニエルから殺意を向けられて怯えている』という報告だけを受けて駆けつけた。

 実際に二人が一緒にいるところを見るまでは『修羅場』という文字が頭の中で点滅していたが、実際に見てみると……二人の間に何かあったようには到底見えない。


 噂はやはりただの噂だったのだ。そう確信したジェレミーは、今回の騒ぎも『サラが何か誤解されるようなことをしてダニエルを怒らせた』程度のもので、ジェレミーが間に入ればすぐに解決する……そう安易に考えていた。


 男二人が腰かけている中、サラは一人だけ座ろうとせずに立っていた。

 どうしたのかと、ジェレミーはサラを見て、気づく。

 いつもならサラの定位置はジェレミーの横の席。しかし、今は状況が状況だ。聞き取り調査を受けるなら、横ではなく向かいの席に座った方がいいのでは……と、思いついたのだろう。

 けれど、そうするとダニエルの隣の席に座ることになる。それが怖くてサラは座るのをためらっているらしい。


 怯えているサラを見てこれでは話もまともにできないと判断したジェレミーは自分の隣の席に座るように指示した。

 サラがホッとしたようにいそいそとジェレミーの隣の席に腰かける。


 その間もダニエルは何も言わず大人しく待っていた。先程まで殺気立っていた人物とは思えないほどの落ち着きだ。

 もしや、わざとだったのかと思いたくなる程の変わりようだが、ジェレミーが知っているダニエルはそんな駆け引きができるような人物では無い。


 実際、ダニエルは計画的に殺気を放ったわけではなかった。キレた結果なったのだ。

 ただ、武に優れたダニエルは怒りの感情をコントロールしようとすればできた。戦闘中に冷静さを失うことは死にも直結する行為だ。いくらクロエの悪口を言われようと、場合によっては怒りを抑えることはできる。


 けれど、ダニエルはあの時我慢せずにキレた。それは、『今はキレても大丈夫だ』と無意識に判断したからに他ならない。

 あのまま我慢したとしてもサラとの話は平行線で終わらなかった。が必要だったのだ。

 ここにクロエがいたのならダニエルの頭を撫でて褒めていたことだろう。


 ジェレミーはひとまず、落ち着いた様子のダニエルから話を聞くことにした。


「ダニエル、何があったのか教えてくれるか? できれば最初から」

「わかりました。まず、俺はそこのピンクおん……んん、王太子の婚約者に護衛騎士の辞退を申しでました。ですが、考えなおせと言われ、もう一度断ると、今度は俺の婚約者の悪口を言われました。俺自身のことはなんと言われても構いません。ですが……クロエを貶める発言だけはいくら王太子の婚約者であろうと許せませんでした。後は……ご存じの通りです」


 ダニエルがサラをちらりと見れば、それだけでサラはビクリと身体を揺らす。どうやらまだ殺意を向けられた時の恐怖が根付いているらしい。

 サラは助けを求めるようにジェレミーを見たが、ジェレミーはダニエルの発言に驚いて固まっていた。


 ――――まさか……サラはダニエルがクロエ嬢を溺愛していることを知らなかったのか?! 周知の事実だぞ?! いくら平民出身で貴族間の噂に疎いとはいえ、何かの折に耳にする機会はあったはずだ。それに、ダニエルもダニエルだ! 今、サラのことをピンク女って呼びそうになっていたよな?! もしかしなくてもサラの名前を覚えていないんじゃないか。……え? さすがに私の名前は知っている……よな?


 さすがにこのタイミングで聞く勇気は出ず、ジェレミーは話を続けることにした。


「護衛騎士を辞退したのは例の噂が原因か?」

「はい」

「そうか……」


 不快な様子を隠しもしないダニエル。噂はただの噂だ。しかし、クロエ至上主義のダニエルにとっては耐えられないほど嫌だったのだろう。クロエ嬢に実家に帰られたらしいしな。

 まあ、どちらにしろジョルダン男爵家の嫡男をずっとサラにつけておくわけにもいかない。今回のことで護衛から外すのは決定になるだろう。


 騒ぎの原因はわかった。サラにはダニエルがいかにクロエ嬢を溺愛しているかを説明すれば今後同じようなことにはならないだろう。

 後、他に気になることといえば『サラがなぜしつこくダニエルを側に置きたがったのか』だ。

 たんに護衛として優秀だからなのか、それとも別に理由があったのか。


 しかも、わざわざダニエルの婚約者を引き合いに出したのも気になる。

 サラは自分を虐めてきた公爵令嬢達を許すくらいの心の広さを持っている。

 そんなサラがクロエ嬢の悪口を言ったというのがにわかに信じられない。しかも学園時代を含めてもサラとクロエ嬢には接点はなかったはずだ。


「サラ。どうして君は頑なにダニエルを側に置こうとしたんだ? しかも、ダニエルの婚約者の悪口まで言うなんて君らしくないじゃないか」


 話を振られたサラはビクッと身体を揺らし、叱られた子供のようにジェレミーを見上げた。

 大きな目からポロッと涙が零れる。

 途端にジェレミーが慌て始めた。サラの涙にめっぽう弱いのだ。


 けれど、このまま事情聴取を終わらせることはできない。これは王太子としての仕事でもあるのだ。いくら胸が痛くても聞かなければならない。

 できるだけ優しく尋ねれば、サラは一度唇をぎゅっと結んでから、恐る恐る口を開いた。


「だって、ダニエルがいたらジェレミーが会いに来てくれるでしょ?」

「「は?」」


 男二人の声が重なる。サラはもう全部言ってしまえと勢いよく話し出す。


「寂しかったの! 王太子妃教育が始まってから毎日叱られてばっかりで、愚痴る相手もいないし、ジェレミーに甘えたくても会えなかった。やっと会えたと思っても、ジェレミーは疲れててそんなこと言える雰囲気じゃなかった。私だってわかってるもの! 私のせいでジェレミーに負担をかけていることくらい。ジェレミーが私の為に頑張ってくれてること、わかってるもの」


 感情の高ぶりを抑えられなくなったのだろう。サラはボロボロと涙を流しながら本音を吐露し続ける。


「でもダニエルを護衛騎士にしたら昔みたいにジェレミーはかまってくれるようになった。それが、嬉しかったの! だからダニエルには護衛騎士を辞めてもらいたくなかった……」

「そう、だったのか……それで」


 サラの気持ちを聞いてジェレミーの胸がぎゅうぅっと締め付けられた。

 ――――私はわかっているつもりで、わかっていなかった。

 ジェレミーはジェレミーなりにサラのことを考えて動いていた。

 サラは生粋の貴族の元婚約者とは違う。だから、王太子妃教育をクリアするには時間がかかるはずだ。その間自分がサラの分まで仕事を引き受けて頑張ろう。二人分の仕事を一人でこなすのは正直大変だ。けれど、今を乗り越えればきっと輝かしい未来が二人を待っている。そう信じて毎日必死に仕事に励んでいた。


 けれど、それだけでは足りなかったのだ。

 サラの精神面を守ることまでは考慮しきれていなかった。と、悔やむジェレミー。


 ジェレミーの脳裏に学園時代のサラとの思い出が蘇る。元婚約者や高位貴族の令嬢達から虐められても必死で耐えていたサラ。そんなサラに自分だけでなく、多くの男達が惹かれた。

 群がる男達を蹴散らしてサラを手に入れたのは他でもない自分。自分の気持ちに応えてくれた彼女をこれから自分が守っていくのだとそう誓った。

 それなのに、今はどうだ。

 大事にしていたつもりの結果がこれだ。サラをここまで追い詰めてしまった。


「すまなかった」


 ジェレミーはサラを抱きしめようと手を伸ばした。サラもその手を受け入れるように身体を傾ける。

 けれど、二人の雰囲気を壊すようにダニエルの声が遮った。

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