王太子エンドを迎えたはずのヒロインが今更私の婚約者を攻略しようとしているけどさせません

黒木メイ

プロローグ

 男爵家としては広大な敷地に、立派すぎる邸宅。

 無駄な装飾は一切無く、一見すると無機質で地味な印象を受けるが、建物は頑丈な素材でできていて防御力は抜群。大きさは辺境伯や公爵にも引けを取らない。

 加えて、敷地内には本邸とは別の建物がいくつもある。


 どうして、一介の男爵でしかないジョルダン男爵家にこのような建物があるか、というとそこには浅くも長い理由があった。



 ジョルダン男爵家の歴史は長い。始まりは百年以上も前になる。

 まだ爵位の基準が曖昧だった頃、当時の国王に反感を持っている者達が集まり、視察中の国王をあやめようとした。


 けれど、その時たまたまその場に居合わせた男が「複数人で一人を虐めるとは何事だ!」と返り討ちにしてしまった。その男こそ、まさに初代ジョルダン男爵である。


 ジョルダンの血筋の者は『武』に優れ、歴代の当主達は皆総じて何かしらの武功を立てたと言われている。彼らの武勇伝は国民にも伝わっており、彼らに憧れて騎士を目指す者も少なくない。


 百年以上も王家に剣を捧げ、時には盾となり剣となり王族を守り抜いてきた忠臣。

 本来ならその功績を加味して、今頃公爵……とまではいかなくても侯爵にはなっていてもおかしくはない。

 ……のだが、ジョルダン男爵家の人々は皆一様に権力というものに一切興味がなかった。

 むしろ、陞爵しょうしゃくしたらデスクワークが増え、身体を動かす時間が減るのでは……とそちらの方を恐れた。


 とはいえ、毎回褒美を断るのも王に悪い。

 悩んでいる彼らの元に、ある日天啓が降りた。

『陞爵の代わりにお金と、土地をもらえばいいんだ!』と。


 もらったお金で自宅をより強固なものにして、部下達が泊まれるよう部屋も増やした。広い敷地内に簡易訓練所を作り、いつでも訓練に励むことができるようにもした。


 王国騎士団の中には色んな事情を持ち合わせていて、家に帰れない者がいた。

 寮の部屋には限りがある。あぶれた者達をジョルダン家に引き入れたのだ。中には帰る家はあるが、ジョルダン家でもっと力を鍛えたいという志願者達もいた。

 向上心がある者は好ましい。その心意気に感心し、引き入れる。気づけば大所帯だ。

 それでも、国王からもらった金があるのでなんとかなる! 

 ジョルダン男爵家の当主は深く考えることは苦手なのである。


 本来、男爵家に武力が集まることはいいことではない。

 けれど、ジョルダン男爵家が築き上げてきた実績と信頼、そして歴代の男爵が皆愛妻家だったこともあり黙認された。


 そう、ジョルダン男爵家の本質を理解している者達からすれば、とても納得できる現状なのだ。

 ジョルダン男爵家は敵も多い。敵が皆真正面からくるならばいいのだが、そうではない。

 むしろ、弱点を狙おうとしてくる者達がほとんどだ。

 そして、その弱点は……男爵夫人や子ども達なのだ。


 実際、夫人や子ども達が攫われそうになったことは何度もある。それを毎回防いでくれているのが非番の部下達だ。

 彼らのおかげでジョルダン男爵も安心して仕事に没頭できている。


 そんな「武」と「愛」を重んじるジョルダン男爵家の嫡男、ダニエルは今至福の時間を過ごしていた。


「ダニエル」

「なあに、クロエ?」


 ダニエルの婚約者であるクロエ・オーリクが彼の名前を呼べば、それだけでダニエルはうっとりとした表情を浮かべる。まあ、いつものことである。

 クロエはじっとダニエルの顔を見つめた。ダニエルの頬が徐々に真っ赤に染まっていく。


 その反応も、瞳にこもる熱も、今までと何ら変わらない。

 クロエは安堵の息をこっそりと吐いた。


 元々、疑っていたわけではない。けれど、これ以上は放っておけない。

 は罰なのだ。愛する婚約者ダニエルへの。

 クロエは心を鬼にして告げた。


「しばらくの間、実家に帰らせていただきます」


 瞬間、ダニエルは固まり、顔色を赤から青に変化させる。


「は? え? うそでしょ? なんで? 俺なにかした? ごめん謝るから! だから俺のこと捨てないで!」


 クロエの足元に滑り込むように座り、懇願するダニエル。

 あまりにも必死な様子に決意がゆらぎそうになる。


 うるうると瞳に涙を溜め、半べそをかいているダニエル。

 頭の上には垂れ下がった犬の耳が見える……気がする。


 クロエは我慢できずにダニエルの髪を撫でた。

 ダニエルはその手に縋り付くようにして頭をこすりつける。


 ――――ああ、このまま抱きしめてわしゃわしゃしてあげたい。


 でも、そんなことはできない。込み上げてくる気持ちを抑えて、何とか外へ吐き出す。

 それがダニエルには悪い意味での溜息に聞こえたらしい。怯えたように身体を揺らし、恐る恐るクロエを見上げる。


 正直なところ、クロエはダニエルのこの上目遣いに弱い。


 ――――仕方ない。ヒントくらいは出してやろう。


「先日、親切なご令嬢が教えてくれました。……最近、あなたと王太子の婚約者であるサラ様が懇意にしているようだと」


 その瞬間、「あ?」とダニエルの低音が響く。


「誰? そんなデタラメをクロエに吹き込んだのは」


 今にも剣を抜いて飛び出していきそうなダニエル。

 殺意を抑えきれていないダニエルを前に、呆れと微かな喜びが込み上げる。

 けれど、それを顔に出すわけにはいかない。咳払いして誤魔化す。


「忘れちゃったわ。教えてくれたのは一人や二人じゃないもの。とにかく! 私はそんな噂が流れているうちはあなたの顔を見たくないの」


 ふんっと顔を背ける。

 横目でちらっと反応を窺えば、ダニエルは絶望的な顔を浮かべていた。


「そ、そんな……顔も見たくないなんて……そんなことクロエに言われたら……俺はっ」

「そんなに嫌?」

「嫌だ!」


 今にも泣きだしそうなダニエルの顔を両手で挟んで覗き込む。


 ――――あ、ちょっぴり涙が零れてる。


 愛おしいなあ、なんて思いながら微笑むとダニエルの顔が真っ赤に染まった。


 ――――あ、いけない。気を緩めたらすぐ甘い顔をしちゃう。


 再びキリッと顔に力を入れて、ダニエルに告げる。


「私はしばらく実家に帰ります。これは、決定事項よ。わかった?」

「わ、わかった。けど、しばらくってどれくらい……」

「噂が消えたら戻ってくるわ。早く戻ってきて欲しいなら……どうすればいいのかよーく考えてみて? ダニエルの頑張り次第では……」


 そこから先はダニエルの耳元で囁く。ダニエルが息を呑む音が聞こえてきた。

 離れてからダニエルの顔をもう一度見る。もう、その瞳に涙はない。

 ダニエルはクロエの目を真っすぐに見つめて言った。


「俺、頑張る! だから、待ってて!」


 ギュッとクロエの両手を握るダニエル。


 ――――それでこそ、私が愛した人だわ。やればできるんだから。頑張ってね!


 応援の意味をこめてクロエは微笑み、頷き返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る