25話

 交易街での生活に馴染み始めたアルギスとマリーの2人がエレンの到着を待っていた頃。


 公都のエンドワース邸では、カリカリとペンの音が響くソウェイルドの執務室へ、手紙を携えた使用人がやって来ていた。

 


「――失礼致します」



「ジャック」



 使用人の声が執務室へ響くと同時、ソウェイルドは書類へ目を落としたまま、背後のジャックへ声を掛ける。


 すると、早々と使用人へ歩み寄ったジャックが、手のひらへ手紙を乗せて戻ってきた。


 

「セルヴァン様から、こちらが」



「む?急ぎか?」



 そっと差し出された手紙に、ソウェイルドはペンを置いて、書類から不快げに顔を上げる。


 しかし、ジャックから受け取った手紙を開くと、記されていた内容に口元を吊り上げた。



「クク、そうか。遂に、巣を出たようだな……」



「動かれますか?」



 恭しく腰を屈めたジャックは、眉一つ動かさずに指示を待つ。


 室内に重苦しい空気が広がる中、対するソウェイルドはクツクツと喉を鳴らしながら、背もたれへ寄りかかった。

 


「ああ、バルドフを呼ぶ必要がある」 



「かしこまりました。少々、お待ち下さい」



 楽しげに虚空を眺めるソウェイルドに、ジャックは再度頭を下げて、出口へと向き直る。


 しかし、はたと目線を下ろしたソウェイルドは、遠ざかるジャックの姿に、目を細めた。

 


「……いや、気が変わった。バルドフの下には、私が赴こう」



「しかし……」 


 

 ソウェイルドの声に後ろを振り返ると、ジャックは眉尻を下げながら閉口する。


 困ったように肩をすぼめるジャックに対し、ソウェイルドはわざとらしく首の後ろへ手を添えた。



「ほんの気分転換だ。書類仕事ばかりでは、肩が凝っていかん」



「そういうことであれば、通達の方は私が」



 顰めっ面で首を捻るソウェイルドに苦笑しつつも、ジャックはホッと息をついて机の側へ戻っていく。


 一方、そそくさと席を立ったソウェイルドは、近づいてくるジャックと入れ替わるように、扉へと足を向けた。



「ああ。だが、送付の手配は不要だ。私が直接送る」 



「かしこまりました」



 すれ違いざまに指示を出して去っていくソウェイルドを、ジャックは頭を下げたまま見送る。


 ややあって、ソウェイルドが執務室を出てくと、脇に立っていた使用人が静かに扉を閉めた。



「……父上にも考えはあるようだが、私は私でやらせてもらおう」


 

 ガチャリと閉じられた扉を背に、ソウェイルドは口元へ手を当てながら、低い声で独りごちる。


 胸中に熱気を渦巻かせつつも、落ち着き払った足取りで廊下を進んでいった。


 それから、逸る気持ちを押さえて歩くこと1時間余り。


 屋敷の裏口を出たソウェイルドの前には、騎士館の重厚な扉が姿を現していた。



「こ、これは旦那様!」



「バルドフは、いるか?」



 青い顔で腰を折る警備の騎士に対し、ソウェイルドはゆっくりと開かれる扉の奥へ目線を向ける。


 すると、ピンと背筋を伸ばした騎士は、未だ怯えを見せつつも、キッと表情を引き締めた。



「はい。現在は、本部の団長室にいらっしゃいます」 



「ふむ」



 騎士を尻目に足を進めると、ソウェイルドは騎士館のロビーを抜けて、更に奥へと向かっていく。


 やがて、騎士館の最奥に控える鍛錬場の前で立ち止まった時。


 赤黒い大剣を背負ったバルドフが、急き込むように駆け寄ってきた。



「旦那様、如何されましたか?」



「なんだ、お前から来たのか」



 焦りを滲ませたバルドフの声に、ソウェイルドは騎士館から目を逸して、不思議そうな顔を浮かべる。


 普段と変わらぬ様子に首を傾げつつも、バルドフは緊張感を湛えて腰を折った。



「伝令がありましたので。しかし、こちらへ直接いらっしゃるなど……何か、問題でも?」



「お前に用があってな。わざわざ、足を運んだわけだ」



 ゆっくりとバルドフと向かい合ったソウェイルドは、上機嫌に手をすり合わせながら口を開く。


 不敵な笑みを見せるソウェイルドに対し、バルドフは神妙な面持ちで闘志をたぎらせた。



「光栄にございます。なんなりと、ご命令を」



「気分転換も兼ねている。少し、歩きながら話そう」



 再度腰を折ろうとするバルドフの肩を叩くと、ソウェイルドは軽い足取りで無人の鍛錬場へと向かっていく。


 一方、途中でお辞儀を止められたバルドフは、目を丸くして、そそくさとソウェイルドへ付き従った。



「……騎士たちの様子はどうだ?」


 

 釈然としない様子のバルドフをよそに、ソウェイルドは使い古された的や、蹄の後が残る地面に目を向ける。


 続けざまにソウェイルドが後ろを振り返ると、バルドフはその場で立ち止まって、両手を脇へ揃えた。



「皆、日々鍛錬に励み、任務についても常に万全を期しております」



「実に素晴らしい。その成果、この目で見られる日が楽しみだ」



 堂々と胸を張るバルドフに口元を吊り上げたソウェイルドは、抑えきれない喜色と共に、鍛錬場へ目線を戻す。


 静まり返った鍛錬場を満足気に眺めるソウェイルドに対し、バルドフはスッと目つきを鋭くして腰を屈めた。



「……出陣の、ご予定が?」



「うむ。近く、ソーンダイク領へ向かうことになるだろう」



 周囲を警戒しながらバルドフが声を潜める一方で、ソウェイルドは薄笑いを浮かべたまま、声を弾ませる。


 穏やかなソウェイルドの声音に肩の力を抜くと、バルドフもまた、表情を緩めながら顎を撫でた。



「なるほど、大旦那様の件ですな」



「ああ。だが、ここへ来た本題はそれじゃない」



 バルドフに顔を向けたソウェイルドは、小さく首を振って、口調を重々しいものへ変える。


 雰囲気を一変させるソウェイルドに、バルドフは目線を上向けながら首を傾げた。



「では、一体?」



「クスタマージョの制圧についてだ。あの街では、住民も建物も、何一つ傷つけさせるな」



 返す刀で口を開くと、ソウェイルドはバルドフへ指先を突きつけながら、矢継ぎ早に指示を出す。


 爛々と目を輝かせるソウェイルドに気圧されつつも、バルドフは感情を押し殺して、静かに腰を折った。



「はっ」 



「……あの街は、理由はどうあれ、悪い虫が寄り付かん。アルギスも、きっと気に入るはずだ」



 しばしの逡巡の後、ソウェイルドはバルドフから目を逸しながら、ボソボソと小さな声を上げる。


 しかし、ソウェイルドの呟きを耳にしたバルドフは、息を呑んで、身を震わせた。



「委細、承知致しました」



「理解できたようだな。この件は私とお前だけで進めるぞ、内密にだ」



 目の色を変えて勢い込むバルドフに対し、ソウェイルドは不敵な笑みを浮かべながら腕を組む。


 ソウェイルドが楽しげに喉を鳴らす中、バルドフは顔色を伺いながら、躊躇いがちに口を開いた。



「大旦那様へのご連絡は、よろしいのですか?」



「父上の狙いは、あくまでソーンダイク領の接収そのものだ。それ以外に興味は無い」



 バルドフの問いかけに顔色を曇らせつつも、ソウェイルドは事もなさげに、軽く手を払う。


 涼しい顔で言い放つソウェイルドに、バルドフは忙しなく目を泳がせながら頷きを返した。


 

「……かも、知れませんな」



「それに、あの街はアルギスの成人祝いにすると既に決めたんだ。父上にも口は出させん」



 言い淀むバルドフに柳眉を逆立てたソウェイルドは、次第に語気を強めながら言葉を続ける。


 一息に言い切ったソウェイルドがふぅと息を吐くと、バルドフは膝へ頭がつくほど、深々と腰を折った。



「大変、失礼致しました」



「いい、構わん。そんなことよりも、アルギスは喜ぶと思うか?」 



 床を見つめるバルドフをよそに、ソウェイルドは腕を組みながら、難しい顔で思案に暮れる。


 一方、ゆっくりと背筋を伸ばしたバルドフは、遠くを見据えながら、途端に相好を崩した。


 

「はい。アルギス様の笑顔が、目に浮かぶようです」



「ふーむ……そうだ。これは、アルギスにも内緒にしよう」



 バルドフの賛辞を受け流すと、ソウェイルドはパチリと指を弾いて、満足気に口元を歪める。


 すっかり機嫌を直すソウェイルドに、バルドフは目を丸くしてポリポリと頬を掻いた。


 

「アルギス様にも、ですか?」



「ああ、端から知っていたのでは新鮮味もないからな。折を見て教えた方が、関心を持つだろう?」



 バルドフへ目線を戻したソウェイルドは、目を細めながら、得意げな顔で肩を竦める。


 すると、これまで不思議そうな顔を浮かべていたバルドフは、納得とばかりに大きく頷いた。



「それは……確かに、そうですな」



「うむ。では、話はこれで終わりだ。明日にでも公都を立てるよう、用意を整えておけ」



 心からの賛同に破顔すると、ソウェイルドは追加の指示を出して、バルドフへ背を向ける。


 スタスタと鍛錬場を歩き出すソウェイルドに対し、バルドフは勢いよく腰を折り曲げた。



「はっ!」



(あぁ……これほど何かを待ち望むなど、いつぶりのことだろうか)



 気迫の籠もったバルドフの声を背に、ソウェイルドは忘れかけていた感覚に胸を踊らせる。


 やがて、騎士館の出口が近づいてくると、吊り上がりきった口元を隠すように片手で覆った。



「……く、クク、クハハハッ!」 



 程なく、騎士館のエントランスを後にしたソウェイルドの口からは、堪えきれなくなった哄笑が漏れ出す。


 警備の騎士たちが背後でギョッと目を剥く中、ソウェイルドは終始弾むような足取りで屋敷の裏口へと戻っていくのだった。

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