第16話

 もう少しで十七時の鐘が鳴るというのに、公園はやけに賑やかだ。横から、そして上の方からも子供たちの声が園内を駆け回る。

 山の麓に存在する公園は、三段構造のような形になっており、一番下にはブランコや砂場といったオーソドックスな遊具が立ち並んでいる。急こう配な石段を登ると、底の見えない濁った小さなため池があり、そこに群がるように子供たちが手製の割りばし竿でザリガニ釣りに没頭している。さらに階段を登った先には開けたオープンスペースが存在するが、既に夕暮れに差し掛かっている今、先ほどまで鬼ごっこをしていた子供たちは既に降りてきているようだ。

 公園の目の前には廃れた一件の駄菓子屋があり、やけにみずぼらしくやつれた女性が、頬杖をついてつまらなそうに子供たちを眺めている。十年前にも存在していた駄菓子屋で、店先に座っている女性もまた、十年前と変わらない。一体、どのようにして生活しているのだろうか。駄菓子屋の稼ぎ分だけでは、まだ年金をもらうような歳でもない中年の女性が生活するには圧倒的に足りないだろう。


「懐かしいなぁ」


 駄菓子のカップ麺にそそぐお湯でさえ、五円取られた記憶が鮮明に残っている。月日が経ち、それなりに金銭感覚が大人になった今でも、お湯でお金を取るというのは中々理解に及ばない。


 さて、本題に移ろう。

 なぜ、僕が夕刻の公園で一人ベンチに座っているのかというと、端的に言えば約束すらしていない人を待っているのである。見栄えは完全に不審者だ。まだ、制服というのが若干の救いだろうか。

 僕が知りうる彼羽の自宅のアパートの表札は変わっており、現在の彼女の住まいは分からなかった。ゆえに彼女と小さいころに頻繁に遊んだこの公園で、来るはずもない人を待っているのだ。

 彼女と話をしようと決意してから、既に三日が経過していた。最初の二日を例の海辺の公園で待ってみたのだが、彼女は姿を現さなかった。


 そして三日目、今日は場所を移動してみたが、どうやら今日も駄目そうだ。

 もしかしたら、彼羽は僕が考えている以上に何とも思っていないのかもしれない。たまたま幽霊か幻惑が見えてしまっただけの不可解な現象として、頭の隅に押しやられてしまっているのではないか。半分くらいは間違っていない気もするが……。

 十七時を知らせる甲高い鐘の音が町中に鳴り響いた。この町の子供たちは、この鐘を聞くなり急いで家に帰る。中には、この鐘が鳴るときには、家に居なければいけない家庭もある。子供たちにとって、十七時の鐘は遊びの終了を知らせる合図なのだ。

 先ほどまで多くの子供たちでにぎわっていた公園は、ほんの数分で瞬く間に静まり返り、夏の夕暮れだというのにやけに、日当たりの悪い薄暗い場所ということが相まって、少しだけ不気味な雰囲気だ。駄菓子屋も子供たちがぱったりといなくなると、すぐさま店をたたんだ。

 ここから十八時半ほどまでの間は、人通りがぱったりと無くなる。十八時半を皮切りに山の上にある中学校から、部活帰りの生徒たちが賑やかに公園前を通過して下校していくのだが、僕はその前には撤退してしまおう。


 十八時頃には帰らないと、空気の読める同居人が躍起になって探しに来てしまいそうだ。

 少し早いが、子供たちに倣って帰路に就こうとベンチから腰を上げたその時、公園の入り口に人影が見えた。その人影は明らかに子供のシルエットではなく、僕が探していた彼女であった。


「……彼羽」


 僕の小さな呟きに彼女が反応した。今日も黒のジャケットと下に覗く白のワイシャツ、それと黒のパンツ。一見、就活生にも見えるその服装から察するに、仕事帰りなのだろう。十七時すぎには既に会社を出ていることから、どうやらそれなりに優遇の効く会社なのだろうか。


 まあ、そんなことどうでもいいか。


 肩にかかる程度のミディアムヘアーだが、軽く内巻きをしているのでストレートに直したら鎖骨ほどの長さだろうか。クリーム色の髪には昔の面影が残っておらず、少しだけ違和感を感じる。しかし、顔立ちは十年前とさほど変わっておらず、化粧を施しているせいか、皮肉にもあの花火大会の日の彼女と照らし合わさってしまう。


「ヨッくん、でいいんだよね?」


 軽く頷き、ベンチの隅に移動する。彼女は何も言わず、意を決したように空いたスペースに座った。


「久しぶり、だね」


「……うん」


「驚いた?」


「当たり前だよ。だって、ヨッくんはもう――」


 彼女は口を紡いだ。言ってはいけない言葉だと感じているのだろうか。だから、僕はあえて彼女に現実を突きつける。


「そうだよ。僕は十年前に死んだ」


「――ッ! じゃあ!」


「今の僕は、たぶん幽霊。しっかりと死んだ瞬間の記憶は無いんだけど、十年前に病室で目を閉じて、気がついたら十年後のこの世界に来ていた。意味が分からないよな」


「ほんと、訳が分からないよ。こうして話していることが夢か幻覚なんじゃないかって、今、この瞬間も思ってる」


 彼女の落ち着いた仕草と話し方にはっきりとした時の流れを感じて、そこはかとない寂寥感に苛まれる。十年前の無邪気な彼女は、ここにはいない。その原因は、歳月のせいか、もしかしたら僕なのかもしれない。

 彼女の頬に手を置き、抓つねった。

 彼羽は僕をまっすぐに見つめ、一言「痛い」と言った。


「夢じゃないだろ?」


「痛い夢だって、あるかもしれない」


 彼女の瞳が潤んだ。


「なるほど、その発想はなかった」


「それくらい、信じられないってこと。でも、ヨッくんがここにいるってことだけは、信じられる」


 夏の夕暮れの青臭い風が二人の間を吹き抜けた。ざわざわと木々が音を立てる。


「その、どう? 十年経ったけど、今の環境っていうの? なんか、そういうやつ」


 我ながらたどたどしい質問だと思う。それでも、彼女はどこか嬉しそうに、それでいてその喜びは表情にあまり出さずに語った。


「今はね、小さな会計事務所で社畜しているただの社会人だよ。一応、東京の大学を出たんだけどさ、なんか、向こうの空気は合わなくて、卒業してからこっち戻って来ちゃった」


「そうなんだ……。その、恋人とかちゃんと作れたか?」


「大学では、それとなく何人かいたけど……でも――」


 彼女の頬に一筋の涙が伝った。涙の量はとどまることを知らず、決壊したダムのように流れ続ける。

 そんな彼女を見て、僕はなんて声をかけてよいのか分からず、押し黙ってしまった。


「でも、無理だよ……。私はもう、人を好きになれない。私の好きは、あの頃に置いて来ちゃったから」


 すすり泣く声と、時折漏れる嗚咽だけが公園に響き渡った。僕が彼女のしがらみになっている。

 十年もの月日があれば、彼羽は僕を忘れ、新たな出会いと将来に向けて邁進しているとばかり思っていた。しかし、現実は大きく食い違い、彼女は僕を忘れられずにいたのだ。


「でもね、今日会って不思議に感じるの。ずっと、忘れられずにいたヨッくんが目の前にこうしているのに、なんでかな……好きって感情がふっと消え去ってしまってて。もちろん、ヨッくんのことは大好きだよ。矛盾してるけどさ、恋愛的な好きはどこかに消えちゃったみたい」


 どうやら、彼女も僕と同じ気持ちだったようだ。


「それは、僕も一緒だよ。なんでだろう。今だから言えるけど、あの頃はぶっちゃけ相当な両思いだったのに、ね」


「私ね、ヨッくんが告白してくれるのをずっと待ってたんだよ?」


「あー、うーん、ごめん……っていうのは間違ってるよな。うん、遅いかもだけど――」


 僕は彼女の目をまっすぐ見つめる。彼女も溢れる涙を振り払うことなく、僕から目をそらさない。


「好きでした。僕は、彼羽のことがずっと、ず――っと好きでした!」


 彼女はハンカチを取り出し、涙を拭う。

 一瞬下げた顔を、再び僕に見せたとき、彼女は昔のような無邪気な笑顔だった。


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他サイト様主催スターツ出版大賞最終選考作品の加筆・修正版です。

旧名「夏色リバイブ」


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