第13話
まるで自分が世界の端っこに来てしまったように、どこまでも続く果てしない地平線は、朝焼けの陽を浴びて燃え盛る。
ずっと眺めていると、僕まで燃えてしまいそうだ。
緩やかに流れる風を伝って鼻孔に潮の匂いが届いた。この匂いだけは十年前から色褪せない。
海には時間という概念を感じさせないほどの雄大さがあった。
そう言えば、昔も悩んだ時とかは、朝早くに防波堤の先っぽで今みたいに座り込んで朝焼けを見たりした。しかし、今悩んでいるのかどうかと言われると、断言はできないけど、きっと悩んでいないんだと思う。
希は何も言わなかった。押し付けなかった。強要しなかった。それでも、彼女と話をしただけで背中を押されたような気がした。元々、そうするべきだと分かっていたことを再度、気づかせてくれただけ。
「人生はまるで海のようだ」
口を衝いて出た
無精髭が似合わないよれよれのスーツを着た四十歳くらいのおじさんだ。どこか疲れたように見える瞳は、僕を一切見ることなく、まっすぐ地平線の先を見つめていた。
そして、隣にスッと座り込む僕に対して何も言わずにいた。
なんの理由だったか忘れたくらい些細な悩みだったのだけれど、その時の僕にとってはとても重大な悩みで、気がつくと彼に全てをぶちまけていた。なぜ、そのような行動をとったのかも覚えていない。純粋に僕の年齢が十を少し超えたばかりという幼い歳だったことが大きいのだろう。
聞いているのか分からないような無言の状況で、彼は不意に僕の言葉を遮って言い放った。その言葉が「人生はまるで海のようだ」の一言である。
意味が分からない。そう言うと彼は「俺にもよくわからない」とぶっきらぼうに述べた。しかし、その後に
「人の生きる道っていうのは、この海みたいに無限にも思えるような出会いと経験があって、選択肢もまた、掴めないように膨大にある。しかし、どの選択をしようと本質的な自分、つまりは海の色は全く変わらない」
今でもこの言葉の意味はあまり理解できていない。当時の僕は素直に問うた。どういう意味なのだ、と。すると彼は肩をすかして「悩むという行為も立派な選択肢だが、それをしたところで結果は変わらない」と呟くように言った。
変なおっさん、と思ったが海を見つめる彼の瞳は、疲れ切っているのにどうしてかキラキラと少年のように輝かせていたせいで、どうにも頭ごなしで否定が出来なかった。
「じゃあ、僕は死ぬときは海で死のうかな」
この発言は、おじさんを真似ただけだ。自分でも意味をよく分かっていない。しかし、おじさんは僕に意味を問いただすことなく、頷いたのだ。
「奇遇だな。俺もそう思っていた」
思い出せる記憶はそこまでだ。
一度しか会っていないのに、どうしても彼の海を見る瞳を忘れることができないでいる。
今思うと、自分の言った発言を破ってしまった。僕はきっと病院のベッドで植物のように死んだのだろう。海も見えない山の奥の薄暗い病室で。
しかし、彼の言葉を借りるのであれば、それもまた選択肢の一つなのだろう。
選ぶ余地がなかったなんて野暮なことは言わない。その気になれば、まだ身体が動く時期に病院を抜け出して海に身を落とすという選択を取ればよかっただけだ。病院での死は僕が確かに選んだ結末だ。
不意に隣に誰かが腰を降ろす。
驚いた。防波堤の先っぽにわざわざ早朝から来る人など、釣り人でもなかなかいない。では、誰なのか。
目を向けると、何時ぞやのくたびれたスーツ。あぐらをかき、猫背でどこか疲れ切ったように見える顔。ひたすらに燃える水平線を眺める彼は、ふた回りくらい老けたようだ。それでも相変わらず海を見つめる瞳はギラつきすら感じるほどに輝いている。
なぜ彼がここにいるのだろうか。きっと、気まぐれなのだろうけど、ちょうど僕が思い出した時に現れるなんて、人の心でも読めるのだろうか。
「お久しぶりですね。僕のこと覚えてますか?」
やはり彼は海から目を離さない。白髪の混じった髪を寝起きのようにぼりぼりと掻き毟り、スッと目を細めた。
「十五年以上前のことだったか。ここの場所で、少年が死ぬ時は海で死ぬと言っていた」
「僕ですね、それ。人生は海のようだって言ってましたよね」
お互いに過去の人物像と紐づけるように、二人しか知らないであろう言葉を述べ合った。
「少年。成長していないな。時が止まってるみたいだ」
「ええ、僕はもう死んでいますからね」
「そうか」
「驚かないんですか?」
「そういうこともあるだろう」
まるで興味なさそうに言い切った彼の瞳が、スッと僕に向いた。反するかのように、僕は海に向き直る。
「どういう意味ですか、それ」
「それもまた、海みたいなものだ。海は生きているのか、死んでいるのかわからない。そして、不思議なこともたくさん起こる。例えば死人が動いて、喋っているってことも海の不思議から見れば、十分にありえる話だ」
僕は沈黙を貫いた。まるで納得できない彼の発言を聞き流すつもりはなかった。
「少年、海で死ねたか?」
「残念。僕の選択は、たぶん病院の一室でしたよ」
「そうか。それも一興だろう。では、どうだ? 今から飛び込んでみては」
「無理ですね。この身体は溺れるとかないんで。きっと心臓貫かれてもピンピンしてますよ。心臓あるかわからないけど」
「それは面白い。まるで――」
「海のようだ」
不毛に感じるこのやり取りをあとで思い出せば、やはり不毛だと思うのだろう。それでも、なぜか僕の心に突っかかっていた最後の
「少年が海で死ねなかったのは、非常に残念だ」
「おじさんはちゃんと海で死ぬ予定?」
彼は海に向き直る。全身を脱力させた状態で、端から見ればただの浮浪者なのだが、それでも少年な僕にはヒーローのように見えた。つまり、どうしようもなくカッコよく見えたのだ。
「あぁ、近いうちに」
僕は止めない。それが彼の選択なのだから。
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他サイト様主催スターツ出版大賞最終選考作品の加筆・修正版です。
旧名「夏色リバイブ」
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