第4話
もしかしたら、学校から出られないのでは?
そんな心配も杞憂なもので、あっさりと学校を出た僕と希は山を下り、町へと繰り出した。
十年後の町並みは思ったよりも変わっていなかった。潰れている店は多けれど、新しくできた建物などはあまりないようで、十年という月日をこの町では廃れたと表現するみたいだ。
海と温泉がまあまあ有名な観光地だが、十八年間育った身としては、特に魅力などない田舎街。いや、街ではなく、町だ。観光地なんてのは名ばかりだと思う。実際、山の中腹から下ってきて、海が見えるまで、大した飲食店など存在せず、結局、十年前にも存在していた古びたファミレスに行くことになった。
見覚えのある建物が見えて、あることに気が付く。
「あのさ、僕、お金持ってないんだけど」
僕の前を歩く彼女は、背負った紺色のリュックサックからピンク色の二つ折り財布を取り出して、自慢げに振り向いた。本当に笑顔を絶やさない人だ。
「むふふー。お姉さんに任せたまえ」
「お姉さんって、同い年なんだけど。それに僕が生きていたとすれば二十八歳だよ」
「細かいことは気にしなさんなって。ゆーれいくん」
僕の小言は彼女に全く通用しないようだ。ネガティブ思考な僕と彼女は正反対。そりが合わないのは最初から分かり切っている。別に彼女のような元気が良くて、困ってる人をためらわずに助けてしまいそうな人は、嫌いではないし、客観的に考えれば、普通に良い人だ。しかし、心まで病に侵されてしまったかのようなネガティブな思考が、無意識に敬遠してしまう。まるで、病気の前の自分を見ているようで、ある種の気持ち悪さすら覚える。
しかし、今現在頼れる人は彼女しかいない。いつ死んでもいいとは思うが、やはり苦しむのは出来れば避けたい。
彼女にそそのかされるままにファミレスに入る。
「何にするか決まった?」
「いや、悩んでる。これか、これ」
「おっ、やはり君とは腹の波長が合いそうだ。私もそれとそれで悩んでいたのだよ! ということで、シェアしよ!」
「相変わらず意味の分からないこと言うね」
彼女は僕の言葉を遮るように呼び出しのベルを押し、注文を済ませてしまう。
注文した品が届くまでの間、彼女はひたすらにしゃべり続けた。半分聞き流していたがどうやら彼女は僕に気を使って、この十年で起こった出来事などを話していたっぽい。しかし、正直な話、死んだ後に起きた事件など、興味を持てというほうが難しい。
簡潔に興味がないからもういいよと明言しようと思ったが、それはネガティブではなく、ただのぶっきらぼうな嫌な奴なので、半分はしっかりと聞いて、それなりに相槌を打った。
やがて、注文していた料理が届いた。パスタとハンバーグセット。なんてことないファミレスの料理だ。それでも、約一年間病院に閉じ込められて、病院食ばかり食べていた僕にとっては、とても魅力的なご馳走に見えた。
彼女も
料理を平らげた後、彼女は満足げに一息つく。
「しっかり食べないと、育たないぞ」
「死んでるんだよ、こっちは」
人の恩を受けながらにして、悪態をつくこのネガティブ思考に我ながらあきれてしまった。
*
胃が重たい。生きているときにも体感したことのある異変だ。
いや、今も幽霊として生きているわけだから、少し語弊があるのだろうか。前世? 生前? まあ、どうでも良いことだ。
闇の深まる学校の屋上で、一人謎の異変に悶々として、ようやく近しい現象が胃もたれだと思い出す。胃なのか、それとも他の臓器なのか分からないが、中腹部から下腹部にかけて、まるで漬物石でも乗っているような感覚に苛まれる。
実は、この異変はファミレスを出た直後から感じていた。それ以降、いくら時間が経とうが症状が消えるどころか、薄れる気配すらない。
何度も言うが、苦しいのは嫌いだ。十年前、一人で孤独と闘いながら苦しんだのに、どうして霊体になってまで苦しまなければいけないのだろうか。
もしかして、幽霊ってご飯とか食べちゃだめだったりするのだろうか? でも、食べないと今度は空腹で苦しむことになる。
この胃もたれのような症状がずっと続くのはごめんだ。原因はされど、ひとまず苦しいのであれば出してしまおう。排泄感などは全く感じない。つまり、出すとすれば上からだ。
校内に入り込む。田舎の学校だから警備員などいるはずもなく、夏休みなので残っている教員もいない。
真っ暗な校内。月明りを頼りにして、ゆっくり歩き進む。
「いや、怖すぎでしょ」
幽霊でも出るのではないだろうか。いや、幽霊は僕なんだけど。
幽霊が幽霊を怖がるという何とも滑稽なシチュエーションの中、何とか屋上から最寄りのトイレまでたどり着いた。電気をつけ、おそるおそる侵入する。
誰もいるはずがないのに、どうしてもきょろきょろとせわしなく周囲を見渡してしまう。
「そういえば、あいつとも一回、肝試しとか言って夜の学校に侵入したな……」
脳裏に浮かぶショートボブの少女。
僕のことはあだ名で呼んでいた気がするが、思い出せない。彼女の名前なら、いくらでも思いだせるのに。
「――
この世界は十年後の未来だ。つまり、当時の僕の知り合いは十年の時を経て、今のこの世界に生きているということになる。現年齢にすると二十八歳。既に社会に出て、ある程度経過している歳だ。大半の者は、こんな田舎はさっさと抜け出して、都会に出ているのだろう。
彼羽の現在を想像しようとして――やめた。過去を振り返ってもいいことなどない。僕はただの幽霊だ。
便器にたまる水を見つめ、喉奥に指を突っ込んだ。何かが猛烈にこみあげてこようとしている。気持ち悪い。強烈な吐き気に抗うことなく、すべてぶちまけた。
「えっ?」
便器にふりまかれた吐しゃ物は、昼間ファミレスで取った食事だ。しかし、明らかにおかしい。どう見ても、消化されていないのである。咀嚼され、ぐちゃぐちゃではあるものの、胃液特有の鼻をつく臭いもしない。
おもむろに顎を引いて自分の腹を見た。
もしかして、この身体には臓器が存在しないのではないだろうか。詳しい理論、というかそもそも人体の構造をしっかり理解していないのでよくわからないが、胃が存在しなければ、もちろん摂取したものは消化されず、また腸などもないのであれば、この身体はただのカラッポの空の大きなタンクだ。
もしかしたら、臓器は存在するが機能を果たしていないだけ、という可能性もある。しかし、機能を果たしていなくとも、液体などはしっかりと下へ下へと流れていくのではないだろうか。
吐しゃ物を見るからに、明らかに液体も混ざっている。それに尿意なども感じない。
試しに息を止めてみた。十秒、三十秒、一分、三分。
「やっぱり、全然苦しくない」
もう、この身体に関しては何が何だか分からない。臓器はないのに、どうやら脳は存在している? いや、もしかしたら脳すらないかもしれない。でも、脳がなかったら、そもそも思考することも身体を動かすこともできないのではないだろうか。
しばらくその場に固まるが、考えることをやめた。そもそも、十年後にタイムスリップという話が元々、科学的に理解できない話である。いまさら人体の異変とか、なんだとか、考えるだけ無駄だ。
僕は生きることを望んでいるわけではない。何がしたいわけでもない。別に死にたいとか言ってるわりに、死ねないのであれば、それはそれでいいのだ。
でも、生きることに意味は見いだせない。生きる屍とは、まさに今の僕にぴったりの言葉だ。
僕は一体、何を求めているんだろうか。
どうして、十年という時を超えて、目覚めたのか。
――二十八日。
ふいに、脳裏に文字が浮かんだ。
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他サイト様主催スターツ出版大賞最終選考作品の加筆・修正版です。
旧名「夏色リバイブ」
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