天衣 無縫

都如何孫山羊子

それは、心で感じなければならないのです


「東第三高校から転校してきました。無縫ないほう天衣あまえです! 好きなもの……は、たくさんあるので割愛しまして……特技は腕相撲です!」


 教室中が、ざわめいていた。

 転校生、というだけで多少なりとも騒がしくなるのが、学生の常ではあるだろうが、それにしたって、異常な熱気だった。

 転校生の自己紹介が終わるやいなや、男子諸君からの拍手喝采が起こり、ある男子生徒は指笛を吹いて、またある男子生徒は踊りで喜びを表現していた。

 

 それほどまでに、彼女の発するものは恐ろしかった。

 決してあざとく、わざとらしくない美しさは見るもの全てを虜にして、細くしなやかな四肢には、力強さが見て取れた。

 誰もが、憧れを抱き、欲しくなる。そんなカリスマ性溢れる彼女を、クラス一丸で歓迎した。

 

 そして禍福かふくあざなえる縄の如し――僕の隣は、彼女の席になってしまったのである。

 






「ねぇねぇ、無縫さんってどんな男がタイプ?」

  

 一時間目も終え、休み時間。僕が教室に戻ると、なんとも下世話な話が聞こえてきた。

 出会って一時間とちょっとしか経ってない相手に、そんなことを聞くのは――やはりあいつしかいなかった。

 矢口大地。こと、女関係でいい噂を聞かない男である。

 一般的にナルシストと呼ばれる自信家であるが……あいつには自己陶酔できるだけの能力……スキルがある。そこがまたやっかいなところだ。


「えー? 恥ずかしぃなぁ」


 無縫天衣は、困り顔で曖昧な返事を返す――かと思ったら


「私より、腕相撲強い人」


 にこやかに、そう言い切った。


 その発言に、教室は動揺に包まれる。


 絶世の美女(クラスメイト談)との腕相撲で勝つだけで付き合える

 そんな甘言に靡かないという男は、残念なことにこの教室には一人もいなかった。


 それでも、全員一瞬騒ぐことを止めて、空気を読み合っている。きっと無縫天衣の言葉が冗談だった時、笑いものになることを危惧して、未だ誰も踏み出せないでいた。

 こんなときは、適当な人間一人を生贄として持ち上げることが適当であるが、


「! 皆無、お前やってみろよ!」


 生贄的に指名されたのは、僕だった。

 確かにこの状況、一番槍に任命するなら僕だろう。

 無縫天衣の能力が身体強化系だろうが、搦手に特化した初見殺し能力だろうが、僕には関係ない。

 無縫天衣が持つスキルに関係なく、僕に勝ち目がないことは誰の目からも明らかであるからだ。



 この世界には明確な差が存在している。『スキル』という名の明確な差。

 身体強化のスキルを持つものに、身体能力で勝ることはない。

 機動力強化のスキルを持つものに、スピードで勝ることはない。

 膂力強化のスキルを持つものに、力比べで勝ることはない。

 絶対に、無い。そう言い切れるほどに、スキルの差というのは絶対なのだ。


 そしてその差をピラミッドで表現するとしたら、一番下に僕はいる。


 僕には誰もが生まれつき備わるはずのスキルが皆無だった。


 無能力者、なんて言われるのが僕の日常だった。


 そんな僕だからこそ、最初の生贄とか無縫天衣のスキルがどのようなものなのかを確認するための生贄として駆り出されるのだ。


 とんとん拍子で話は進み、僕は無縫天衣と向かい合う。

 向かい合って、手を握り合う。手から伝わる、柔らかな感触に少し心拍が加速してしまった。


「よーし、じゃあいくよー」


 特技、腕相撲と言う彼女に、無能力者の僕がどれだけ懸命に歯向かったって勝ち目は無い。

 レディー、ゴーの合図で、僕はとにかく手に被害が出ないように思い切り力を込めた。無理に抵抗して腕がおかしな方向へ曲がっても困るので、無縫天衣の力に流されるまま負けるだろうと思っていたのだが――


 ――バタン、と音を立てて机に接地したのは、僕の手の甲ではなく無縫天衣の手の甲だった。


 一瞬の出来事に、僕含めクラス全員が思考停止に陥った。

 

 なぜ無縫天衣が自慢げに腕相撲を挑んできたのかわからなくなるぐらいに、その力は弱く、あっさりと勝負がついた。



「あら、負けちゃった」



 当の本人は、あっけらかんと自らの負けを認めていたが、またしても僕含めたクラス全員(主に男子)は納得のいっていない様子であった。










「おいおいおいおいおいおい、なぁ、どういうことだよ皆無ゥー?!」


 本当に、ついてない。禍福とかじゃなかった。彼女は僕に災いしかもたらさない。

 放課後、大地に半ば拉致に近い感覚で呼び出されたのは校舎裏。

 中休みの20分で拉致から脅迫まで行おうとするとはバイタリティが小学生のような男だ。


「お前、ヤラセじゃねーだろうな!?」


 今日出会った相手だというのにどうやって口裏を合わせるというのか。

 それにしたって一時間目の休み時間は僕は教室から離れていたというのに……


「……どうなんだよ! ああん!?」


 しかしそれを考える脳みそすら失ってしまっているようだ。それほどまでに、不快なのだろうか。

 まあ不快だろう、無能力者と家畜より下に見ていた僕に、彼から見ればかっさらわれた形に見えたのだろう。

 でも、だからといってこんなのは八つ当たりに近い。


「恋人になるだとか、そういうのは彼女が勝手にそう言ってるだけで、僕は本当になんとも思ってない。だから、奪うなら勝手に奪って――」


 殴られた。まだ喋ってる途中なのに、舌を噛んだらどうしてくれるのだろうか。


「お前がボロ雑巾のようになったら愛想も尽かされるだろう……なぁ!」


 うッ――僕の腹に大地の膝が刺さる。

 地べたに這いつくばって、死体を演じてみるが――頭に血が昇り切っている大地にはそれすら理解できないようで、攻撃の手を休めることはなかった。


「死ねッ! 死ね! お前なんか!」


 一発、二発と腹を蹴られる。何度も、何度も。まずい、本当に死にそうだ。とそんな感想を言っては見るが、流石に怒り心頭な大地とて手加減はしている。その証拠に大地はまだスキルを使っていないのだから。



 だからこのままあと数分も耐えれば、ストレス発散しきった大地がどこかへ行くだろう。そのような僕の計算は、この状況を引き寄せた本人によってあっけなく破られることになる。


「『風割風割』……滑空するスキル。使用者の身体を羽根のように軽くしてしまう。効果時間は一度足が地面から離れ次に地面に触れるまで。再使用までのインターバルは無し……」


 僕と、大地の目の前に――空から、無縫天衣が降ってきた。

 正確には、風船のように、ゆっくりと降りてきた。


「あれ? 彼ピッピじゃない。どうしたの? ところで名前なんだっけ?」


 無縫天衣は、僕を認識すると家を出る前に靴を履くぐらい当たり前の表情をして訊いた。こんな状況を見てしまったのだから少しぐらい動揺するのが一般的じゃないだろうか。


「……誰が彼ピッピだ。そうだ僕らは自己紹介すらまだだった。僕の名前は皆無乃生」


 こんな件を見ても、大地の怒りは収まらないらしい。勘違いだといい加減に気付いてほしいものだった。

 しかし、無縫天衣だって当事者のはずなのに、なぜ彼女はこんなに無関心でいられるのだろう。


「そうそう、乃生! ちょっと話があるのよ……」

 

 こんな状況で会話をしようというその図太さは評価されるべきだろうが、今はタイミングが悪すぎる。

 大地は……大地はつい数日前に、彼女にフラれている。ただでさえ普段より気が立っているのに、そんな中僕と無縫天衣二人揃ったシーンを見れば――更に怒りは沸騰すること間違いない。全く八つ当たりにもほどがある。


「無縫天衣……逃げた方がいい。」


 無縫天衣に忠告しようとした僕の頭を踏みつけて、大地が無縫天衣に話しかける。


「ねーこんなスキルも何も無い無能力者よりさ、俺の方が天衣ちゃんに相応しくない? ね、悪いことは言わないからさ――」


 軽薄な口調で詰め寄った大地の瞳孔1センチ手前に、無縫天衣の指先が止まる。


「今、私は、乃生と話してるの、邪魔しないで」


 無縫天衣はそう言い放った。あーもうめちゃくちゃだよ。

 今にも大地は噴火しそう、いや噴火していることは明らかだった。


「このクソアマ……」

 

 無縫天衣ほどではないが、大地もそこそこ傲慢で、世界が自分を中心に回っていると思っているフシがある。どうして彼はここまで傲岸不遜な態度でいられるのか。

 それはひとえに、彼のスキルが誰にも止められないものだからだ。

 『電光怒涛』――音速を超えて、光の速さにまで加速するスキル。そのスキルを止められるものは居ない。

 発動されたが最後瞬きもさせぬ一瞬で僕らの身体は地に伏すだろう。逆らう人間全てを捉えられない光速で薙ぎ倒す――それが彼がここまで傲岸不遜で世界を自分中心に回せる理由だ。

 

 そんな大地のラインを超えてしまった。大地は本格的にプッツンしている。もはや先程まで猛烈アタックしていた女子生徒にすら殴り掛かる勢いで――大地が無縫天衣に狙いをつけて、加速する。

 一瞬、瞬きもさせぬ間に、無縫天衣がリタイアに陥る――


「『電光怒涛』……自身の速度を光速まで加速させるスキル……」


 ハズだったが、大地の身体が、目付きが変わった無縫天衣に捉えられていた。

 更に、無縫天衣の口から、知っているはずのない大地のスキルの概要が語られていた。

 何が起きたのか、僕には見えなかった。だが、想像することで保管できる。


 大地は誰彼構わず気に入らない相手の首を掴みに行く、誰も彼もを見下しているからこそ、相手から反撃されない前提で手を出す。そこを無縫天衣は読み切ったのか、首に伸びた手を払うと、大地の背後へ、そこから意趣返しとでも言わんばかりに首へ腕を巻き付ける。

 大地の電光怒涛はそのスピードを活かし、どんな後出しジャンケンにだって勝てるのが特徴だ。不意をついた無縫天衣の首絞めへと至ろうとも、既のところで首と腕の間に腕を挟み入れられていて不発に終わっていた。

 

 そこから、無縫天衣の腕を押しのける大地。無縫天衣が首絞めを辞めたところで、次の行動へ移る。


「しかし初速はせいぜい音速がいいところ……光速に至るまで身体を動かし続けなければならない」


 何故無縫天衣が自分のスピードについてこれるのか、大地はその謎に気を取られていた。

 だからすぐに無縫天衣に転がされてしまう。


「光速に至るのにおおよそ3秒掛かる……これがカタログスペック」

 

 足を掛けられて、そのままコテンと。

 まるで子供相手に遊ぶように転がされたことが、大地のプライドへ深く突き刺さった。 


 

 立ち上がった大地は距離を取る。これは大地の必勝パターン。

 大地はボクシングジムに入会しているというか、現役のプロボクサーだ。

 相手から距離を取りその光のような速度でカウンターを決めるというのが大地お得意の必勝パターンとして広く知られている。

 もはや、無縫天衣は大地にとって舐めるとか下に見るの次元を超えたのだ。どうしても倒したい敵。そのような認識をされている。


 だからこそのこの必勝パターン。しかしここはリングの上でもなんでもない、無縫天衣が向かわなければ無為に終わる。


 そんな中、無縫天衣は待ってましたと言わんばかりに広角を最大まで上げて、大地に向かって走り出した。

 勝負は一瞬、瞬きもさせぬ間に終わる。



 二人の戦いについていけない僕は結果しか見えない。それでも見えたのは倒れた大地と、無傷で大した疲れもみせず立つ無縫天衣の姿だった。


「敗因は、初速ではなく、初動。動けば動くほど速くなるのだから、動き出しが遅いんじゃ話にならないわね」


 それだけ言うと、無縫天衣は、大地に近寄り――拳を踏み潰した。


「――何やってんだ!?」


 僕が状況を理解するより先に、ぐちゃりという嫌な音が耳に飛び込んできた。

 それによって僕は大地の――ボクサーの手が踏み潰されたことを理解し、止めに入る。


 僕は子鹿のように震える足でなんとか立ち上がるが、時すでに遅くもう片方の拳さえ、地面と同化していた。

 

 僕は先程の戦いすら忘れ、無縫天衣に突っかかる。

 

「……何でこんなことをした!? 答えろ無縫天衣!」


 僕の怒りと憤りに理解も示さず、無縫天衣は不思議そうな顔をして言い放つ。


「――私が勝ったから。彼を活かすも殺すも私次第じゃなくって?」


 おかしい、狂ってる。そう思わせるには十分な冷淡さだった。

 セリフに演技がない。だから本当に無縫天衣は、こう思っている。

 こんな校舎裏の小競り合いで、相手の生殺与奪の権を握ったと思っているのだ。


「そんなの、お前だけのルールだ! 大地はお前と殺し合う気は無かったはず!」


 僕の言葉に、無縫天衣は首をかしげる。


「私は現に殺されかけた。いや、死ぬより酷い目に合わされそうになったじゃない」


「……? 何を言ってるんだお前」


「私は本気の勝負で誰かに負けるのが死ぬより嫌なの。地に伏して、唾を吐き掛けられることは死ぬより悲劇的じゃない?」


 根本から違いすぎて、これ以上は会話にならないと思った。


「…………そうか、そうなんだな」


 ただ相槌を返すだけで精一杯だった。

 

 そして僕が朝から感じていた無縫天衣に対する漠然とした恐怖の正体が分かった。

 無縫天衣のことが『分からない』ことが怖かったのだ。

 理解し得ない、同じ人類という枠組みにこんなヤツがいるのかと考えるとそれだけで寒気がした。


 しかし、もしこの恐怖を無くしたいと思うなら僕は


「こほん、ところで一つ相談があるんだけれど」


 無縫天衣を一番近くで見続けなければならない。

 そして知らなければならない。無縫天衣の一挙手一投足の感情を。


「私と一緒に、世界征服しましょ!」


 この行動の意味さえも、僕にはまだ分からないのだから。





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