26歳の小学生送還
身長172センチ。光を反射し小さく光る銀のイヤリング。
焼けた小麦色の肌が、活発的でボーイッシュな彼女にはよく似合っていた。
ショートパンツにタンクトップのスタイルは、いくら夏場とは言え薄着過ぎではないか、と指摘したくなる。室内は冷房もよく効いているので体が冷えてしまいそうだが、元々の体温が高いのかもしれない。彼女は緊張なのか、首元は若干、汗ばんでいた。
「……えーっと、今日は転校生がいますので、ご紹介しますね……新しく五年二組に仲間入りすることになった――、」
担任の先生が、どうぞ、と手で促した。
先生よりも目線が高い彼女が気づいて、「あ、はいっす」と元気良く答え、
「――今日からお世話になりますっ、
続けて「押忍っ」と聞こえてきそうなほどの勢いで頭を下げ、すぐに顔を上げた彼女は満面の笑みだった。
……教室内がざわつく。クラス一同、隣の子を見たり、「え、どういうこと?」と聞いたり、戸惑いが多いが……――当然のことだ。
突飛な状況でついていけない。研修生ではなく、転校生? クラスの一員として、一緒に授業を受けるのだろうか……彼女が?
発育が良過ぎるのだとしても、小学生とは思えない。
身長は当然、引き締まった体とほどよくついた筋肉……そして。
ちらちらと男子生徒が視線を向ける、強調された胸――。
日焼けで小麦色になっているそれが、普通の胸とは違う魅力を垂れ流しにしており……
「さっ、みなさん授業をはじめましょう。男子はあまり見過ぎないように――。では七種さんは、空いている席で……後ろの
「はい、分かりました!」
大きな歩幅で自分の席まで移動する七種。
隣の席の少女は、七種を見て戸惑っている……、自己紹介もしたし、冷静になれる時間はあったが、刺激が強かったせいかまだ動揺が抜け切っていないらしい。
だとしても、じきに慣れるだろうと思い、七種は机を横にずらして距離を詰めた。
「よろしく、笛吹さん」
「あ、はい……よろしく、お願いします……?」
「あはは、なんで疑問形?」
動揺が語尾に出てしまっただけだった。
一時間目が終わり、十分間の休み時間。
近づきたいけど近づき難い七種という大人の存在……、色々と聞きたいけれど、誰も聞かずに時間だけがゆっくりと過ぎていき――
口火を切ったのは七種直だった。
「笛吹さん、ありがとね、教科書見せてくれて」
「いや、ううん……いいよ。困った時はお互い様だし」
「そう言ってくれると助かるよ」
11歳の笛吹は、本来ならこの場にいるはずのない大人をまじまじと見つめて……
「…………直ちゃん」
「ん? 直ちゃん……いいね、その呼び名、可愛い」
「直ちゃんって呼んでもいいの? だって、年上……」
「年齢は関係ないよ。今の私は五年二組の小学生だから」
「じゃあ、クラスメイトとして聞くけど……いい?」
「いいよ、なんでも聞いて! 答えられる範囲ならなんでも答えるよ! あっ、でもアカウントのパスワードとかはなしだからね!」
「うん……。じゃなくて、直ちゃん、大人だよね……? こう見えても11歳、とか……?」
「違うよー、私は26歳」
「なんでいるの……?」
「普段は会社員をしてて……、昨日は会社員だったよ? 今も会社には在籍しているから……一応、これは出向ってことになるのかな……?」
「なんで小学校にいるの? しかもわたしたちと一緒に授業を受けてるの? そういうお仕事だったりするの……? 大人がよく言う、『モニター』?」
「よく言うかは分からないけど……、違うよ。本当に、私は小学生になったの」
「??」
「実は……、会社で大きなミスをしちゃってね。その前にも小さなミスをちょこちょこしてて、だいぶ溜まってたんだと思うの。部長がブチ切れちゃって。『お前は小学生からやり直してこい!!』って言われたそばから、すぐだったわ。会社の伝手でこの小学校にいきついて、あれよあれよと言う間に小学生へ強制送還されちゃったの。本当にやり直せってことだとは思わなかったんだけどねえ……。でも、戻りたくても戻れないものでしょ? せっかく、こういう機会を貰えたのなら、流れに任せて戻ってみるのもいいかなって思ってさ――。楽しそうじゃない? 笛吹さんは学校、楽しい?」
「たのしい、けど……」
「でしょ! だから、まあいっか、って思って戻ってみたんだよね。ランドセルも借りられたし、久しぶりに背負ったわ……全然、私でも背負えるのね」
「ら、ランドセルを……? 背負った……? その体で……恥ずかしくないの……?」
「今の子って、発育が良い子もいるし、堂々としていればばれないんじゃないかって思ったから……羞恥心は捨てました。思えば変なことをしているわけでもないし、恥ずかしくもない……恥ずかしいと思うと周りにも伝わるからね、堂々としていればいいのよ」
「26歳が、ランドセル――」
「年齢を気にし過ぎだよ、私は大人だけど、でも所属はこの小学校だし……年齢を重ねても私はれっきとした小学生なの。ランドセルを背負うことはおかしなことじゃないし、逆に、これが当然のことなの。そりゃ、プライベートで大人がランドセルを背負えば恥ずかしいけど……でも、理由があるなら気にしないわ。それに、これは部長命令だもん!!」
だもんっ、と叫ぶと同時に両手もぎゅっと握り締めて。
……小学生、教室という空気感のせいか、多少は退行している七種だった。
「……わたしたちに合わせてくれてる……?」
「元からこんな感じだけど」
「なら、小学生からやり直した方がいいって言った部長さんは正しかったのかも」
大人の社会で小学生みたいな人物がいれば、『小学生からやり直してこい』と言いたくなるのも分かる。
「言い方はもっと乱暴だったけどね。――そうだ、笛吹さん、次も教科書見せてくれる? 私、手ぶらできちゃったから……教科書はもちろん、ノートもないの。つい昨日まで社会人だったわけだし」
「…………筆記用具も?」
「筆記用具も、だよ」
「社会人だったんだよね?」
大人でも、子供でも、筆記用具は常備しているものでは……?
筆箱を持ち歩かなくとも、仕事ならペンの一本くらいはポケットに忍ばせていそうなものだが……、意外とそうでもないのだろうか。笛吹は純粋に気になった。
大人ってそういうもの? それとも七種が特別……?
「笛吹さん、せっかくだし、私になんでも聞いてもいいよっ。……だって私は昔に一度、通った道だからね! 笛吹さんたち現役の小学生よりは当然、勉強ができるんだから!!」
「ふうん……、じゃあ直ちゃん、この算数の問題、教えてほしいんだけど……」
「ふんふん、これはね…………えっと――ちょっと待って。……ごめん、これ以外にしてくれる?」
「じゃあ分かるからもう大丈夫。やっぱり、学んでても忘れていたら意味ないよね」
「違っ、忘れてるけどっ、偏ってるだけなの! 他の分野なら分かると思うわ!」
「もしかして直ちゃん、強くてニューゲームがしたいの? いや、直ちゃんには無理だと思うよ……? 歳が離れ過ぎてるし……、二十年近く離れてる卒業生じゃあ、現役には敵わないよ。拮抗するのも難しいかも」
「大丈夫よ、分かるはず、覚えてるはず……いや思い出せる!!」
「算数が苦手なら、社会は? 直ちゃんでも大人の賢さを出せそうな分野だと思うけど」
「社会は苦手なの」
「は?」
「も、だったわ……」
「じゃあ、理科は?」
「実験は得意だったわ……準備と後片付けの手際の早さをよく褒められたなあ……」
「……それはそれでいいと思うけどさ……なら国語」
「文字を読むと眠くなるからパスです」
「体育」
「この年齢になると、ちょっと体の調子がね……でもっ、昔は得意だったから!」
「スポーツが得意そうな体つきしてるのに……」
「スポーツジムで汗をかく程度なら。……体に安全な動きと時間で、ちゃんとインストラクターさんもついてくれてるから長続きするけど、全力で体を動かしたらたぶん壊れちゃうわ……そこはやっぱり、大人よねえ……」
「あっそ。音楽は?」
「絶対音感に憧れたことがあったよ」
「じゃあ苦手?」
「人が言うには……音痴らしいよ?」
「……英語くらいはできるよね?」
「日本人なのに、英語って、必要かなあ?」
小さなその肩を小刻みに震わせる笛吹小学生……。
手が出なかったのが奇跡のようだ。
「直ちゃん」
「はいっ、って、怖い顔してどうしたの笛吹さん。まるで部長みたい」
「やり直す、という意識を捨てよっか。直ちゃんは新しいことをゼロから、これから学ぶって意識でいた方がいいと思う。『一回習ったことだし』って感覚が邪魔しちゃってる。そんなつもりじゃあ、小学生をやり直しても『また』身につかないよ……、わたしでも分かるんだよ? 絶対に上手くいくわけないよ……。直ちゃんも真面目に小学生を始めた方がいいと思う……、自分が大人だってことを、しばらく忘れていた方がいいよ」
「そう? 現役小学生にそう言われたら、そうなのかなあ…………分かった。やり直すんじゃなくて、新しく始めるつもりで――また一から小学生をやってみるね!」
「次の授業は……体育? あ、やっぱり今の時期はプールなんだね」
「直ちゃん、水着は?」
「あ、そっか……、職員室で借りられるかな……ちょっといってくる!」
更衣室に遅れてやってきた七種が、借りた水着を身に着けると……、
「う、きっつ……でも、これしかサイズがないって言ってたしなあ……」
『…………』
「笛吹さん? ……と、みんなも……どしたの、怖い顔して……」
女子一同が、七種を睨みつけていた……、正確には彼女の大人らしい一部分にだ。
当然、自分たちには『ない』ものである。
「つ、」
「つ? ……もしかして、変なところある? 古い水着だからどこか破れてたり、」
「バカな直ちゃんの強くてニューゲームはここにあったのかっっ!!」
「――バカな直ちゃんって私のこと!?」
…了
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