ナマクビ・ライカ・シューティンスター

帆多 丁

1. 惨劇

 ウォシュレットとかシャワートイレとかそういうのすげえなって思ってるけど、それはそうと「止」ボタンがきかなくて、おれは少しあわてた。

 有給とってセッティングした映画デートで、やって来ましたショッピングモール最上階のシネコン。デートははるかちゃん(みっつ年下。かわいい)の就活完了祝いも兼ねていて、ところが座席に着くなりトイレの予兆が来ちゃったもので男子トイレへ。そんな状況だから〝No More 映画泥棒〟までには戻りたい。

 こうしている間にも過ぎる時間、洗われる尻。

 コンセントはどこだと便座の後ろに目をやったけど、電源落としたら流せなくなるかもって気が付いた。あぶないあぶない。まだ時間はある。落ち着いてひとつひとつ進めよう。壁の操作パネルで「大」スイッチをカチッとしたら視界に入った、宙に浮く女の子の生首。


「身体を貸して! 30分だけ!」

「ひゃああああ!!」

 じゃああああ(便器洗浄)

 びゃああああ(尻シャワー)

「ごめん! おにーさんしかいないの! ちゃんと返すから身体貸して!」

 生首がチェリーピンクのツインテールを揺らしたのと同時に、照明が全部消えた。停電だ。反射的に逃げようとして立ち上がり、なにかに脚を取られて個室のドアにぶつかる。

「待って話聞いて!」

 って腹のあたりで声がしてて、おれはとっさにそれを払いのけた。

 ごす。「ぎゃん!」

 鈍い音にも悲鳴にも構わず手探りで鍵をシャコンとずらす。ドアを引き開け、おれは真っ暗なトイレにまた転ぶ。パンツを下ろしっぱなしなのに気が付く。アホか! アホか! なんて日だ! あたふた引き上げ、じたばた立ち上がろうとするのに、平衡感覚がおかしくて立てない。非常口灯が揺れてる。

 ずずずずずずずずず。

 地震だ! と思った直後に光。トイレの出口ドアが吹き飛んで、ぼっ、とおれの頭上をかすめ、後ろの個室に刺さった。



 耳鳴りがする。

 火災報知器が鳴ってる。

 夏空が見える。

 空。



 空なんか見えちゃいけないんだ。

 シネコンだぞ。

 トイレを出たら絨毯の廊下と、シアター1とか2とかの入口が見えなきゃいけないんだ。

 シアター3はどこだよ。M-4のシートはどこ行ったんだよ。

はるか


 トイレの前がすっぽり崩れてて、モールの吹き抜けの底まで見えてる。巨人がスコップで掘ったみたいに、向こうのアパレル店が半分削れてて、1階に積もった灰色のガレキにはガラス屑が光って、布切れみたいのが散らばっている。布切れ。布切れ……? 服と……持ち主……?

 低い爆発音。3階のフードコートが燃えてる。あそこで何かが動いてる。ちがう、だ。火に巻かれた誰かだ。そっちはダメだ、崩れてるんだ。叫びたいのに声が出ない。足を踏み外す。落下の音がばちゃりとここまで届いた。

 あのエスカレーターのそばで倒れているのは、ベビーカーじゃないのか。

 エスカレーターは下側の支えが無くなって、4階からぶらぶらしてて、それをおばさんが必死に這い上がろうとして、なのにエスカレーターごと、下に。

 これは。おれは。

 おれは、もしかしたらもう映画を観ていて、これはそういうシーンじゃないのか。それか、映画館で居眠りして、変な夢を見てるんだ。そうだろはるか。そうだって言ってくれ。起こしてくれ。どこ行ったんだよ、遥。


「身体、貸して。責任とらせて。お願い」


 遥じゃない声。中高生ぐらいの顔をしたピンク生首の声。黒い瞳は冷たく据わって、額から血が流れている。

「全部もとに戻せる。あと28分でアレに勝てば」

 生首がアゴで示す。

 勝つ……?

 円形に積もったガレキの底から、人型をした甲虫のような、アメジストの殻を着た人間のような、怪人としか言いようのない存在が、上がってきた。

 のしかかっていたコンクリやガラスや鉄筋を、まるでプールの水みたいにばらばらと払って、そのガレキの中にも、靴が。カバンが。ひとが。

 遥が。


 ずずずずずずずずず。


 怪人のアメジストの殻が毒々しく波打って光った。その掌が、4階の耳鼻科の方を向いた。白衣のおばさんがおじいさんを避難させようとしてて、その一角が箒で雑に掃いたみたいに、散って。


「やぁぁぁめぇろぉおぉぉお!」


 気付いたら跳んでた。

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