第7話 過去と現在

「……ルイ、ルイ! 起きろ」


 温かい大きな手で、誰かが私の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

 他人に、しかも多分男性に触れられているというのに、不快感はない。むしろ、安心するというか、不思議な感覚だ。


 だんだんと視界がひらけて、私を見つめる双眸と黒い髪がみえた。

 

 これは、アルだ。間違いない。

 私は懐かしさのあまり、アルを抱きしめた。


「アル、ありがとう。アル……」

「……寝ぼけてるな、ルイ。いいかげんに起きろ」


 耳元で子供とは思えない低音の声がして、意外に思いながらアルの顔をのぞきこむ。


ーーーーえ? ……アドラー王? アルがいた筈なのに……。 今、私はどこにいるの?


 ぼんやりと近距離で王の顔を見つめていると、王の目が困惑の色を示した。


「ルイ、この腕を離してくれないか」


 私は、王の身体を抱きしめている自分に気づいた。慌てて体を離して詫びる。


「も、申し訳ございません……!」

「もうよい、それより、体調はどうだ? 起きれそうか?」

「はい、大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ございません……」


 そう言いながら、だんだんと現状を思い出した。

 そうだ、この城に、奴らがやってきたのだ。


 私はあの悪魔から、皆を守らなくてはならない。


「私はどれ位寝ておりましたか?」

「3時間程だな。皆には既に指示を終えた。お前には、別に任務を与えた事にしてある」

「……ご配慮に感謝致します」

「そこでだ、ルイ」


 アドラーは自身の椅子をソファーの前に持ってきて腰かけた。


「オレは今、お前から話を聞きたい。なぜ、あの二人を知っていたのか。そして、アルとは誰なのか」


 私は迷った。誤魔化すべきか、本当の事を話すか。

 アドラー王がまっすぐに私を見つめている。

 

 思えば、最初に会った時から、王は私に実直で嘘がなかった。

 彼は良くも悪くも、いつも本音で話しているように思う。

 

 その王に対して、私も正直でありたいと思った。

 私は、覚悟を決めた。


「王、今から私が話す事は、絵空事かと思われるかもしれませんが……。最後まで聞いて頂けますか?」

「もちろんだ」

「わかりました。どこからお話すればいいのか……。私には、前世での記憶がございます」


 私は、包み隠さず、正直に話した。

 前世の自分が家族愛に恵まれなかったこと、ブルービット公爵に売られるように嫁がされたこと、どんな扱いを受けたか、どんな思いで耐えていたか、そしてハノイ公爵からかけられた言葉。


 なるべく、感情をおさえて淡々と話すように努めた。

 可哀そうにと、同情されたくはなかった。


 ただ、奴らが信用ならない人間だと伝えられればよかった。


「アルは、私が死ぬ間際に出合った少年です。彼は、私にとって、天使のような存在です。私が穏やかに逝けるよう、助けてくれました」

「……先程、呼んだ名だな」

「はい。アルのお陰で、私は苦しみながら死なずにすみました。彼と出会わなければ、私は恨みで埋め尽くされた真っ黒な心のまま、自分と世界を呪いながら最後の時を迎えたでしょうから。そして、アルは……王によく似ているのです。それで、つい見間違えてしまい……申し訳ございません」

「そうか……。それほど、その天使とオレは似ているか」

「はい。ただ、王の瞳は黒色でいらっしゃる。アルの瞳は深い青色だったと記憶しております。ですので……っっ……! お、王……?」


 突然、王がギュッと力を込めて私の手を握った。

 驚いて王の顔を見るが、王も目を見開いて私を見つめていた。


「……まさか……。本当にルイは……サラディナーサなのか……」

「え……っ? なぜ、その名前を……?」


 私は王に、サラディナーサの名前は言わなかった。なのに、なぜ王は名前をご存じなのか。

 なぜ、王は過去に見た事もないような、驚いた顔をなさっているのか。

 瞳の色は違う。

 だが先程、王は幼少期に7年間サヘラン地区で過ごされたと、ハノイ公爵は言っていた。だとしたら、私が死んだあの時に、王があの場所にいてもおかしくはない……。

 

ーー……やはり、王は、あのアルなの……?


 私達は無言で、互いの顔を見つめ合う。


 王の温かく大きな手が、私の手を包み込み、サラディナーサの最後の時を思い出させた。

 

「あの時も、こうして手を握って下さった……。この温もりを、忘れた事はございません。本当にありがとうございます」

「……ルイは、サラディナーサなのだな。オレが、子供の時に出会った……」

「……はい、多分そうだと思います。私と王が、揃って同じ夢を見たのでなければ……」

「苦労したな、ルイ。……サラディナーサが、少しでも穏やかに逝けたのならよかった……。オレは、無力で何の役にも立てなかったから……」

「そんなことはありません! アルに、どれだけ私が勇気づけられたか。アルは前世の私にとって本当に尊い存在なのです。……私こそ、幼い子どもに死ぬ姿をみせたり、勝手な考えを押しつけて、彼に影響が出ないか心配しておりました。いつの日か、アルに感謝とお詫びをしたいと、ずっと考えていたのです」

「ルイ、オレはサラディナーサに会ったお陰で、今の王たるオレになれたのだ。オレこそが、彼女に感謝している」


 王の言葉に、私は心から衝撃を受けた。

 王が、サラディナーサに、感謝している? 王になれたのは、サラディナーサのお陰? どういう意味なのだろうか。


 私は何も言えず、ただ王の言葉を待った。


「あの頃のオレは、王宮から国外へ追い出され、己の存在意義や目標を持てずにいた。あの地で、農民の子供だった鷲の目の仲間達と出会い、そしてサラディナーサと出会った。死ぬ間際にサラディナーサが発した言葉が、オレに今の道を進む後押しとなった。性別や身分に囚われた制度をぶっ潰して、新しいカタチの国をつくりたい、と。彼女は、オレにとって進む方向を照らしてくれた恩人だ。本当に感謝している」

「サラディナーサが、……アルの恩人……」


 思ってもみなかった王の言葉は、私の心を大きく揺らした。


 アドラー王が、この勇猛果敢で策士で、革新的で魅力的な王が、名もなき民わたしの言葉を受け止めてくれていた。

 今の王をつくった一因に、前世の自分が在るなんて、そんな事があり得るのだろうか。


ーー私がアルの手のぬくもりに助けられたように、王も私の言葉を助けとしてくれていた? 私は、アドラー王が今のアドラー王となる為の、礎の一部分になれていたというの?


 驚きと嬉しさのあまり、言葉がでない。

 自身が、人形のように無力で、運命に逆らう事もせずただ命を落とした前世の自分わたしが、少年時代の王の意識をかえるきっかけとなったのであれば……。


 サラディナーサの人生は無駄ではなかった。

 あの苦痛の日々は、決して無駄ではなかったのだ。

 ……はじめて、そう思えた。


「王、ギルティアスです。よろしいですか!」


 大きな扉を叩く音と同時に、ギルティアスの声が聞こえた。

 私達は、咄嗟に手を離す。


「……入れ」

「失礼致します」

 

 ギルディアスとシュナイゼルが執務室に入ってきた。

 二人は私には関心を見せず、王に報告をはじめた。


「どうだった?」

「はい、警防隊長のダニエルが得た情報によりますと、シャムスヌール帝国内にこちらに戦争を仕掛ける様子は一切みあたらないそうです。隣国のスン国国内も、平和そのものとのこと」

「だろうな。スン国は我らとシャムスヌール帝国、そしてライナー国と3つの国に挟まれた小国だ。余計な争いは避けるという基本姿勢はかわらないだろう。そして、シャムスヌール帝国。あそこは軍事大国だが、帝王は慎重で狡猾だ。自分の手は極力汚さず、相手が消耗するのをまつ蟻地獄のアリタイプの男だ。自国にさほど得のない戦いに、兵を動かすほどバカな人間ではない。今のオレと正面切って争って勝ったとしても、シャムスヌール帝国にたいした利益にはなるまい。つまり、ハノイ公爵とブルービット公爵の話していた内容は、全くの嘘だと裏がとれたのだな」


 王がニヤリと笑いながら、確認する。

 対する、ギルディアスとシュナイゼルも、落ち着いて答える。


「さようです。まあ、国内の反王制分子は、確かに実在しておりますが……」

「オレを気に食わない貴族どもは、山ほどいるだろう。今に限った話ではないな」

「王、一応特に気になる家門には、密偵をつけております。今のところ、そちらも動きはみえません」

「では、なぜハノイ公爵とブルービット公爵はあのような話をもって、オレの所へやってきたのか、だな。シュナイゼル、どうだ」

「はい、噂話ではありますが、どうやらブルービット公爵は国内でまずい立場になりつつあるようで。その問題を、別の事件で上書きして、うやむやにしようとしているのではないかと」

「ほう、まずい立場とはどういう事だ?」


 王の言葉に同意するように、私もシュナイゼルを凝視した。


「はい、ブルービット公爵にある容疑がかかっているそうです。彼に嫁ぎ不審死を遂げた貴族の妻達の家門から、娘は事故ではなく殺害されたのではないかと声が複数あがりました。また、公爵家に奉公に出て行方不明になった平民の娘達の遺族からも、ぞくぞくと真実を求める声がでているようです。事の大きさに、王宮も無視できず、近々、公爵への査問会が開かれるという異例の事態となっております」

「なるほど、そこにオレが軍隊を引き連れシャムスヌール帝国を訪れれば、査問会どころではなくなるな」

「はい、国内の事件より、国外の外交問題の方が、衝撃は大きいですから。その為に、ブルービット公爵はハノイ公爵をかり出したのでしょう。彼らは単なる、親戚関係だけでない、深いつながりがあるようです」

「ハノイ公爵は、ブルービット公爵の言いなりか。まあその分、甘い蜜を吸っているのだろうが。それにしても、底の浅い奸計よな」

「まことに」


 話を聞きながら、私は体の震えが止まらない。

 亡くなった妻達の家門からの、そして行方不明になった奉公人達の家族からの、ブルービット公爵への疑惑の声。

 今、動かせない証拠をつきつければ、ブルービット公爵の罪を明らかにできるかもしれない。


 積年の念願が、奴らの行いを正す機会が、目の前にやってきたのだ!!


「……王……」


 私は、王に呼びかけた。

 アドラー、ギルディアスとシュナイゼルは即座に私を見た。


 3人の顔に、驚きと戸惑いがみえる。


 多分、今の私は、正常な状態ではないだろう。

 身体は大きく震え、瞳孔は開き、あぶら汗を流し、そして歪んだ笑みを浮かべている。


 尋常じゃない。


 自分でも、それはわかる。

 だが、今、この機会を逃すわけにはいかない。


「ブルービット公爵とハノイ公爵を……奴らが犯した罪を、明らかにする策がございます。王、聞いていただけますか?」


 

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