再会した彼は予想外のポジションへ登りつめていた
高瀬 八鳳
第1話 終わりとはじまりとアドラー王
ーー身体中が痛い。そして寒い……。
なんとか川から這い出たものの、体力は欠片も残っていなかった。
自分でもよくわかる。私は死ぬのだと。
とっくに神への信仰は捨てたはずなのに、なぜか恨みごとを呟いてしまう。
そして、気づいた。
ああ、私はまだ、神を信じている。ここまできてもまだ、どこかで期待しているのだ。神は救いの手を差し伸べてくださると。
涙はもう涸れ果てて一滴もでてこない。
もうすぐだ。もうそこまで、死は近づいている。
ふと、ガサガサと何かが動きながら近ずいてくる音がした。
猛獣なのか、あるいは追手の人間なのか。もはや、どちらでもかまわなかった。
少し距離をとった場所で、ピタッと足音が止まる。じっとこちらを見ている視線を感じる。
「おねえさん、だいじょうぶ? おひるねしているの?」
無垢な幼子の声に、思わず目を開く。
天使かしら。
そう思うほど、美しい顔立ちをした少年が、心配そうに覗き込んでいる。
青い瞳に、滑らかな肌、漆黒の艷やかな髪。着用している平民の衣服と不釣り合いなほどの、美しさとオーラに目を奪われる。
「……私は病気なの」
「おねえさん、びょうきなの? ボク、おいしゃさまをよんでこようか?」
最後に目に映るのが、この優しい子供で良かったと思う。
「ううん、それは必要ないわ。……私はね、もうすぐ違うところに行くから……」
「……え?」
「あのね、ひとつお願いがあるの。……私の手を握ってくれない?」
最後の我儘。この子には迷惑な話だとわかっている。でも……、今、この瞬間。私は温もりが欲しくなった。
彼は一瞬の逡巡を見せた後、躊躇いながら私の側に腰をおろし、ニコッと笑いながら私の手を握った。彼の手はとても温かい。
「有難う。嬉しい、……あなたの手は温かいわ」
「おねえさんのては、とてもつめたいよ。からだが、すごくふるえている」
「そうね。お姉さんは、つめたいわね……」
「なんのびょうきなの? どうしてここにねているの?」
「なぜ……。なぜかしら。……なぜこんなことになったのかしら……」
枯れたと思った涙が戻ってきたのを感じる。
今、この瞬間、私はまだ生きているのだ。
「おねえさん、名前はなんていうの?」
「私はサラディナーサよ。……あなたは?」
「……アル。僕は、アルってよばれてる」
「素敵な名前ね。……アル」
温かくて柔らかくて。小さな彼の手に、慰められる。
「おねえさん、どうしてここにいるの? なぜ、こんなにつめたいの?」
「お姉さんは……女性として生まれたから、ここにいるのかも。男の子だったら違ったかもね……」
「おとこだと、どうちがうの?」
「男の子は、当主に……家の跡取りになれたり、仕事をする自由があるの。でも女の子は……まるで犬や猫のように、よその家にもらわれるの。そして……ひどい事をされたり……」
話すうちに怒りがこみ上げてくる。
父への怒り。夫への怒り。女であることへの怒り。男の方が偉いとされる、この世の中への怒り。そして、それらに対抗しなかった自分への怒り。
こんなところで死ぬのであれば、別の道を選択できたのではないのか。
もっと抗えばよかったのにという、自分への憤りと後悔。
「どうしておんなのこは、そんなことをされるの?」
「……どうしてかしらね? 女の子も、男の子と同じ人間なのに……」
「おんなのこも、おとこのことおなじにんげん……」
誰に向けて話しているのか、自分でもよくわからなくなる。
息が上手く吸えない。目がかすみ、意識が遠のいていく。
「……おねえさん、だいじょうぶ?」
「……私は……もう、逝くわ。あなたは……もうおうちに帰りなさい……。でも、最後に一つだけ約束してくれる? ……あなたは女の子を馬鹿にしないって……」
「ぼく、やくそくするよ。ぼくはおんなのひとをばかにしたりしない」
「……有難う、アル。あなたにとても感謝しているわ。……手を握ってくれたこと、話をきいてくれたこと……。そして、女の子を馬鹿にしないと、約束してくれたこと。あなたはとても優しい、勇気のある人ね……」
自分の気持ちを誰かに託したいという強い欲求に駆られて、消えゆく最後の生命力を振り絞り、私は彼に話し続ける。
「ぼく、やさしいの? ゆうきがある?」
「ええ、あなたは優しくて勇気がある……とても素晴らしい人だわ。忘れないで。……女の人も、男の人も、男であり女でもある人も、女でも男でもない人も……。髪の毛や……肌や目の色が、黒くても白色でも青色でも。みんな、同じ人間という生き物……なの……」
「みんなおなじ、にんげん……」
「……アル、ほんとう……に、ありがとう……。最後に……あなたに会えて、良かっ……た……」
「おねえさん、どうしたの? おねえさん?」
彼の手が、私の手をギュッと握りしめた。小さな小さなその温もりに、心が軽くなる。
「……アル、もう……いって」
「おねえさん、大丈夫?! ねえ、おねえさん……!!」
「……おねが……アル……。も、う……」
アルが泣きながら私の体を、大きく揺さぶるのを感じた。
それが、サラディナーサとして覚えている最後の感覚だった。
***
どれ位、時が経ったのかはわからない。
気がつくと、寒さや体の節々の痛みはなくなっていた。ただ、自身の体を動かせない、不思議な違和感があった。
どこかに閉じ込められているのかしら。
そう感じながら、しばらくの間、ユラユラと水に漂っているような感覚を味わった。
気が付くと、また違う場所にいた。
周りの空気は、あたたかく優しいものだと感じるので、怖くはない。
目を開いても、ぼんやりとしていてよく見えない。
なんだか、お腹が減った。そう思うと、自然と声が出た。
ーーフュギャ……ンギャ……ゥギャアーー
自身の声出しに合わせて、赤子の泣き声が聞こえた。
ーーえ……? なに、この赤ん坊の泣き声……もしかして、私の声……?
状況が把握できず、戸惑いながらも、私の体の反応としての泣き声は止むことなく続いている。
どこからか、バタバタと足音が近づいてくる。扉が開く音と同時に、女性の声がした。
「あらあら、お嬢様。お腹がおすきになりましたか? それとも、お着換えをご希望ですか? もう大丈夫、バアヤがそばにおりますからね」
温かな言葉と共に、温かな丸みのある女性の手によって自分の身体が抱き上げられたのがわかった。
そのバアヤと名乗る女性は、優しく私の背中を撫でながら、言葉を続ける。
「本当にルイーサお嬢様は可愛らしくいらっしゃいますね。泣き顔も、お声も、このちいちゃなお手ても全てかわいい。フフッ、このバアヤもお母様もお父様も、屋敷の者みながお嬢様に夢中ですよ」
そんな優しい言葉をかけられたのは生まれて初めてだった。
女性の声が、身体に触れる手が、彼女が心から自分を大切にしていると伝えてくれる。
涙は、嬉しい時にも流すものなのだと知った。
私は、思い切り、感情のままにないた。
現在の年号から推測して、私はサラディナーサとして死んで間もなく、現在のルイ―サとしての生をうけたようだ。
なぜ、サラディナーサの記憶を持っているのか、神の悪戯なのか、何かの間違いなのかはわからないが、現在の環境は私に安らぎを与えてくれる。
この家は、所謂中級貴族だろう。そう大きな屋敷ではないが、執事やメイドやシェフや守衛剣士などの使用人が数十名いるようだ。
両親は貴族には珍しく、恋愛結婚をした人達らしい。二人が、子供の前で、愛を囁く様を何度も見せつけられた。
はじめはただ居心地が悪く、ついで彼らの思いは本気なのかと疑ったり、こんな愛し合う夫婦が存在するのかと嫉妬したり、自分を惨めに思ったりもしたが、4年経つ今は、ただただ微笑ましく感じる。
唯一の心配は、母の体が弱いことだ。病弱な彼女は、よく床に伏せた。
「かあさま、おててがあついの。おねつがあるから、おきちゃだめ」
「まあ、ルイーサは幼いのに本当に賢いわね。でも、お母様は大丈夫よ」
「かあさま、にがいとあまいのおちゃに、しょうがとはちみつをいれて、のんで」
「……あなたは本当に神の力をもっているようね。お母様は誇らしいわ」
「ルイーサお嬢様は誠に聡明で、図書室の大人向けの本をスラスラ読んでおしまいになります。神童でいらっしゃいますよ」
母と乳母は度々そう誉めながら嬉しそうに微笑んだが、私はそれより彼女の健康を心から心配した。
私が、5歳を迎えてから数ヶ月後、母は帰らぬ人となった。
悲しかったが、私は母の死を覚悟していた。最後の一年を、悔いのないように、とても楽しい濃厚な時間を彼女と過ごした。彼女もなんとなくそれを感じていたようだ。
幸いにも苦しまず、彼女は眠るように永遠の休息へとついた。
母をこよなく愛していた父は、かなりのダメージを受けた。当然だ。
屋敷全体が、光を失ったように、それまでとうってかわって、ひっそりとした雰囲気に包まれた。
かっては両親が采配した屋敷の仕事を、今はほとんど執事長が取り仕切っている。
私はこの男が好きになれない。両親の前では大人しく従順なふりをしながら、他の使用人には偉そうに振る舞う。人の手柄を横取りする。有る事無い事、嘘を誠のように話す。
子供だと油断して、彼は私の前でも暴言を吐いていた。乳母経由で両親にもそのあたりはそれとなく伝えられたが、仕事はできる男なので、辞めさせる程の問題とは思われていなかった。
そんな男が、ある意味でこの家の実権を握っているのだ。彼にとっては、使用人である自分が、貴族の屋敷を思いのままに動かせる絶好の機会だ。
案の定、母が亡くなって半年。彼の行動はひどくなっていった。
私を愛してくれる乳母と、お気に入りの若いメイドが、彼の嫌がらせに耐え切れず屋敷から去ったと聞き、私は行動を起こす事を決めた。
父の執務室の扉をノックする。
「誰だ?」
父ではなく、執事長の声がしたので、私は無言で扉を押し開けた。
「こんにちは、おとうさま。おしごとのじゃまをしてごめんなさい。どうしても、いそぎでおはなししたいことがあります」
軽く礼をとってから、私は一気にそう言った。
父は驚いた顔をしたが、その後笑顔を私に向けた。
「どうしたんだい? ルイーサ、話してごらん」
「はい、ではおひとばらいをしてください」
「人払い?」
「はい、わたしは、おとうさまと、おはなしがしたいです」
そう言って、ちらりと執事長を見た。
彼は、ジロリと私を睨んだ。
「しつじちょうは、いまわたしをにらみました。こわいです」
「お、お嬢様、誤解ですよ! 何をおっしゃっるのですか……!」
「わかったよ。ジャン、少し外してくれたまえ」
「だ、旦那様! 私は……」
「少しの間だから、外で待っていてくれ」
執務長は渋々、出て行った。
「おとうさま、ありがとうございます」
「うん、それで、ルイーサは何を話したいのかな?」
私は父に、手紙を渡した。生前、母に頼んで、父へ手紙を書いてもらっていたのだ。
「これは?」
「お母様がかかれた手紙です。まずは、それをお読み頂けますか?」
父は封筒をじっと見つめた。戸惑いながらも、封を開け、手紙を読んだ。
しばらくの静寂の後、父の頬に一筋の涙が流れるのを見た。何度も手紙を読み返した後、彼はしばらく顔に手を当てて、肩を震わせた。
私は何も言わず、ただ大人しく彼の言葉を待った。
「……それで、ルイーサ。君の願いは何かな?」
「はい、お父様。わたくしの願いは三点ございます。まず、ひとつ目はわたくしの自由を保証する契約書を書いて頂きたいのです。この先、お父様が再婚された時に、そのお相手の方にとって私が邪魔にならないとも限りません。その際に、手駒として勝手にどこの誰とも知らぬ年寄に嫁に出されては困ります。私の婚姻は私自身が決定権をもつ、誰も無理強いはできないと書面に明記して下さい。まあ、別荘のある南サヘランの敷地を、生前譲渡でつけて下さるとなお嬉しゅうございますが」
突然、大人のようにペラペラと話し出す私に、父は目を見開いた。
「……ル、ルイーサ……?」
「2つ目は、私に男性と同じ教育をつけて下さるようお願いします。マナー、ダンス、音楽、アートだけでなく、歴史、地理や軍事学も含めた帝王学を学びたいのです。もちろん、剣や乗馬は必須ですね」
私はここで、一息ついた。父が、話についてきているか確認する。
「大丈夫ですか? お父様、もう一度申し上げましょうか?」
「い、いや。続けてくれ。3つ目は何だ?」
「3つ目は、今の執事長を辞めさせ、人として信用できる方を据えてほしいのです。あの者は、お父様の前では良い顔をしますが、裏ではまあひどいのですわ。他の使用人達は、身分的に本当の事を言えずに我慢しておりますが……。私に対しても、幼少期にはバレないと思ってよく目の前で悪口を言っておりました」
「幼少期……。今もまだ幼少かと思うが……。どんな事を言われたのだ?」
「せっかくの子供が役立ずでバカな女の子で侯爵様もお可哀そうにだの、侯爵夫人の体が弱いから男の子が出来ないんだだの、見た目は悪くないから金持ちの爺さんと結婚させればたっぷり金を巻き上げられる餌になるだろう等など、まあイラッとする言葉をかけられましたわ、わたくし」
「……ジャンが、そんな事を?」
「はい、そんな人間なのです、あの者は。執事長は、その家の顔と言えます。実務がいくらできても、人としての誠実さや思いやりがない、小賢しく下品な者に役を任せるのは、他の使用人達にとっても不幸ですし、何より家門を貶める事になります。わたくしの言葉だけでは信憑性にかけるとお疑いかと思うので、お父様ご自身でしっかり裏をとって下さいませ。もちろん、かの者に内密に動いて下さいね。ちなみに、守衛団の団長はなかなか気骨のある若者ですよ。執事長の理不尽ないじめから、皆をさり気なく庇ったりフォローしたりしてくれています」
「そうか……、私は何も気づいていなかったのだな」
「……先日、私の大好きな乳母のヤーランと、とてもよく働くメイドのリズが、彼の理不尽な対応に耐え切れず辞めたそうです。できればこちらも、事実確認をして、できれば二人を呼び戻してもられれば嬉しいですが」
父は大きくため息をついた。
「ところで、母様の手紙には、なんと書いてあるのですか?」
私は、手紙の内容を知らない体で父に聞いてみた。本当は、私が言った内容を母はそのまま書いてくれたのだが。
「私が死んだ後、何かあれば誰よりもまずルイーサに相談するようにと。隠してきたが、実はルイーサは神童で、並の大人以上に賢く、特別な能力をもっている。ルイーサのその知識をいかせるようサポートしてくれと書いてある。そして……」
「そして……?」
「そして、もし私が再婚するのであれば、私が幸せになる為の相手を選んでほしい。ルイーサに母親が必要だから、跡取りの男の子が必要だからといった理由からだけでなく、私の心に寄り添い、共に幸せに生きてくれる相手と再婚してほしいと……。……マリアン……君以外の相手など考えられない……」
そう言いながら、父は泣き崩れた。
私は彼が落ち着くのを待ってから声をかけた。
「お父様は純粋な、素晴らしい方です。だからこそ、騙されやすい。良からぬ企みをもつ者にとっては、絶好のカモになりやすいのです」
「……絶好のカモ……」
「ちなみに、お父様に再婚を促した者は誰と誰ですか?」
「そうだな……執事長のジャン、そして弟のナントリヤとロシナンテ公爵様であろうか」
「では、その3名には注意が必要です。勿論、善意かもしれません。ですが、お父様があれだけお母様を愛してらしたのを知っているにもかかわらず、まだお母様が亡くなられて半年しかたっていないのに、もう再婚を進めてくるのはいかがなものかと」
考え込む父に、私は容赦なく言葉を投げつける。
「色々と驚かれているお父様には申し訳ございませんが、取り急ぎ2枚、契約書をお書き頂けますか? ひとつ目のお願い、私の自由を保証する書類です」
「今でなくてはならないのかい?」
「はい、今すぐ、この場で頂戴したく存じます。また、いつ何時、お父様に余計な事を吹き込む輩がでてこないとも限りませんので」
「私はそんなに信用がないのかい」
寂しく微笑む父に、返事はしなかった。その通りだからだ。
父の事は愛しているが、信用は出来ない。誰かに強く言われれば、今の話が覆る可能性はある。
父は契約用の紙を用意し、書き始めた。私は椅子に腰かけ、静かに待つ。
「これでどうだろうか?」
父の書いた文章に目を通す。
『私、フランシス・ドゥル・ディノア・ラムシュタイン・ドゥルメールは、我が娘、ルイーサ・ドゥル・ディノス・マリアン・ドゥルメールと下記の契約を交わす事をここに誓う。この契約は、何者にも破棄する事はできない。
一つ、ルイーサは自身の婚姻について選ぶ権利を持つ。何者も、彼女に結婚、または彼女の望まない相手との婚姻を強要することは出来ない。
一つ、ルイーサはドゥルメール侯爵家の第一相続権を持つ。これは、私フランシスの再婚により、今後男子が産まれたとしても、ルイーサの第一相続権がかわることはない。
一つ、ルイーサはドゥルメール侯爵家ができる限り最大の教育を受ける権利を持つ。
一つ、本日より、南サヘランのドゥルメール侯爵家別荘は、ルイーサの所有物とする。
以上を、私個人とドゥルメール侯爵家当主として、約束するものとする。
ロンバルト155年秋の月10日』
書類の最後には、父のサインと家紋印が押印してある。
「第一相続権と別荘までつけて下さり有難うございます。これでよろしゅうございます。第一相続権は、お父様の再婚後に異母弟ができ、その方が良い方であれば喜んでお渡しいたします。あと、もう一通控えを作成されるかと思いますが、その控えは、このドアの上に額縁に入れて飾って下さいませんか?」
「額縁に入れて飾る? なぜそんな事を」
「よからぬ者が、この契約書を私から奪い破棄するかもしれません。そして、契約書内容をすり替えるかもしれません。いつも見えるこの場所に飾ることは、紛失や内容がすり替えられる事の抑止力になるかと」
「そんなに、疑っているのか。この屋敷内にそのような悪人がいると……。お前はまだ6歳にもならないのに……」
父は私の言う通りにしてくれた。
そして、悲しそうに私を見つめ、それから抱きしめた。
「ルイーサ。私の最愛の人、マリアンとの娘であるお前を、愛している。私はこの半年、マリアンを失った悲しみのあまり、お前を疎かにしていた。不甲斐ない父を許してほしい。今後は、お前の為に出来る事は何でもしてやりたいと思うよ」
父の言葉のなかに、愛と悲しみと罪悪感を感じた。
母程ではないにせよ、私はこの父の事を愛しているし、大切にしたいと思う。
「お父様、有難うございます。私もお父様を愛しております。お母様を失った事はとても悲しいですが、お母様とお父様のご期待にそえるようしっかり勉強して、立派な人間になれるよう努めてまいります。そして、縁がありこの屋敷で働いてくれている皆が、快適に仕事ができる環境を整える為に尽力してまいります」
「ルイーサ……」
1時間あまり、部屋の外でまたされた執事長は、入るなり書類を額にいれて扉の上に飾るよう指示され驚いた。
「だ、旦那様、これはいったい!?」
「これは私がルイーサと交わした契約書だ。紛失を防ぎ、日々内容を心に刻む為に、飾る事に決めた」
「旦那様、女であるルイーサ様に第一相続権を渡すなどと、とんでもないことでございますよ! しかも、結婚の選択の権利をご自身が持つなどと……! 娘の婚姻先は、親や親族の方が決めるもの。それを……」
ペラペラと話しだす執事長にうんざりした私は、彼と父の間に割り込んだ。
「お父様、本日はお時間を頂き有難うございました。有意義なお話が出来て嬉しゅうございます。いつ頃から勉強の先生に来て頂けそうですか?」
「あ、ああ……。明日、王立図書館に寄って、派遣教師を紹介してもらいたいと頼んでこよう。なるべく早く来てもらうようにするよ」
「かしこまりました。有難うございます。どうぞ宜しくお願い申し上げます」
そう言ってにっこり笑ってから、父に頭を下げ、私は部屋を出た。
今までと違う私の口調に、執事長も驚いているようだが、一瞥もせず無視した。
後ろから、父と執事長の会話が聞こえる。
「ジャン、これは私が決めた事だ。お前は使用人として、私の言うとおりに仕事をしてくれればいい。それとも、私の考えに異を唱えるのか?」
「あ、いえ、決してそのような事は。……おっしゃっる通りにいたします」
私は、とりあえず父と契約書を交わせた事に安堵した。
まずは、第一関門を突破したのだ。
私が父と契約を交わした日から2ヶ月程で、執事長のジャンは、屋敷を追われた。
父は私の忠告通り、守衛団長に執事長の仕事振りや他の使用人への態度等の調査を依頼した。
色々と彼にとり不利な調査結果が出てきたが、極めつけは父の弟、ナントリヤ子爵と裏で繋がっていた事だろう。ナントリヤは、彼の言うとおりに動く女性を父の後妻に据え、実質的にドゥルメール侯爵家を乗っ取ろうとしていた事があきらかになった。
私の乳母とお気に入りのメイドは、それから間もなくして帰ってきた。やはり気心の知れた、働き者の二人が近くにいてくれるのは、嬉しい。
現在の執事長、ディーンは、元々は国立図書館で紹介された私の歴史、地理、軍事学の先生だ。父は彼をいたく気に入り、頼み込んで執事長になってもらった。
ディーンは知識が豊富だ。他国から来た人間なので、この国の見えない壁やルールを知らない為、忖度せずはっきりと意見を言う。それがとても小気味よい。
彼は執事長業をしながら、今も、週に数回、私の勉強もみてくれている。
私は与えられたこの環境、優秀な教師達、優しい乳母や使用人に恵まれた生活に感謝しながら、目標に向かって歩みだした。
家庭教師がつけられ、跡継ぎ教育がはじまり3年あまり。ルイーサとして、9歳の誕生日が近づいてきた頃、私はすっかり、ここでの暮らしに慣れていた。
前世での記憶は全てある。
あの時経験したこと、悲しみも怒りも、心をえぐられるような惨めな気持ちも、全て覚えている。
それでも。人間とは、良くも悪くも、現状に慣れていくものなのだとなんとも言えない気持ちにさせられる。
私は、サラディナーサであるとともに、家族や使用人達に愛される、幸せな令嬢ルイ―サでもある。
どす黒く暗い思いは、じょじょに前へ進むためのエネルギーへと変換されているように感じる自分がいる。
ルイーサの生まれたこの国は、以前サラディナーサとして生きてきた場所から、国2つ挟んだ場所にある。この近隣の六国は元々ひとつの民族から分かれた国なので、同じような文化や言語を共有している。
父から所有権をもらった別荘のある南サヘランは、サラディナーサとして最後の時を過ごしたライン川からすぐの場所に位置している。いつか、行ってみたい。
この新しい世界での幸せを享受しながらも、それでも私はサラディナーサである自分をも決して失わない。
例え、今幸せな生活を送っていても、人生どこでどうなるかはわからないということを、よく理解しているから。
もし父が再婚したら、父が没落したら、父が死んでしまったら。私の現状は、父次第でかわってしまう不安定なものだ。
そして、多少時代や場所がかわっても、人間の考える事、やることはたいして変わらない。
マウントの取り合い、足の引っ張り合い、お金をめぐっての欲と嘘と裏切りにまみれたドラマは、飽きることなくどこでも繰り返される。
いつもひどい目にあい泣くのは少数派の、女性や子供や移民や身分の低い弱い者達だ。
今の私には、2つの目標がある。
ひとつは、昔の私のような人間を少しでも減らすよう尽力する事。その為に、そこそこの財力と権力を得る必要がある。
2つ目は、私の天使、アルにもう一度会うこと。
サラディナーサである私を看取ってくれた彼に、どうしても会いたい。彼のお陰で、最後の瞬間を心穏やかに逝けた事を、心から感謝している。
また、幼かった彼に、私が色々と話した事で、彼の人生に余計な影響を与えていないかも気にかかる。
あの優しいアルがどんな素敵な大人になっているのか、とても楽しみだ。勿論、サラディナーサだと名乗れはしないが、遠くから彼を見守り、恩をかえしたいと思う。
大きくなったら、人を雇ってアルの消息を探すつもりだ。
まずは、貴族の子供達が12歳になれば通うという、国立学園に入るまでに、この世界のありとあらゆる知識を最大限修得する事を目指し、勉強三昧の日々を過ごす。
正直、学ぶ事はとても楽しい。サラディナーサの時は、花嫁修行の為のことしか教えてもらえなかったから。
去年からはじめた乗馬と剣術、体術にもはまっている。
日々、勉強すればするほど、わからない事も増えるけれど、やはり知らない事を知るというのは、とても面白い。
毎日が、あっという間に過ぎてゆく。
気がつけば、ルイーサとして12歳の誕生日を迎える。
貴族の12歳から18歳の子供のみが通う国立学園では、今年の入学生を含む約200名強が同じ学舎で勉学に励む。そのうち、女子の数は2割に満たない。しかも、女子は受講できる科目も限られている。
それでも、女性に学問は不要だという親を説得し、学園に通う権利をもぎ取ってきた少女達が集まるこの場所に来たかった。もしかしたら、仲間となれる人間と出会えるかもしれないと期待していたから。古い慣習を打ち破り、共に女性の社会進出を目指して行動する仲間を、私は求めている。
入学パーティーには、新入生だけでなく、在学生全員とその家族も参加する。
私も父と一緒に来ている。そして、その雰囲気でわかってしまった。この学園は、学舎の形をとった、結婚相手を探す場所だという事に。
特に女の子は、12歳の新入生も最年長のお姉さんも、みんな時間と手間暇がかかる美しい装いをしている。
今流行りのドレスに髪型、大人っぽく、でも派手になりすぎない艷やかな口紅や桃色の頬紅。
同性の同志が見つかるかもと期待していただけに、ガッカリしたけれど。どこの国の貴族も一緒で、結局は娘を手駒に、自分達の有利な条件で婚姻という契約相手を探すのに必死なのだとあらためて理解出来た。
「ルイーサは踊らないのかい? 誰か、誘ってみたい男の子はいないのか?」
「けっこうですわ、お父様。 わたくしの事はお気になさらず、どうぞ社交に行ってらっしゃって」
「君を一人残して行けないよ。」
「お父様、わたくしはこの学園に学びの為にきたのです。他の目的は、わたくしには不要ですの。その事をお忘れなきようお願いいたします」
「あ、ああ。わかったよ」
「わたくしは、少しお庭を歩いてきますわ。失礼、お父様」
「気をつけるんだよ、ルイーサ」
学園の大広間の外には、花が咲き誇る可愛らしい庭が広がっている。
ここは国の管轄なので、王国騎士団の騎士達が、あちらこちらに守備についている。治安はよさそうだ。
私は、大広間の出入口から見えにくい場所を探し、花壇に座りこんだ。
この場所に6年間、週に4日通うと思うと、気が重くなった。いや、でも今日のパーティーだけで、学園の全てを判断するのは早すぎるだろう。
きっと、家では学べない何かを、ここで得る事が出来るはずだ。
そう思いながら、ボーッとしていると、不意に後ろから声が聞こえた。
「大丈夫か? 気分が悪いのか? 」
「え? いえ、ああ……。お気遣い有難うございます。でも、わたくしは大丈夫です。少し考えことしておりまして」
暗がりでよく見えないが、背の高い若い男のようだ。
「考え事か。余裕だな。つまり、君はもう婚約者が決まっているのだな」
「婚約者? いえ、婚約者などおりません」
「ほう、ではなぜ踊らずこんなところに一人でいるのだ?」
「私はここに勉強しに来たのです。婚約者を探しに来た訳ではございません」
「勉強しにきた、という作戦か。まあ、それもよいであろう」
「失礼な方ですね。これ以上あなたとお話することはございません」
私は相手の顔をろくに見ず立ち上がり、広間に戻ろうと歩き出した。
さすがにこんな人気のない場所で、変な男に不埒な行いをされてはたまらない。
「どこにいくのだ?」
男は後ろからついてくる。
面倒なので無視する。
「以前にも何人か同じような事を言った女生徒もいたが、本気で勉学に励んだ者はいなかった。結局、女性はより良い結婚相手を探す方が、学びより大事なのだろう。あなたもそう片意地をはらず、素直になればよい」
あまりにも腹が立ち、苛立ちを抑えることができない。
「女性にとってより良い結婚相手を探す方が学びより大事だとおっしゃいましたが、それは女性の責任ではなく、今の社会制度の問題ではございませんか? 女性がいくら勉強したところで、男性のように社会的に認められた役職にはつけない。貴族の娘は、より良い相手との結婚でしか自身の存在価値を示す事が出来ない。責めるべきは女性ではなく、そのようないびつな社会構造をつくっている男性ではございませんこと?」
思っているより大きな声を出していると感じたが、彼の女性蔑視的な発言に刺激された私は、言葉を飲み込むことができなかった。
「そして、言わせて頂きますが、あなたが今までお会いしたご令嬢の方々とわたくしは違う人間です。女性だというだけで一括りにされ、同じように思われると困ります。何度でも申し上げますが、わたくしはこの学園に学びに来たのです。それ以外の目的は一切ございません。そういう訳でございますから、あなたがどこのどなた様か存じませんが、二度とわたくしにお声をかけないで下さいませ。迷惑ですから」
男は一瞬驚いた顔をした後、微かに口元をゆるめた。
艶やかな黒髪、黒い瞳の、整った顔立ち。その貴族的な甘いマスクに似つかわしくない、鍛えられたがっしりとした体格。
鋭い眼光と威圧的なオーラから、並みの人間ではないことは明らかだった。
男はしばらく、じっと私の顔をみつめている。まるで、獲物を見定める猛獣のように。
でも、私もここで負けるわけにはいかない。
目をそらさず、彼の目を同じように見つめ返す。
「ご令嬢、まだ幼いように見受けられるが、新入生か? 名はなんという?」
「先ほども申し上げましたが、私はあなた様とこれ以上お話することはございません」
「残念だが、その願いは却下だ。あなたにはなくとも、
彼が大声で名前を呼ぶと、どこからともなく男が現れ、彼の傍に跪いた。
「ギルティアス、このご令嬢を保護者の所まで送ってゆけ。どこの家かあとで報告せよ」
「かしこまりました」
「では、また会おう、ご令嬢」
「わたくしは二度とお会いしたくございませんが」
「クックッ……」
男は楽しそうに笑いながらその場を去った。
残された従者らしき男に促されて、私は仕方なく広間に戻った。
「お嬢様の御父上はどちらにいらっしゃいますか?」
この男を巻いて、なんとか身元を誤魔化そうかとも思ったけれど、学園に通う限り絶対に遅かれ早かれ顔はばれるだろう。
面倒な人間とは関わりたくないが、こうなってしまった以上仕方がない。
私は覚悟を決めて、父を探した。
「お父様」
「ルイ―サ……。こちらは……?」
父は、隣に立つ従者の男を見て戸惑った。
「初めまして。私はアドラー王の鷲の目のひとり、ギルティアス・ソリアスと申します。先程、ご令嬢と我が主は会話を楽しまれたようです。ぜひ、御貴殿のお名前を伺いたく」
「あ、アドラー王? ルイ―サが王と会話を……!? これは失礼いたしました、ギルティアス様。私はフランシス・ドゥル・ディノア・ラムシュタイン・ドゥルメール。ドゥルメール侯爵家当主でございます。娘はルイ―サと申し、本日、この学園に入学致しました。12歳です」
「なるほど、ドゥルメール侯爵のご令嬢でしたか」
先程のあの男が、アドラー王?
私は慌てる父の顔を見ながら、先程の男の顔を思い浮かべた。
アドラー王は、生ける伝説とも言われている。
5年前からこの国を統治しているこの王の物語を知らぬ民はいない。
前国王には正式な王妃以外に、4人の側妃がいた。アドラー王の母はその4名の側妃のなかでも、一番地位の低い平民出であった。
前王妃には子供が出来なかった。側妃達には合わせて8名の子が生まれたが、そのうち男子は2名のみ。
第一側妃の息子の第一王子と、平民の第四側妃の子供である第二王子アドラーだ。
第一側妃は、自身の息子を確実に次の王とする為、アドラーの母を徹底的にいじめ、アドラーを亡き者にしようと何度も殺害を試みた。事態を重く見た前王は、アドラーの母とアドラーを、他国へ逃がした。
第一王子は怖いもの知らずでわがままに育ち、次期王となる器ではなかった。第一王子の頭の悪さは、市井の民にまで知られており、その彼が次期王になることに国民は皆、不安を覚えていた。
5年前、前国王が崩御した際に、第二王子アドラーは突然帰国した。彼はあっという間に、第一王子と第一側妃を粛清し、自身が国王の座についた。
前王の側妃3名とその娘達は身分を剥奪され、実家に返された。
彼は、即位してすぐに自分だけの小さな軍隊をつくった。
『鷲の盾』と呼ばれる100名程の剣士集団で、剣の腕だけでなく、知識、教養、文化や芸術にも造詣の深いメンバーを揃えていて、なかでも『鷲の目』と呼ばれる5人の側近は、王の手足、王の代理として、政治、経済、教育の分野でその手腕を発揮している。
アドラー王は、国王の座についてしばらくすると、次々と大胆な改革を行った。
4年前、王は身分にかかわらず、優秀な人間を取り立てる為に教育の場を設けた。貴族専用の国立学園と平民の為の学びの場をつくった。
3年前、これまで身分によって守られていた貴族にも、法を適用することを決めた。今までやりたい放題で私腹を肥やしてきた家門のいくつかは、取り潰された。
2年前、前国王の3人の側妃の出身家門である、国内3大貴族が手を結び、アドラー王への謀反、暗殺事件を起こした。アドラー王は、鷲の盾を使い、3大貴族を根こそぎ叩き潰した。
現在は平和で、比較的市民にとっても安心な統治が続いている。
文武ともに優秀で革新的、敵には容赦せず民には寛大であるらしい。
それが、現在の貴族や平民に知られている、アドラー王にまつわる話だ。
玉座をめぐってのイザコザは、どこの国の王家でもよくある話ではあるけれど、やはり伝説と言われるだけの事はあると思う。
なぜなら、5年前、アドラーが王として即位した時、彼はまだ13歳の少年だったから。
そんな王と変な形で知り合ってしまい、面倒な事になったと身構えたけれど、結局あの入学パーティー以降、アドラー王と顔を合わせることはなかった。
学園の生活は、思っていた以上に快適だ。
授業では、既に今までに学んだ事を復習することも多かったが、他国の歴史や言語、あらたに制定された法律についてや商いの実務についてなど、新しい学びも多く、毎日が楽しい。
30人程のクラスメートとは、当たり障りのない付き合いをしている。
婚約者は探していないが、今後の為にも友好な人脈を築いておいて損はない。
月に一、二度程は、誰かの屋敷で行われる夜会に誘われるので、とりあえず参加はしている。
授業以外で、一度もダンスを踊ろうとしない私を、最初こそ物珍しそうに見ていたが、徐々にそういう人なのだと周りも納得していった。
必要最低限の事しか発言しない私。
勉強に熱心な私。
異性に全く興味を示さない私。
学園で、私は真面目で大人しい、少し風変わりな令嬢として認識され、興味本位で話しかけられないポジションを獲得した。
「いいですね、お嬢様。スピードも勘もよく、動きに躊躇いがない。上達されましたね」
「ありがとう。リュスクのお陰よ」
毎朝1時間、私はドゥルメール家の守衛団長、リュスクに剣の稽古をつけてもらっている。
だいぶ、剣が手になじんできたと自分でも感じる。
「そろそろ、馬上での槍の稽古をはじめたいわ」
「それは、以前に旦那様が危険だからと御止めになられましたが……」
「あの時はまだ私が幼かったからよ。私はもう13歳になるわ。体力も腕力もできてきたから、もう大丈夫よ。お父様には私から話しておくわ。来月からはじめましょう」
「……かしこまりました。馬番と話し、準備しておきます」
「宜しくお願いね」
そうこうしていると、乳母のヤーランが庭までやって来た。
「ルイーサ様、早く準備にかからないとパーティに間に合わないですよ」
「大丈夫よ、バアヤ。まだまだ時間はあるわ」
「いえいえ、ルイーサ様をピカピカに磨き上げて、今晩こそ婚約者候補を見つけて頂かないと。さ、さっ、まいりましょう」
私は苦笑しながら、黙ってバアヤの後に続いた。
夕方からは、学園の新入生入学パーティーだ。
もう入学してから1年たつのかと、あらためて時の経つ速さを感じる。
ルイーサになってからのこの13年間も、本当にあっという間だった。
そして、ふとアドラー王の事を思い出した。
ーーまた会おうと言いながら、あれから一度も彼を見ていない。別に、会いたいわけではないけれど……。
そう考えながら、いつもの疑問を思い浮かべた。
漆黒の髪、美しい顔立ち。
実は、アドラー王は、なんとなく思い出のなかのアルと重なるのだ。
しかし、アルの瞳は青色だった。アドラーは黒色の瞳なので、色が違う。
サラディナーサが死んだ時から考えると、会った時、アルは5歳前後だと思われる。年齢だけをみれば、アドラー王がアルであってもおかしくない。
だが、あの優しい天使が、あれから8年後、わずか13歳で兄と王妃を殺し、国を手に入れる程の剛腹で知略と人心掌握術に長けた人物に変容したとはどうしても思えなかった。
だけど……。何かが、引っかかる。
もし、アドラー王がアルだったら、私は彼にどうやって恩を返せばよいのだろうか。
もしくは、アルはアドラー王の親族かもしれない……。
アドラー王についてもっと詳しく知りたい。
アドラー王は、アルにつながっている。
なぜか、強くそう感じる。
*******
今日のパーティーは、前年より大規模のようだ。
18歳になった最上級生が卒業し、あらたに12歳の少年少女が学園に入学する。
今年は50名といつもより多くの新入生を迎えたそうだ。
学園の広間は、今日も淡いピンクや桃色、赤や空色等明るい色のドレスで華やかな雰囲気だ。
濃紺のドレスを着用しているのは私だけ。逆に目立ってしまうのだが、どうしても可愛らしい装いをするのはイヤだった。
「今年は新入生が多いのね」
「いやだわ、ルイ―サ様。学園長が先日お話になってらっしゃったじゃないですか」
「そうそう、その後、わたくし達、少し怖いわねとお話してた事をお忘れですか?」
「あら、そう。ごめんなさい、わたくし、全く聞いておりませんでしたわ」
「本当にルイ―サ様は、授業以外はご興味がおありでないのですね……」
軽食をつまみながら、クラスメートのご令嬢達から色々な情報を入手する。
今年から、この貴族専用の国立学園に、実験的に10名程の平民が通うことになったらしい。平民と言っても、大きな商家や、貴族に仕える使用人や剣士といった、ある程度貴族と接している者達の子供達だ。
また、下級貴族や中級でも比較的身分にこだわりのない考えの家門に打診があり、彼らの子供達は平民用の学校に入学する。これは、貴族と平民の学校間の、交換留学的な試みだ。
この施策に、一部の貴族からは強い反発があったが、アドラー王の一声で、実現されたらしい。
「そうでしたの。なかなか興味深い斬新な取り組みですわね。楽しそうですわ」
「ルイ―サ様は怖くはないのですか? 平民と一緒の建物で学ぶなどと……」
「いいえ、全く。貴族も平民も、同じ人間という種族ですわよ、皆様。同じ赤い血が流れていますし。教育を受け、本人にやる気さえあれば、平民も貴族も同じように成長できますわ」
「まあ、そんなこと……」
「平民とわたくし達が同じ種族だなんて……」
「おもしろい考え方だな、ルイ―サ嬢」
突然、後ろから低い男性の声が会話に加わった。
「え……まあ……!!」
「あ、あの……わたくし……」
「お、お会いできて光栄でございます!!」
令嬢達の驚きと興奮の甲高い声がする。
振り向くと、そこには声の主、アドラー王が立っていた。
一年ぶりに見たアドラー王は、背が伸びて、よりたくましくなったようだ。
顔つきも美しいというよりは獰猛な、といった表現がすぐに思いつく程、厳めしく見えた。
ーーーーだけど、やはりアルに似ている気がする。
無言でただ、アドラーを見つめる私に、彼も周りも違和感を感じたようだ。
「ル、ルイ―サ様もご挨拶なさいませんんと……」
クラスメートや周りの人たちは次々と挨拶の言葉を口にし、頭を下げている。
親切に、小声でささやいてくれる少女もいた。
「なんだ、挨拶の言葉ももらえないのか? 」
彼は私の目の前に立ち、私を見下ろした。
「恐れながら、わたくしはあなた様から直接お名前を頂いておりません。そして、昨年、あなた様とは二度と話したくないと申し上げたかと記憶しております。なのに話しかけられて、わたくしは、今どう対応すればいいのか、悩んでいるところです」
「る、ルイ―サ……!! なんてことを……! 」
父が声を上げながら駆けつけた。
「も、申し訳ございません! 我が主、我が国王、アドラー様にご挨拶を申し上げます。この度は、我が娘ルイ―サが失言を致しましたこと、心よりお詫び申し上げます。さ、ルイ―サ、お前も謝るのだ」
焦りながらアドラーに頭を下げる父をぼんやりと見る。
確かに、かなり失礼な事を言ったのに、アドラーの表情はかわらない。怒りも、嘲りもなく、ただ、私が次に何を言うのか、期待しているようにも見える。
「この学びの場は、身分に関係なく、誰もが平等に楽しく勉学に励み、成長する為の場所かと存じます。あなた様が高位の方にせよ、ここではわたくしと対等な立場ですわ。とはいえ、あまり意地を張るのもおとなげないですわね。ここはわたくしが折れましょう。わたくしは、ルイーサ・ドゥル・ディノス・マリアン・ドゥルメールと申します。ドゥルメール侯爵家の跡取り娘ですわ。お見知りおき頂ければ幸いに存じます」
そう言って、私はアドラーに向かって、頭を下げた。
「王に向かって、あのような物言いを……!」
「折れましょう、などと何を考えて……」
「跡取り娘と言ったか? 令嬢が跡取りにはなれぬだろう……」
あちこちから、色々な声が聞こえてきたが、どうでもよかった。
アドラーは何と言うだろうか。普通なら、ここで不敬罪で切られてもおかしくない物言いを私はした。
だが、去年に彼と話した感覚と、今回の平民を入学させる取り組み等を鑑みるに、私はここで死ぬことはないだろう。
彼が、本当に身分に関わらず、優秀な人間を認める度量のある人間かどうかを、見極めておきたい。
「……相変わらず勇ましいな、ルイーサ嬢。私は国王のアドラーだ。挨拶が遅れてすまぬ。この顔を覚えておいてくれ」
そう言って、彼は私に頭を下げた。
アドラー王が、いち侯爵令嬢に頭を下げる。
想像もできない展開に、私だけでなくその場にいる全員が驚きのあまり目を見開いた。
次いで、広間全体がどよめいた。
彼はそのまま、唖然としている私の手をとり、ホールの中央へといざなった。
「新入生の諸君、入学を心から祝う。私は国王のアドラーだ。皆に、一言述べよう。この学びの場は、身分に関係なく、誰もが平等に楽しく勉学に励み、成長する為の場所である。貴族や平民という身分にとらわれず、各自誇りをもって、そして思いやりを持って、切磋琢磨し、見聞を広め、助け合いながら成長するよう願っている。また、この場で伝えておく。平民の生徒にとっては、不安も多いだろう。このルイ―サ嬢を、貴族籍を持たぬ生徒の、世話係に任命する。何か困ったことがあれば、遠慮なく彼女に相談するように。学園長、教師の皆も、よいな。ルイ―サ嬢、世話係として、一言挨拶せよ」
突然の世話係任命に一瞬頭が真っ白になったが、ニヤリと笑うアドラー王の表情にイラっとし、かえって気持ちが落ち着いた。
平民の世話係は、私の人生目標からすると、願ってもない役目だ。
私は腹に力を入れ、落ち着いた声をだすよう試みた。
「はじめまして、皆様。2年目のルイーサ・ドゥル・ディノス・マリアン・ドゥルメールです。突然の事で、びっくりしておりますが……。アドラー国王様より、この度平民の皆様の世話係を任命されました。まだまだ、わたくし自身未熟者ではございますが、皆様がしっかり学業に励める環境を整えるよう、精一杯お手伝いさせていただきます。小さなことでも、何かあればすぐご相談下さい。あらためて、ご入学おめでとうございます」
そう言って、渾身のお辞儀カーテシーをした。チラッとアドラーの顔を見ると、満足そうに笑ってこちらを見ている。
気づくと、割れんばかりの拍手に包まれた。平民だと思われる生徒たちは、嬉しそうに私を見て笑っている。
私は、国王に片手を握られっぱなしな事に気づいた。
「アドラー国王、お手を……」
「気にするな。このまま、ダンスを踊る」
「……私は、授業以外で、どの夜会でもダンスを踊ったことはございません」
「だから? 授業で踊れるのだから、身体的な理由ではないのだろう」
「踊りたくないのです」
「なぜだ?」
ダンス用の演奏がはじまった。
アドラーは私の手を強く握ったまま離そうとしない。
「アドラー国王、嫌がる女性に無理強いするのはいかがかと存じますが」
「踊れるのに、もったいぶって踊らない、計算高く意地の悪い令嬢もどうかと思うぞ」
「はっ? 別にもったいぶってなど……」
「一曲位、踊ってくれてもいいのではないか? それとも、俺のような半分平民の血が流れる男とは、ダンスを踊るのも気持ち悪くていやなのか?」
「そんなことは一言も申しておりませんが……」
「では、いいだろう」
アドラーがニコッと笑った。
その、無心の笑顔が、アルと重なった。
ーーーーやっぱり、似ている……。彼が、私の天使なの……? でも……、まさか。
色々な思いを胸に抱えながら、私は仕方なく、アドラー王と1曲だけ、ダンスを踊った。
これが、後々の騒動の火種となるとも知らずに。
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