第17話 デイジー、最古の魔法使いに遭う
客足も落ち着いてきて、わたしたちも接客が板についてきた頃だったわ。
それは急に現れたの。
「失礼」
漆黒のローブと帽子に身を包み、いかにも魔法使い然とした白ひげを足まで伸ばした老人だったわ。
「師匠…」ルーファスはその老人を見てつぶやいたの。
老人はニッコリと微笑んだわ。その笑顔は粘っこかったわね。
「ほほ、ワシの顔をわすれてはいないようじゃの…」
口調まで粘っこい。なにやらルーファスに含むところがあるようだったわ。
わたしはこの老人を知っていたわ。
過去、戦ったことがあるの。
たしか、最古の魔法使いの一人と呼ばれる爺さんだったわね。
わたしが自分の技を“理合”と呼ぶのだと知ったのは、この老人がそう言ったからだったわ。さすがに物知りなのね。
それにしてもルーファスの師匠だったとは知らなかったわ。
殺しても特にルーファスから恨み節を聞いた覚えはないし、どうやら今のルーファスの表情を見ても、関係が良好とは言えなさそうなのよね。
「…どうしてここに?」ルーファスが聞いたわ。まったく歓迎している雰囲気ではなかった。
「ほほ、サボり癖のある弟子に師匠が直接会いに来たんじゃ。なにか悪いことがあるかの?」
ルーファスが何も答えないでいると、老人はわたしを見たわ。ひとつもキラキラしてないどす黒い目をしてた。
「可愛らしいお嬢さんじゃの。お嬢さんが、ルーファスの新しい師匠というわけかの?」
「…だとしたらなにか?」わたしは警戒して問うたの。
なぜなら、この爺さんはすでに大魔法を展開済みなことに気づいたからよ。
うかつだったわ。
仕事に夢中で気づかなかったけど、家のまわりに大規模な術式が張られてる。
今目の前にいる爺さんはいわば起爆剤。あとは爺さんが発動すると念じれば、大魔法はこの家を中心に大惨事を引き起こす仕掛けになってるみたい。
わたしとクロとルーファスは無事に済むだろうけど、残りの患者やアレキサンダーもただでは済まない。
老人はわたしを見てるけど、返答はあくまでルーファスに期待しているようだったわ。どこまでも失礼な爺さんよね。
「…ちがいます」
「ほ、おかしいのう。お主が新しい師を得てずいぶん生き生きと暮らしとると聞いたんじゃがのう」
「ここにはバイトに来ているだけです」
「ほほ、相も変わらずの勤労少年じゃのう。じゃが、そんな時こそ師を頼ればいいんじゃよ。そうじゃろう?」
「…そうですね」
わたしを置いてきぼりにして話が進行していく。
気に食わないわ。
なにが気に食わないって、わたしを脅迫材料にしていることよ。それでルーファスは嘘をつかされている。
こんなのが師弟の会話かしら?
「おい、爺、ウチのかわいい弟子を脅してるんじゃねーぞ」
だからわたしはつい口を挟んだの。少々お口が悪く聞こえるかもしれないけれど、ほら伝え方って大事じゃない?ちゃんと伝わるように努力をしているだけだから、皆さん誤解なさらないでね。わたし、デイジーは清楚な女の子よ。
「ああ?」
「ああ?じゃねえよ。人の家に勝手にあがりこんで挨拶もなしか?何年生きてるか知らねえが、ボケて礼儀も忘れちまったか?」
「…ほほほっ!こりゃたまげた。なかなか元気のよいお嬢さんじゃわい。いやいや、失礼した。儂の名前はセイフリッド・アームストロング。〈ユグドラシル〉の名誉教授であり、最古の魔法使いの一人じゃ。だから、少々礼儀を忘れても目を瞑って欲しいのう。して、お嬢さんの名前は?」
「わたしの名前は」
わたしが名前を言おうとした瞬間、ルーファスがわたしたちの間に割って入ったわ。
「師匠、わざわざご足労頂いたということはなにか火急のご要件でしょう。こんなところで時間を浪費するのは、師匠の研究のためになりません。すぐに出ましょう」
「ちょっとルーファス君。邪魔しないでよ」
「…あなたとはここで、金輪際お別れです。我が師に害なすものは許せませんから」
わたしはルーファス君の表情に息を呑んだわ。
「ほほ、師匠孝行な弟子じゃわい。さて、弟子に免じて退散するとするかの」
満足げにセイフリッドは杖をとりだして、くるんと回したわ。
すると、セイフリッドのみならずルーファスも宙に浮かんだの。
ルーファスは慣れているようで、宙で慌てることもなく方向転換したわ。
ルーファスは、わたしのほうを見もせずに「さようなら」と言ったわ。
わたしは悪いけど客たちに帰ってもらった。客たちもただならぬ雰囲気に素直に従ってくれた。なかには「“凶兆のセイフリッド・アームストロング”を見ちゃった。今日は速く帰らなきゃ!」と自ら急ぎ足で帰る貴婦人もいたの。
「デイジー」クロが肩の上から話しかける。「ルーファスのやつ泣いてたな」
「うん」
よほど辛かったのね。わたしにひどい言葉を向ける時、ルーファスの目には光るものがあるどころか声を震わせてすらいたわ。
はっきり言って、嘘をついているのはバレバレだった。
そして、セイフリッドはその声を聞きながら、ルーファスの背後で邪悪な笑みを浮かべていたのよ。
許せるわけがないわ。
わたしはドンッ!と床を踏みぬいた。
セイフリッドは空からデイジーの家を見下ろしていた。
脳裏にデイジーの生命力にあふれた言葉がよみがえる。セイフリッドは不気味な笑みを浮かべた。
セイフリッドは子供が嫌いだった。生命力を感じさせるものが嫌いだった。
しかし、子供が苦しむのは大好きだった。子供の死は大好きだった。
だから、起動させた。
術式・忌蛇穴(キダナ)。
生きたままの巨大な蛇をゆっくりと縦に割いていき、時間を置いて熟成させる。長く生かせば生かすほど強力な威力を発揮する媒体となる。
セイフリッドは媒体を昨夜のうちに湖に沈め、デイジーの家にすべての力が向かうよう経路を作っておいた。
地下水脈を通じて、大蛇がのたうちまわるように呪いがデイジーの家を下から粉砕する。
そのはずだった。
「む?おかしいのう?」
セイフリッドは頭をかいた。
術はうんともすんとも発動しなかった。
いや…!
セイフリッドの足元、湖の中心が渦を巻いていた。
巨大な蛇状の黒い影が、真下からセイフリッドをかみ砕かんと伸びてきた。蛇からしたら、本懐であったはずだ。
「ほ」
しかし、セイフリッドの足にその顎が届く直前、黒い影は弾けるように霧消した。
「いかんのう。主様に牙を剥くとは…」
いや、それより儂としたことが術式をしくじり、呪詛返しを受けるとは…。これは研究を急がねばならんのう。
「行くぞ」
セイフリッドは師の危機を冷たく見守っていた弟子を伴い、魔法学園〈ユグドラシル〉にある自身の研究棟に向かったのだった。
セイフリッドは自身のミスだと思っていたが、実際にはデイジーが呪いの経路を理合で歪めたのだった。すべての力の流れが見えるデイジーにはお手のものだった。ひと踏みで済んだ。
しかし、セイフリッドが最古の魔法使いの一人で、恐ろしい敵であるということには代わりがなかった。
デイジーが最古の魔法使いたちに殺されたのは一度や二度ではない。
常識で考えれば、まったく手を出す相手ではない。
たとえ、大事なものを目の前で奪われたとしてもだ。
クロがデイジーの肩でささやく。
「どうするの?」
わたしはしばらく目を閉じて考えたわ。
はっきり言ってわたしは頭が悪い。判断が遅い。
どうしたら良いのか?あるいは善いのか?
自分のために?ルーファスのために?
わからなくなって、ぐちゃぐちゃになる。
なんでみんなこんな難しいことが出来るのかわからない。
でも、決めた。
「奪い返してやるわ。“家族”を捨てた時、決めたもの。わたしは自由に生きるって」
今回はわりとはやく決断できたわ。なにせ、デイジーさんは日々成長してるからね。
「ルーファス君をアイスクリーム屋さんにしてやるわ」
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