17:迷宮の住人からの頼みごと

 何も見えない。真っ暗で何があるのかわからない世界が広がっている。

 もしかしたら本当に何もないのかもしれない。もしくは瞳が黒く染め上げられた可能性がある。

 どちらにしてもこの世界に何があるのか俺にはわからなかった。


 何もかもが黒く塗り潰された世界。そこは歪なのか純粋なのかわからないほど真っ黒だ。

 そんな世界の真ん中で色を持つ何かがいた。それはクスクスと笑っており、あの時とは違うカナエの姿をしている。

 そう、モノクロではなく瓜二つの色に染まった姿で俺を見下ろしていた。


『美味しかったよ。ああ、ホント美味しかったよ。アカシ、君は一途だからとてもとても堪らなかったよ』


 うっとりと、とても嬉しそうな笑顔を浮かべ彼女は満足げにしていた。あまりにも美味しかったのか思い出してはまたうっとりとした顔となり、目の前にいる俺なんてすっかり忘れている様子だ。


 満足してくれたようで何よりか。だけどカナエの姿でそんな顔をされるといろいろ困る。


「なあ、一つ頼みたいんだけどいいか?」

『残念ながらそれはできないよ。どんな願いであれ、対価が必要なんだよ。君はまだその対価を払いきれてないよ』

「ちょっとした頼みでもダメか?」

『ああ、ダメだよ』


 カナエの姿をやめてくれという前に却下されてしまった。参ったもんだ。

 まあ、何にしてもこいつのおかげで助かったからな。だからここは言葉に従って引き下がろう。


「それで、何の用だ? 確か俺、倒れた気がするんだけど」

『何、簡単なことだよ。無知な君にもろもろの説明をしてあげるだけだよ』

「説明? 何の?」

『探索者コインのことだよ。まさかただの便利アイテムなんて思ってないよね?』


 俺は思いもしないことに虚を突かれた。

 確かに探索者コインには不思議な力がある。だからといってそれにこんな変な奴が宿っているなんて思ってもいなかった。


 まあ、迷宮を潜るうえでそこまで必要じゃないから探索者コインのことなんて深く考えたことないかど、どうしてこいつはそれの説明をする気になったんだ?


『薄々気づいているとは思うけど、探索者コインには〈意志〉が宿ってるよ。それは肉体を失った今でも生きようと藻掻いてるんだよ。僕もその一人で、生きるためには〈欲〉が必要なんだよ』

「ふーん。それで、第二の人生を歩んでいるお前はもっとたらふく〈欲〉を食べたいってことか?」

『そうだよ。でも、それは美味しいものじゃないと嫌だよ。君だってたくさん食べるなら美味しいものを選ぶよね? それと同じだよ』


 そういって彼女は俺に近づき、こんなことを告げる。それはそれはなかなかの要求だった。


『君の純粋な想いはとても美味しい欲なんだよ。そしてヒントなしで覚醒スキルを手に入れたからこそ、その将来性を鑑みて契約をしたいんだよ』


「契約って何の?」


『どんなことがあっても互いの力になるっていう〈魂の契約〉だよ。どんなに離れていても、どれほど危機に瀕しても僕は君を助けるよ。代わりに、君は僕が満足する対価を支払い続けなければならないという契約なんだよ。結んでくれるならさらに力を貸してあげるよ。そうでないなら今まで通りになるよ』


 なるほど。大きなメリットを得られる代わりにデメリットも大きい契約ができる。向こうはそれをしたいけど、俺の意思を無視できないから聞いてきたってことか。

 まどろっこしいな。でもまあ、こいつはそんな奴なんだろう。


「契約するに決まってるだろ」


 俺の答えを聞いた彼女は目を大きくした。だけどすぐにクスクスと笑い出し、楽しげにしながら訊ね始める。


『もう少し迷うと思ってたよ』

「ワーウルフィンみたいなモンスターがまだまだたくさんいるんだろ? なら、迷う必要はない。俺は、俺には叶えたい願いがある――そのために必要なら迷っていられない」

『そうだよ。アカシ君、それが君だったよ。なら、契約は成立だよ』


 彼女はゆっくりと俺に近づく。そして俺の身体を絡め取るように抱きしめ、カナエの顔のまま耳元で囁いた。

 それは妖艶で、本物にはない言葉だ。


『いかなることが起きようと君に力を貸そう。我は〈強欲〉――世界が歩む意志すらも食らうモノなり』


 彼女はゆっくりと姿を変えていく。それはカナエとは全く違う姿であり、妖艶な笑顔が似合う女性だ。

 危険、だけど触れたい。そんな異様な感情を抱かせる彼女は告げる。


『さあ、我が名を受け入れろ、新条明志。我が真名は――』


 彼女が名前を告げる。でもそこで俺の意識が途切れた。

 だけどこれだけはハッキリ覚えている。

 その名前は彼女にピッタリなものだったってことを。


◆◆◆◆◆


 歯車やパイプが適当に組み合わせられた天井が目に入ってきた。知らない天井だな、と思いながら俺は身体を起こすと、途端に胸に痛みが走った。

 そういえばモンスターに切られたんだったな。そんなことを思い出しながら痛みを堪えていると、『お、起きたカ!』という声が聞こえてきた。


 顔を向けるとそこには見覚えのあるロボットがいる。確かあれは迷宮の住民イザナイのグレンって奴だったな。


『身体はいいカ?』

「起きれるぐらいには。でもまだ痛いや」

『結構な傷だったからナ。何にしてもよかったヨ』


 グレンは安心したかのように笑う。俺もつられて笑い、周囲を見渡した。


 どうやらこいつは俺を助けてくれたようだ。だけどここはどこなんだ。迷宮内のようだけどこんな建物なんて見たことないし。

 そんな疑問を持っているとグレンが答えてくれた。


『ここはボク達が住んでる村ダ』

「村? もしかして、迷宮村なのか!?」

『お前達はそう呼んでいるんだナ。ひとまずそうダ。ここは本来、外の連中を入れない決まりなんだけど今回は頼み込んで特別にお前達を入れてもらっタ』

「そりゃあ迷惑をかけたな。ありがとよ」


『勘違いするナ。お前達の腕を見込んでやったことダ』

「なんだそれ?」


 俺達の腕を見込んでってどういうことだ?

 そんなことを思っているとグレンはその内容を話し始める。それは俺が予想していない内容だった。


『お前達の腕を見込んで依頼したイ。この治療は前払いダ』

「依頼って、何させる気だよ?」


『迷宮がおかしいと前に話しただロ? お前が気絶している間にもどんどん状況が悪くなってきているんダ。歯車の動きがおかしいうえに、回転も遅いうえにいるはずのないモンスターもいる状態なんダ。ボクはそれの原因調査をすル。お前達にはボクを守ってもらうという依頼ダ』


 なるほど。つまりグレンの調査に付き合えってことか。

 でも俺達でいいのか? もっと強い探索者がいるはずだし。


「引き受けてもいいけど、俺達でいいのか? 場合によってはもっと強い人を呼ぶけど」

『現状、お前達が一番強いと判断しタ。それに急を急がなければならないし、アニキが出入り口を封鎖したから出るどころか入ることもできないんダ』


 消去法で俺達ってことかよ。まあ、なんかわからないけど切羽詰まってるみたいだしこの依頼を引き受けるか。

 治療もしてくれたしな。


「わかった、引き受けるよ」

『ありがとうオトコ! 交渉成立だネ!』

「ああ。なあ、聞きたいことあんだけどいいか?」

『いいゾ。どうした?』


「仲間とケガ人がいたはずだけどそいつらはどこいった?」

『あア。あいつらは外で何かしてるゾ』


 何かしてる? まさか配信でもしてるのか?

 そんなことを考えながら立ち上がり、建物の外に出てみる。部屋の外は広場があり、その真ん中には妙な銅像が置かれていた。

 その石像をカナエと助けた探索者が見つめていた。


「これは〈始まりの探索者〉よ! その功績は大きく、今も生きる伝説の人なの! もう私、その人に助けられたことがあって憧れたんだっ」

「そうなんだ。でも、変な顔」

「なっ! この人のよさがわからないのあなた! このブルドッグみたいなしわくちゃ! かわいいじゃない!!!」

「おじいちゃんみたい」


「あー! 何よ何よ! 私がジジ線だって言いたいのね! いいわ、ならあなたもオジジのよさを教えてあげるからっ」


 何の話をしてるんだあいつら。というかカナエと話してるのは誰だ?

 見たことのない女性だけどここにいるってことは探索者だな。でも、なんで真っ黒なスーツを着てるんだ? しっかりネクタイを締めてるし、なんかサングラスをかけてるし。


 明らかに怪しい。あんまり関わりたくないなって思っているとカナエに気づかれてしまった。


 カナエに手を振られ、逃げるに逃げられなくなるって仕方なく手を振り返す。すると石像に夢中になっていた女性が俺に気づいてしまう。

 彼女は楽しげに語ることをやめ、俺に振り返った。それを見た俺は観念し、二人の元へ近寄る。


「何してんだカナエ?」

「石像見てた」

「それわかる。つーかなんでこんな所に石像があるんだ?」

「わからない。でもとてもすごい人みたい」


「へぇー、そうなんだ。見た感じなかなかのじいさんだけど」

「アンタに何がわかるのよ!」


 唐突に女性が叫んだ。なんだこいつは、と思って見ているとそいつは語り始める。


「この人はすごいのよ! 初めて厄災星迷宮を攻略したり、新薬となる素材を見つけたりいろんな功績があるのよ! アンタみたいなヒヨッコなら崇め奉らなきゃいけないのに、そんな口を利くなんて。身の程を知れタマゴが!」


 なんかわかんないけどすごい勢いでまくし立てられた。

 やべー、やべーよ。とんでもない奴だよこいつ。


「依乃里さん、よくわからない」

「なんでよ! こんなに言ってるのに情熱が伝わらないってどういうことよ!」

「うるさいから。しばらく静かにして」

「あぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁッッッ」


 悶えている。よくわからないけど、あまりふれないほうがいいな。

 あ、でも出入り口を封鎖されてるんだったな。参った、追い返すことができない。


「なぁ、こいつ何?」

「ゴリラッパーがギルドに連絡してくれた。一応凄腕の探索者」

「凄腕なの? こいつが?」

「うん。ちなみにゴリラッパーのお姉さん」


「へぇー、そうなん――ハァッ!?」


 今なんて言った? この変態が、ゴリラッパーの実の姉だと!?

 いや、待て。落ちつけ俺。ゴリラッパーのことを思い出せ。あいつはあいつで変態だっただろ。

 ならその姉貴が変態であってもおかしくないっての!


「あ、ケガした探索者は無事にギルドへ送ってもらったから大丈夫」

「そ、そうか。そりゃよかったよ」

「ゴリラッパーがよろしくって言ってたよ」

「そうなん――あいつ来たの!?」


 カナエは静かに頷いた。俺が寝ている間に何が起きていたのんだろうか。すげぇー気になるけどわからない。

 くそ、なんで俺は寝てたんだよ! ゴリラッパーをぶん殴れたチャンスだったのに!


 そんな悔しい思いをしていると唐突にゴリラッパー姉が「フフフ」と笑い出した。

 なんだか不気味だ。ああ、関わりたくないな。


「いいわ、よくわかったから。アンタ達にこの人のすごさをしっかり教えてあげるんだから! 覚悟しなさい!」

「えー」

「えー、じゃない! いい、私のことを井山依乃里さんって敬いなさい。わかったァ!?」


 こうして俺は目覚めるとグレンに依頼され、とてもうるさい女性と一緒に行動することになる。

 ああ、なんでこんなことになったんだよマジで。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る