第二話

 大勢が行き交い、出店の前で足を止めては立ち話や品定め、値切り交渉をしている光景は、人間も妖族も変わらないのだなと素白は思った。ただしそこは妖族の市、売られているのは得体の知れない生き物や、もとはこうした生き物だったのであろう肉や骨、人間が食べたら一口で気絶しそうな怪しげな色の食べ物で、いるのは皆獣と人を混ぜ合わせたような見た目の化け物たちだ。


 この中では素白の白髪と紅い目はさほど目立たない。加えて提灯の光を受けた肌が鱗のようにちらちら光っているために、彼が人間でないことは容易に見て取れた――それでも念には念を入れて、素白は全身を覆う外套を羽織ってきていた。頭巾を目深にかぶってしまえば人間そっくりの外見は隠れて見えなくなる。

 妖族の市に乗り込むにあたって奚宣に忠告されたことのひとつが、素白の人間そのものの外見だった。妖気が強い場所に行くために元の蛇の姿に近くなるが、それでもたった三百歳で完璧に近い人間の姿をとれる妖怪は多くはない。同じ境地に至るまで千年かそれ以上の時間を費やす妖怪が多いのだ――やはり荒泉が最初に見抜いたとおり、素白には修道の素質があったのだ。


 道行く妖怪たちの声に耳を澄ませていると、まさに今夜は競りが行われるらしい。ちょうどいいと思いながら、素白は人波が流れるままゆっくりと歩いていた。一度体から放出された仙気は時間が経つにつれて消えていくことを考えると、素白の仙気が競りにかけられるのは今夜以外にないはずだ。そして、面倒な修行を経ずとも一晩で強力な力が手に入るこの機会を逃すはこの市にはまず来ない。


 いつの間にか、素白は競りの会場に着いていた。数百はありそうな石段の先には堂々たる大殿がそびえ、妖怪たちが続々と吸い込まれていく。素白は思わず唾を飲み込んだ。いつの間にか鼓動が激しくなっていて、自ずと足が止まってしまう。

 殺戮以外なら何をしても良いと奚宣には言われている。相手をやり込めずとも良い、穏便に買い戻すことを一番に考えろと貴重な宝具も持たされている。奚宣はさらに、仙気をたっぷり蓄えた剣まで持たせてくれた。いざというときには剣の中の気を使えということなのだろうが、今は腰に佩いたそれがやけに重く感じられる。素白は剣の柄をぐっと握りしめて深呼吸し、再び足を踏み出そうとした。


「へえ。来たんだな、お前」


 不意に脇から声がした。振り返ろうとした矢先、何者かが素白の外套を鷲掴みにして路地裏に引き摺り込む。その手を弾き、くるりと体を反転させると、荒泉がにやにや笑いながら打たれた手をさすっていた。いびつな形の角に着崩した衣、人を見下した目付きと、荒泉は出会った頃から変わっていない。


「多少蛇っぽくなったか? 妖族らしくて良いじゃねえか」


 荒泉はからかうように頭巾を下から覗き込んできた。素白はそれを拒むようにふいと顔を背ける。


「誰のせいだと思っているんだ」


「へえ。俺のせいだって言いたいのか」


 へらりと返した荒泉だったが、言葉の裏には冷たさが見え隠れしている。素白は乾いた喉にわずかな唾を送り込むと、次に来るであろう罵倒に身構えた。

「せっかく色々教えてやった結果がこれなんてな。それなりに目を掛けてやったってのに謫仙人なんかに目移りされるなんて、とんだ悲劇だぜ」


「師尊を悪く言うな。謫仙人が半端者だって言いたいのなら、お前こそ半端者の妖獣じゃないか」


 素白鱗が言い返すと、荒泉が苛立ちもあらわに舌打ちした。ねじれた牙が威嚇のように見え隠れしたが、素白鱗は負けじと歯を食いしばり、さらに荒泉を攻撃した。


「師尊はお前が思うよりもずっと立派な方なんだ。妖族の僕を受け入れてくださったし、正しく生きる道を教えてくださった。お前みたいに人を騙したり、人から何かを奪ったりすることなんてしないお方だ!」


「それはあいつが人間だからだろうが。お前は妖蛇のくせに人間に憧れるのか?」


 低い声に怒りを滲ませて荒泉が言う。歯の間から漏れる息に瘴気が混ざり始めているのを素白鱗は臭いで感じ取った。


「そんなの僕の勝手だ。なんで僕は師尊のような立派な人になってはいけないんだ?」


 蛟龍の瘴気をまともに浴びたらそれだけで命取りだ。素白鱗は言い返しながら、いざというときに備えて仙気と妖気を全身に巡らせ始めた。互いに相反する気だが使えるものは使わないと、仙気を取り戻すことができなくなってしまう。

 荒泉は素白が臨戦態勢になっていることを見て取ると、嘲笑うように唇をめくり上げた。


「まったくお前は良い子だよ。だがな、お前に流れる血を考えてみろ。どれだけ上手く隠しても、お前が妖蛇だって事実は変えられない。お前がどれだけ気に入られるよう頑張ったって、人間ども――特に修行をしてる連中はそれを知ったら途端に手のひらを返すぜ」


 一瞬、吐息に混ざる瘴気が収まった。荒泉は素白を煽っているようでいて、その目はいたって真剣だ。


「残念ながら俺はそれで殺された仲間も大勢知ってる。悪いことは言わねえ、このまま戻ってこい。お前がいるべき場所は俺たちの側だ」


 もはや荒泉の顔に笑みはない。素白は一瞬、言い返す言葉に詰まってしまった。

 思えば、荒泉は昔から人間、とりわけ仙人のことを憎んでいた。あくどい性根はしているが、妖族に対しては温情を見せることを厭わない。


「……でも、」


 素白はどうにか言葉を絞り出した。荒泉の真剣な眼差しに応えることは、騙されることと同義だと自分は知っている。

 だからここで断らなければ――そう決めた心を荒泉に読まれていたのだろう。

 荒泉の口元に諦めたような笑みが広がった次の瞬間、毒気を帯びた吐息が素白の目の前を覆った。

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