綿は愛さない

 うちのお母さんはよそのお母さんと違うらしいとはっきり認識したのは小学校に上がってからのことだった。


 クラスで初めて仲良くなった友達が母親と一緒に遊びに来てくれて僕は浮かれていたのだ。母親の脚に抱きついて甘える友達に対する嫉妬と対抗意識もあったかもしれない。


 僕は奥の寝室からお母さんを連れてきてダイニングテーブルに座らせた。得意になって友達をお母さんに紹介していたら、その友達が泣き出した。友達の母は「そのクマちゃんがお母さんの代わりなのね」と腫れ物に触るように微笑んだ。


 結局二人はそのまま帰ってしまい、無口な父は「母さんのことは誰にも言うなと言っただろう」と不機嫌に僕を叱った。僕はふかふかのお母さんの胸で泣いた。家に友達を連れてくることは二度となかった。




 お母さんは優しかった。


 僕が必要としている時にはそばにいてくれたし、目を逸らすことなくじっと話を聞いてくれた。僕が眠るまで一緒に絵本を読んでくれた。いつだって温かく包んでくれた。


 全部を受け止めてくれるお母さんが大好きだった。


 お母さんは何もしてくれなかった。


 ぬいぐるみよろしく座っているだけで生活の役には立たなかった。どうすればいいか教えてほしいのに何も答えてくれなかった。宿題で親に話を聞かなければいけないのに協力してくれなかった。電子レンジから出した夕飯のうどんをこぼして腕に火傷をしても、お母さんは真っ黒なプラスチックの目で無表情に見ているだけだった。


 ほんの些細な期待にも応えてくれないお母さんが大嫌いだった。




 僕にもそれなりに反抗期はあった。僕を見る目が気に食わないとお母さんにいちゃもんを付けてベッドからはたき落とした。お前なんか母親じゃないと踏みつけた。


 腹の底をぐつぐつさせながらほころびを乱暴に繕い、首を絞めるように抱きしめて眠った。


 ぬいぐるみのお母さんに抱く愛情を是とすれば、お母さんに怒りをぶつける自分の喉元に正義のナイフを突きつけることになり、お母さんへの憎しみこそ真実とすればお母さんを愛する僕は裏切り者だった。薄汚れたお母さんの中綿は萎んで張りがなくなり、僕はますますやりきれなくなった。




 大学進学と同時に実家を出ることにしたが、お母さんは置いていくと決めた。


 僕はお母さんを愛していた。僕はこれまでずっとお母さんを必要としていた。でも愛を返す能力はお母さんには備わっていないから。身を裂くような諦めと共に、僕は僕の身体からお母さんを切り離した。


 盆と正月くらいしか会わなくなるだろうからと、父は最後に幼い僕を置いていった母親の写真を見せてくれた。


 角が少し破れた写真に映っていたのは、目元が僕に似ているだけの、ただの知らないおばさんだった。

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