いつかの思い出

 密で柔らかな体毛に覆われた臆病な獣の後頭部を眺めながら、川沿いの道を今日も歩く。夏至に向かう朝の太陽で、被毛の白い部分がハレーションを起こす。


 この子が自分の最後の犬かもしれない。


 そう思った時、わかってしまった。今この瞬間、網膜に映っているこの光景が、いずれ何度となく呼び起こすことになる、幸せな思い出そのものなのだと。あまりの眩さに蒸発してしまいそうなほどの光を放つ、まさにその記憶になるのだと。


 私を呑み込んだのは単なる悲しみではなかった。それはただただ光だった。胸が潰れるような愛おしさ、美しさ、幸福そのものだった。


 いつか来る別れの後の嘆きが、寂しさが、戻らない過去への渇望が、翻って現在を照らし、輝かせていた。


 必ず来る未来の悲嘆を知っていて良かった。悲しみは愛しいものを指し示し、その存在が自分にとってどれだけ大きな意味を持っているか教えてくれる。失った今になって初めて過去の幸福に気付くように、喪失の予感が現在の幸福を知らしめるのだ。


 いずれ失うと知っている。だから今をこの目に焼き付けておきたい。だからこの子の今を幸せで満たしてやりたい。そのための負担を惜しみたくない。


 喪失の予感が連れてくる愛しさと美しさが、優しさや慈しみの本質ではないだろうか。儚いものは何であれ愛しく美しい。失われるまでの一雫の時間を惜しみ、より幸福な瞬間であるよう望む。


 悲しみと愛しさから目を背けない強さが欲しい。


 悲しみながら慈しむ人でありたい。


 ずっと悲しみを抱えたまま、切ない幸福を生きたい。

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