走らない私
人間に目なんて付いていなければ良かったのに、と思っていた。
戸惑い。蔑み。哀れみ。
視線に乗って私に届けられる感情は決して快いものではなく、周りの人の目をみんな塞いで回りたかった。その目から何も出てこないように。私の影がその目に入らないように。
人目を気にする私に自意識過剰だと言った母は私のほうを見ていなかった。もう何年も、私の顔なんて見ていなかった。
私は高校までの通学路を走って行き帰りするようになった。蜘蛛の糸のように粘りつく視線を引き千切るように速く。もっと速く。
体育の時間の終わりに同級生からスカウトされて陸上部に入った。いつの間にか本当に速く走れるようになっていたのだ。事故で歪んだ顔ではなく能力や内面を見てもらえた気がして嬉しかった。
陸上競技の才能はあったようで、私はその年の地元の大会で優勝した。
表彰式を終えた私にケーブルテレビのインタビュアーがマイクを向けた。
「ハンデを乗り越えて頂点に立った気持ちはいかがですか?」
私の顔からわずかに視線をずらしながらぎこちない笑みを浮かべるインタビュアーを見て、心の温度が下がっていく。
「醜い者が表舞台に立つのがそんなにおかしいですか?」
私の内から出た冷気が一帯を凍らせるのを見届けて、私は競技場から去った。翌日の朝、陸上部を辞めた。私は走ることをやめた。
今の私はわざとゆっくり道を歩く。
向けられる視線には視線を返す。
大概の人間は瞬時に顔を逸らして気まずそうに視線を泳がせる。怯んだのを誤魔化すようにおどけてみせる奴も、こちらが表情を無にして見据えていると、舌打ちしながらすごすごと退散していく。
私の存在が不快ですか? 視界に入れたくないですか?
残念、私は隠れない。
全ての視線を視線で殺し、この目で侮蔑に復讐するのだ。
かつて俯いて走り抜けた道が、目の前に広く開けている。私のための道が。
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