第2話

フランチェスカは一瞥すると、そのまま窓の近くに移動して上体を乗り出した。

「―――ちっ、あまり魔力も残っていないのに」

そのまま両足を掛けると、そのまま窓から飛び出した。

「―――!」

流花は慌てて窓に近づくと、下を覗き込んだ。そこにはフランチェスカの姿はなく、流花の目の前を、まるで孫悟空が筋斗雲に乗って飛んでいくかのように上空へ上って行った。

そこには人の体をしているはずなのに、手足がタコのように触手になり顔が限りなく肥大した得体に知れない生物が浮かんでいた。体のあちこちから蒸気のようなものが噴出している。タコの生物の触手がうなり、時には大きな錐のようなものに変化し、フランチェスカに襲い掛かった。フランチェスカは常人離れした動きでその攻撃を避けている。

急に、手のひらをタコの生物に向けると何かを叫んだ。と、同時に青白い閃光がタコの生物を貫いた。

―――おおおおぉおおおおおぉおぉおん

タコの生物が咆哮し、肉片が空に散乱する。だが、一部残った残った肉片が集結し、鎌のような形になった。瞠目するフランチェスカはその場を大きく離れようとするも、鎌が彼女の右肩を大きく掠った。

「―――フランチェスカ!」

流花はいてもたってもいられず、教室を飛び出した。

「樋浦!どこに行くんだ!勝手な行動はするんじゃない」

広岡先生の制止の声に反応せず、流花はじゃまなスリッパも脱ぎ捨てて一気に廊下を走った。下駄箱に着くと、靴を履くのももどかしく、踵を踏みつぶしながら校庭に出た。

その時、右肩を押さえながら、フランチェスカが校庭の真ん中で座り込んでいた。

「フランチェスカ!」

その声にゆっくりとフランチェスカが振り返った。苦しそうに表情を歪め、青白い顔をしている。

「……何で、ここに来ているのよ。あんたが来たって何もならないし、足手まといだから。教室に戻りなさいよ」

「だって……!肩に怪我をしてる」

流花はポケットから大判のハンカチを取り出し、フランチェスカの右肩に押し当てた。

「これから、保健室に行ってちゃんとした止血の包帯とか取ってくるから」

「駄目ね、もう遅い」

―――ぬおおおおぉおおぉおおん

二人の少女の頭上を、タコの生物がさっきよりも回復した姿で浮遊していた。タコの生物の逆三日月の目が獲物を捕らえたかのように細くなった。

「どーする?もうTHE ENDってことにしとく?」

流花の後方から声が聞こえ、振り返ると前髪の一部が白く染まった少年がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。いや、浮かんでいた。

「……志苑」

「それか、ニーナの命を削って魔法生成しとく?今日だけで、大分貸しがあるけど」

フランチェスカ、いや、ニーナと呼ばれた少女は悔しそうに志苑という少年を睨みつけている。

「……どうせ、それしか手立てはないんでしょうよ」

「まぁ、そうだね。君が死んだら死んだでまた魔法少女を連れ出してくればいいし、替えはいくらでもきくんだけどね」

「私みたいな思いをするのは、私だけで十分だわ」

ニーナは渾身の力を振り絞って、立ち上がった。

「志苑、魔法生成して頂戴」

「オッケー」

志苑は人差し指をニーナに向けると、ニーナの体が銀色に光りだした。ニーナの髪が大きくたなびき、段々と頬や足や肩の傷が消えていった。癒されているはずなのに、ニーナの表情は苦悶に満ちていた。光が消えると、ニーナはそのまま倒れこんだ。

「フランチェ―――いえ、ニーナさん!」

慌てて流花が駆け寄ろうとすると、「来ないで!」とニーナは叫んだ。思わず流花は足を止めると、ニーナはがはっと大きく咳き込み、校庭の土に鮮血が飛び散った。

「ニーナさん!!」

「まぁ、命削ってるからね。今日は魔力の消費も多かったし、二年分くらいの寿命は縮んだかな?」

志苑はさらっと恐ろしいことを口にすると、そのまま二階の窓近くまで浮かんでいった。

「さぁ、相手は待ってくれないよ」

ニーナは血の付いた口元を拭うと、頭上のタコの生物を睨みつけた。右の拳をぐっと握りしめると、赤い杖のようなものが姿を現した。

「あんた、そこから離れて!」

ニーナの声に、流花は今更ながら足がすくんで動けずにいた。ニーナのピンチに体が動いたが、未知の生物を目の前にすると怖くて、足元を釘で打ち込まれているかのように身動きが取れずにいた。

「―――ったく、だから足手まといだって言ったのよ」

ニーナは杖をサーフィンのようにボードにすると流花の手を掴んで空に飛びあがった。

「―――!!」

流花はあまりの恐ろしさに声も上げることが出来なかった。だけど、ニーナの手の温かさに、空を飛んでいるという不可解な環境下でありながら少し心が落ち着いていた。

「あんたを教室に届けてる時間がないから、この杖に掴まっていなさい。魔力も少しは温存できたし、次で決める」

ニーナはタコの生物の死角にあたる後部へ移動し、何かを唱えた。杖の先に青白い球体の光が段々と大きくなっていく。

流花は杖にぎゅっと掴まりながらニーナの姿を見上げた。光が大きくなっていくほどに、ニーナの息が上がっていく。この攻撃を決めなければ、タコの生物はまた蘇生してしまうのだろう。魔力を喪失させるたびに、ニーナはまた先ほどの志苑から自分の生命力を魔力に置き換えなければならない。また、あのような苦しい思いをしなければならない。

何で、そんな自分の寿命を縮めながら、ニーナが戦わなければいけないのだろうか。

こんな世界、滅びればいいのに、そんな風に毎日思っていた流花は恥ずかしくて悔しくて仕方なかった。

私の命を、ニーナのために使えればいいのに。

流花は徐に杖の上に立ち上がり、ニーナを後ろからぎゅっと抱きしめた。

「―――ちょっ、あんた何して」

ずおおおおおおぉおぉ

流花が力を込めた瞬間、ニーナの体が金色に光り始めた。杖の先の青白い光も、段々と鮮やかな赤色に変化していき、光の周りを黒々とした雷のような細やかな筋がうねっている。

「……何、これ。力がみなぎってくる。それに、こんな魔力の光、見たことない」

ニーナは呆然と呟き、流花を振り返った。

「あんた、あんたの力なの?」

流花は分からないというように、何度も首を振った。

「でも、これならいける」

ニーナは舌なめずりをすると、そのまま杖を頭上に掲げた。光の球体はいつの間にか校舎を覆うまでの大きさになっていた。タコの生物は表情は読めないが、触手を自分の体を抱きしめるように護っている。圧倒的な魔力の光に、完全に戦力を削がれているようだった。

「いっけぇぇえええ!!」

ニーナが叫んで杖を勢いよく振り下ろした。光の球体は杖から離れ、タコの生物に覆うように被さると、閃光が幾筋にも走り爆音が轟いた。

「きゃあああぁあ」

爆風に吹き飛ばされ、流花はニーナに必死にしがみ付いたまま飛ばされた。だか、ニーナは杖の上に立ったままだった。

粉塵が消えると、そこには肉片一つ落ちていなかった。校庭の真ん中に黒々とした大きな穴が開いていた。タコの生物は跡形もなく消えたようだ。

ニーナはゆっくりと地上へ降り立つと、杖も自動的に消失した。穴を覗き込むと、黒々とした穴の中に三十代くらいの男が横たわっていた。傷一つない。

「志苑、終わったわよ」

ニーナが声を掛けると、空から拍手をしながら志苑がゆっくりと降りてきた。

「いやぁ、今回は流石に無理かなぁと思ったけど、凄かったね。ニーナのなけなしの魔力だけじゃどうにもならなかった。そこの、君の力のおかげかな?」

流花はニーナと志苑の視線を浴びながら、胸の前で手を振った。

「え、でも、私は何もしていなくて……」

「まぁ、でも今回ばかりだろうから。ここ一帯と君たちの記憶、そしてそこに横たわっている彼すべてを元通りにするから。君がここで会ったすべての記憶はすっかり綺麗に消されるから安心して」

「消される……?」

「そうよ。覚えているでしょ?お片付けタイムよ」

魔法少女★デストロイヤー・マジカルでも魔法少女たちは街を壊すだけ壊して敵を倒したら、すべてをなかったことにしていた。跡形も残さずに綺麗さっぱりと。

「……ニーナさんのことも、忘れてしまうの?」

流花の言葉にニーナは拍子抜けしたように息を漏らした。

「当たり前でしょう。今回はちょっと破壊する規模がでかくなっちゃってけど、このままに出来るわけないじゃない」

「そうじゃなくて、私は、ニーナさんのことを覚えていたい。忘れたくない」

「……私は、あんたの知っているフランチェスカとは別物よ」

「分かってる!フランチェスカじゃなくて、ニーナさんのことを知っておきたいの」

「そんなリスクのある処置はちょっと認められないかなぁ。悪いね。悪い夢だったと思ってすべてを忘れてよ。さぁ、ニーナ。あまり放っておくと騒ぎになるから急ぐよ」

「分かったわ」

志苑は人差し指を掲げるとさっと弧を描いた。きらきらと銀色の光が走ったかと思うと、ぐるりと校舎が反転した。流花は逆さまになっているのかと思った。だが、志苑とニーナは普通に地面に足をつけている。

「じゃあね」

「ニーナさん―――!」

そのまま世界は暗転した。


目を開くと、広岡先生がいつものように黒板に文字を書いていた。

流花はふと視線を落とすと現国のノートが真っ白だった。いつのまにかぽたぽたとノートにいくつもの雫が出来る。流花は急いでシャーペンを動かした。

腰までのふわふわの栗毛をたなびかせて佇む少女がそこに浮き彫りになった。

「……ニーナさん、私、お片付けされなかったよ」

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