ワープ 01 ~物体転送装置~

かわごえともぞう

第1話 二人の天才物理学者

理学部の研究室がある別館の裏庭に一本だけ植わっている桜の木が満開を迎えようとしている。三月の下旬から四月にかけてのこの時期、大学のキャンバスは人影がまばらになる。卒業生が去り、地方出身の生徒は帰省し、入学式の日まで新入生はまだ現れない。研究者にとって、大学の一年間で最も快適な時期である。暑くもなく寒くもなく、講義や試験もなく、研究、実験、論文等々が気持ち良くはかどっていく。

関東平野の西の端、武蔵野台地のはずれのはずれに建てられたこの県立の理科大学は、工学部と理学部の二学部しかない。「北武蔵野きたむさしの理科大学」、おそらく日本で一番知られていない公立の大学である。付近の住民でさえ、その名を知らない人もいるくらいだ。 


<コンコン>

ドアを叩く音がした。

「どうぞ」

男は、パソコンを打ちながら上目づかいに入ってきた人物を見た。

白人の女だ。しかも、結構な美人だ。痩せてはいるが背の高い大柄な女だ。年の頃は三十代前半か。どことはなく彫の深さに棘とげしさがないところからは、おそらく東洋系の血も入っているのだろう。いずれにせよ、ロリコン気味のこの部屋の主には期待外れの部類に入る。ジーンズにピンクのタートルネックのセーターといういでたちも全く気に入らない。

「渡辺太郎教授ですね」

女は訊いた。

よどみのない流暢りゅうちょうな日本語だ。英会話が苦手な渡辺はとりあえず安心した。

「ああ,渡辺です」

返事が終わらないうちに、女はつかつかと大股で歩いてきてデスクの前に立った。そして、驚いて見上げる渡辺に一冊の雑誌を手渡した。

「ああ、助手志願の方ね」

渡辺は、両手を頭の後ろに回して椅子にもたれかかった。すでに断る理由を考え始めていた。世界各国で発行されている「ガリレオ」という二流の科学雑誌に論文を掲載したのだが、ついでに助手の募集広告も付け足しておいたのだ。幾人かはやって来たが、使い物にならないレベルだった。


注 : 一流科学誌ネイチャー、ニュートンなどには何度掲載依頼しても、相手にさ          

   れない。月刊ムーには何度かある。


「言っとくけど、私の研究は相当高度だよ。このガリレオに載せた論文をちゃんと理解してやってきたんだろうね」

渡辺は、女の差し出した科学専門誌ガリレオを指さしながら言った。

「ええ、もちろんです。久々に読み応えのある論文でしたわ。まあ、出来はかなりいい方ですけど、間違いが三か所ありましたね。惜しい、97点! とりあえず、一応、訂正はしておきました」

女は,そう言うと、渡辺の論文の掲載ページを開いて見せた。そこには三か所、赤のボールペンで囲った部分あった。わざわざ横に正しい数式が書かれてある。

「あっ!…」

渡辺は、思わず声を上げてしまった。そして、女の顔をまじまじと見た。

「気にしなくてもいいんですよ。誰にでも間違いはありますから」

女はそう言うと、渡辺を見てにっこり笑った。

からだもでかいが、態度もでかい、でかい手に、でかい足、小さいのは胸くらいだ、好みのタイプの対極に位置すると言っても過言ではない。

「……」

しばらくの沈黙があった。

「…で、あんた、どこのどういうお方かな? そんで、私にどんな御用件で? てっきり、助手志願の方だと思ってたんだけどね」

渡辺が訊くと、

「申し遅れました。わたくし、こういう者でございます。一応、助手志願です」

女は、ハンドバックから名刺を差し出した。そこには、


   The University of MIT

  Dept. Physics

Full Professor Doctor PI


Julie・N・Washington


と書かれてあった。


翻訳すると、

マサチューセッツ州工科大学

    物理学科

     教授、物理学博士、主席研究員

      

      ジュリー・N・ワシントン 

 である。


「正確には、その肩書は先月までのものですけど。元を付けておいてください。ミドルネームのNは、祖父のイニシャルを付けて貰ってね。祖父が日系人でしたので、日本にやって来たのは感慨深いわね」

女は、そう言うと、勧められもしないのに勝手にソファーに座って足を組み、渡辺を見ると胸にかかったブロンドの髪を肩の後ろに戻した。

「日本語が流暢だってそういうことか。日本人のNってことか」

渡辺はそう云うと、納得したようだった。

「あまり知らないようね。科学以外は」

女は、ミドルネームの知識も無いような渡辺にあきれている。

「MITの主席研究員、教授!」

渡辺は名刺を見ながら息を飲んだ。

この男、貧乏な育ちが災いしてか、権威というものを憎みながら権威に弱い。ついでに金と女にも弱い。博打はさらに弱い。

「決定!」

渡辺は叫んだ。

「何が決定?」

女は聞いた。

「もちろん、助手採用だよ」

「…………」

「元とはいえ、MITの主任研究員、物理学科教授がなんでこんな二流大学の教授の助手なのよ。考えてもごらんなさい。百歩譲って共同研究者よ」

女は言い放った。

確かに女の言っている方が正しい。理にかなっている。しかし、助手募集にやって来たのは女の方だ。ここは譲れない。

「ま、いいわ。助手ということで」

女は、あっさり折れた。拍子抜けだ。

「この二流大学、教授の空きがないようね。助手の席が一つ。あたしも生活あるから当面の収入必要だし、子供もいるしね、助手ということだったオーライ、ノープロブレム」

「子供がいるのか?」

「そうよ、カレンって名前。六歳の女の子、この春から小学校一年生,もうむちゃくちゃ可愛いのよ。部屋の外に待たせているの」

「外に…外は寒いじゃないか、風邪でもひいたらどうするんだ。早く入れてやれよ」

「そう、じゃあ、お言葉に甘えて」

女は、ドアを開けると 

「カレン、入ってらっしゃい。ママたちお話終わったから」

と言って、子供を招き入れた。

「カレンです。初めまして、よろしくお願いします」

女の子は、渡辺にたどたどしい日本語で挨拶すると、ぺコンとお辞儀をした。


“ この女、日本流のしつけもちゃんとやってるじゃないか、見かけによらんワイ ”

渡辺は感心した。


「一応、身分照会とか、細かな手続きあるから、5月の連休明けからということになるけど、いいかな?」

渡辺は、確認をした。

「いいですよ。住むとこも探さないといけないし,色々準備もあるし、その方が都合がいいわ」

女はそう言うと、思い出したように、、

「あっ、そーだ。日本って、住むとこ借りるのに保証人なんてのが要るらしいわね。お願い、なって頂戴」

「えっ!…、まあ、いいけど………」

渡辺は、断る理由もなく承知した。

しかし、初対面の人間に保証人を依頼するとは。外国人だという事を差し引いても図々しいにも程がある。

「じゃあ、またね、グッバイ、シーユーアゲイン」   

女がカレンの手を引いて帰ろうとした時、渡辺は先程から少々気になっていたことを尋ねた。

「ワシントンって名前だけど、まさかとは思うけど、あのマネーシー多次元構造理論のマネーシー博士の右腕と言われているワシントン博士とは違うだろうね?」

ジュリー・N・ワシントンは振り向いて答えた。

「右腕だって? そんなこと言われてんの。知らなかったわ。ちょっと癪に障るわね。一応、言っとくけど、私が胴体で、彼はせいぜい左足の小指の爪ってとこよ。それがどうか?」

「………」

渡辺は無言で見送るほかなかった。

 

(えらいことになった。まさか、あの、ワシントンが………)

 

MIT150年の歴史で、最も優秀な成績で卒業し、創設以来の天才と呼ばれているワシントン博士については渡辺も耳にはしたことがあった。MITのそうそうたる研究者が、分野を問わず、その論文を発表する前に最終チェックを依頼する人物だという噂も聞いたことがある。だが、女だったとは知らなかった。てっきり男とばかり思っていたので、すぐには気付かなかったのだ。気付いていれば、丁重に断ったはずだ。あんなのに来られたら、こっちの立場がない。誰がどう見ても、あっちが教授でこっちが助手だ。だがもう遅い。後の祭りだ。今更断るのも勇気がいる。

ワシントンと聞けば、世界史の教科書に出てくる頭に変なヅラをのせたアメリカ初代大統領の肖像画しか思い浮かべない自分を反省するしかない。


「ついでにもう一つお願いがあるんだけど」

MIT創設以来の天才がドアを半開きにして顔をのぞかせている。女はまた戻って来た。

「なんだよ」

「カレンの事だけど、彼女、ピアノ習ってるのよ。ショパン、リスト以来の天才なんて言われちゃってて、オッホホホ…、日本でも続けさせたいんだけど、どなたかいい先生いたら紹介してくださらない」

ショパン、リスト以来の天才とは……、誰かに煽てられたのだろうが、親馬鹿にも程がある。

「ピアノの先生か…、一人知ってるよ。隣の町の武蔵野台総合芸術大学のピアノ科の教授だ。ミッキー初音はつねって名の男で、少々変わってるけど実力は大したものらしいぜ、紹介状でも書こうか。言っとくけどな、個人レッスン料は高いらしいぞ」 

「それはなにより、是非にもお願いしますわ」

渡辺はその場で紹介状を書いた。

二人は紹介状を手に喜び勇んで帰って行った。

ミッキー初音、本名は初音幹夫はつねみきお、渡辺とは飲み友達である。ピチピチの皮パンにフレアの付いたピンクのシャツ、髪は三つ編みにしてリボンを付け、ダリのような尖った髭をはやしている。気合の入ったオネェキャラだ。

「フッフッフッ…、びっくりするだろうな」

独り言を言うと、ほくそ笑んだ。

それに、ワンレッスン30万円と言う法外なレッスン料、払えるわけ無いだろう。

   



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