壱ノ二 戦後直後にまで遡る歴史

第05匙 昭和二十三年、マルチルーツ・ストーリー:お茶の水、大勝軒(B02)

 木曜の夜、用事を終えた書き手は、東池袋から九段下へと急ぎ向かった。

 目的地である「お茶の水、大勝軒」の閉店時刻が〈二十一時〉だったからである。


 急いだ書き手は、二十時半頃に目的地に到着できたので、かねてから狙っていたメニューたる「復刻版もりカレー」と「ライス」を注文した。

 これまで、様々なカレー提供店を巡ってきた結果、汁物にはご飯というのが、カレー汁を余す事なく味わう事ができる最適解だと書き手は考えているのだ。


 だが、今回は食べ方を少し変えてみた。

 

 これまで書き手は、麺を食べ切った後に、残った汁にご飯を入れて、おじやのようにしてきたのだが、この日は、米に汁を十分に染み込ませるために、うどんに手を付ける前に、先にご飯を入れたのだ。

 

 この食べ方は〈ほぼ〉正解だったのだが、先に米を汁に入れてしまったので、結果、カレー汁にうどんをつける余地が浅くなってしまったので、今後、この方法論を採用するのならば、ある程度、先に入れるべきご飯の量を調整しないと、〈盛られ〉うどんになってしまうので、注意が必要となろう。


 さて、この「お茶の水、大勝軒」、『神田カレーグランプリ』における実績が途轍もなく凄まじくて、例えば、「復刻版カレー」で、第六回が「準グランプリ」を、翌・第七回で「グランプリ」を、そして、「ドライキーマカレー」で、第九回は「準グランプリ」と「神田カレーマイスター賞」を受賞しているのだ。

 ちなみに、「お茶の水、大勝軒」の「復刻版カレー」と「スパイシードライキーマ」は、『S&B』から発売されている「神田カレーグランプリ」というレトルトカレーのシリーズの中に入っている。


 さてさて、『神田カレー街食べ歩きスタンプラリー」に参加しているのならば、「復刻版カレーライス」か「ドライキーマ」こそを注文すべきであるようにも思えるのだが、それでもやはり、この日の書き手は、「特製もりそば」をカレー汁につける、「もりカレー」を注文した。

 「復刻版カレー」や「ドライキーマ」が美味いのは間違いないとしても、大勝軒では、その伝統のメニューである「特製もりそば」こそを食べたい、という願望を抱いていたからである。


 そう、「大勝軒」は、そのルーツを戦後直後にまで求める事ができる店なのだ。

 そして、「大勝軒」の歴史は、店のホームページによって、その概要を知る事ができる。


 「大勝軒」の前身は、昭和二十三年、一九四八年に荻窪で開業した、長野のそば職人、青木勝治氏が開業した〈中華そば〉店、「丸長」だそうだ。

 丸長のラーメンの特徴は、ラーメンに日本そばの技法を取り入れた点と、スープに、かつお節などの魚介系の食材を使用した点であるらしい。

 やがて、「丸長」の創業メンバーが独立し、「丸信」「栄楽」、そして「栄龍軒」を開業したそうだ。


 その「丸長」の創業メンバーの一人であった、坂口正安氏も、戦前は、そば職人だったらしいのだが、まず「丸長」で、後に「栄楽」で働いていた。そして、この時期に、いとこの子の山岸一雄氏を「栄楽」で修業させ、やがて、昭和二十六年、一九五一年に、独立し、中野で店を始めた。

 この店は、「大きく軒並みに勝る」という意味を込めて、「大勝軒」と名付けられた、との事である。


 後に、坂口氏は、昭和二十九年、一九五四年に、代々木上原に二軒目を開業し、その際に代々木上原を本店、中野を支店とし、山岸一雄氏に中野店の店長を任せたそうだ。


 そして、昭和三十年、一九五五年に、冷たい麺を温かいスープで割った汁につけて食べる〈つけ麺〉が商品として店に出される事になった。

 ちなみに、日本そばを〈もりそば〉と呼ぶので、これに対して、中華版の〈つけそば〉である「大勝軒」の品は、「特製もりそば」と名付けられた、との事である。


 やがて、昭和三十六年、一九六一年に、山岸氏は、「大勝軒」最初の暖簾分け店を〈東池袋〉に出し、その東池袋の店で、件の「特製もりそば」は看板メニューとなったそうだ。

 それ以後、山岸氏の弟子たちの多くが、暖簾分けを許された、と言う。


 そして、その中に、「お茶の水、大勝軒」の店主である〈田内川真介〉氏もいて、山岸氏監修の下、平成十八年、二〇〇六年九月に開業したのが「お茶の水、大勝軒」なのだ。

 ちなみに、「東池袋大勝軒」は、都市の再開発などのせいで、平成十九年、二〇〇七年三月に閉店したそうである。

 とまれかくまれ、「お茶の水、大勝軒」の直接的なルーツは、「東池袋大勝軒」だと言えるだろう。

 実は、この日、「お茶の水、大勝軒」に向かう前の書き手の用事は〈東池袋〉で催されたのだが、この日、東池袋から「お茶の水、大勝軒」に向かった事に何某かの縁を感じないではいられない書き手であった。


 さて、神田カレーグランプリを席捲している「お茶の水、大勝軒」は、二〇〇六年の開業なのだが、そのルーツを辿ってゆくと、〈一九六一年〉の「東池袋大勝軒」、〈一九五四年〉の「大勝軒 中野支店」、〈一九五一年〉の「中野大勝軒」、そして、〈一九四八年〉の「丸長」の開業と、幾つもの起点を持つ店なので、どの時点に「お茶の水、大勝軒」の出発点を求めるのか、明確な答えを出すのは難しそうに、「大勝軒の歴史」を読んでいた書き手には思えていた。


 だがしかし、である。

 この「大勝軒の歴史」のページの最後に、「大勝軒」の伝統の山岸一雄氏が守りたかった味とは、「『丸長』の味を受け継ぐ『栄楽」で学んだ伝統の味、そして『中野大勝軒』で坂口氏と作り上げた『大勝軒』本来の味」と書かれていたのだ。


 この箇所に書き手は非常に感銘を受けた。


 この言説を知った今、「お茶の水、大勝軒」のルーツを、〈一九四八年〉、昭和二十三年の「丸長」に求めてもよいのではなかろうか。


〈訪問データ〉

 お茶の水、大勝軒BRANCHING:九段下エリア

 B02

 八月三日・木・二十時半

 復刻版もりカレー(一一〇〇)、ライス(二〇〇):一三〇〇円(QR)

 『北斗の拳』カード:No.08「リン&バット」


〈参考資料〉 

 「お茶の水、大勝軒BRANCHING」、『神田カレー街 公式ガイドブック 2023』、五十四ページ。

〈WEB〉

 「神田カレーグランプリ」、『S&B』、二〇二三年八月九日閲覧。

 「過去の結果・受賞店」、『神田カレーグランプリ』、二〇二三年八月九日閲覧。

 「お品書き」「大勝軒の歴史」、『お茶の水、大勝軒』、二〇二三年八月九日閲覧。

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