第9話 ひとりペアキャンプ

 夜を迎える前にすべきことはたくさんあった。

 火を起こすことも重要だが、それ以上に食糧確保の問題だ。

 食糧など先ほどの野獣の肉を焼けばいいと思うかもしれない。

 それはその通りで実際、彼の食料はそれで十分だった。

 だが、の方はそれではいけない。

 今の弱った身体ではとても、あんな油ぎって固そうな獣肉は受け付けないだろう。

 だから、火起こしの燃料になりそうな乾いた枝などと一緒に、食用に適した果実などがないか探さねばならない。

 この草原はとにかく京一郎の背丈を超えるような木が少ない。

 あの大木だけが例外と言っていいくらいだ。

 しかし、よく見れば草むらに隠れて低木がところどころに生えていた。

 木の実をつけているものはなかったが、枯れて乾ききったものを運よく見つけることができた。

 それを先ほど作った石包丁で根本から叩き伐ると、その枝を折って細めの丸太材とし、白衣の左ポケットから溢れるほど束ねて詰め込む。

「これで燃料はヨシ!だな」

 あとは食料。

 脳内の彼女の知識を借りれば、この草原には地球でいうところの野苺に相当するものが生えているらしい。

 嗅覚の優れた彼女達、獣人族にとってはその匂いをたどれば探すのはそんなに難しく無いようだ。

 その匂いの記憶は僅かに酸味を想起させるものだ。

「嗅覚の強化を行う必要があるな」

 京一郎は自分の鼻粘膜を改造し、空気中分子の捕集能力と嗅覚神経の分解能を引き上げた。

 そして強化した嗅覚で得られたデータはその方角別に脳内で分析し、目的の果実の場所を視覚的に表示する。

 目的の匂いの方向が一目両全になった。

 鼻だけよりも視覚を利用するほうがこういった探し物は有効なのだ。

 彼は匂いの強い場所から順番に草むらを探っていく。

 やがて、太陽が地平線に触れ空が茜色と濃紺に分かれたころには、白衣の右ポケット一杯に小さな果実をかき集めることが出来た。

 京一郎はためしにその一つをつまんで口の中に放り込んでみた。

「……」

 京一郎は押し黙ったまま、ただただ強く眉をしかめた。

 強い酸味とそこそこの渋み、甘さはやや、いやかなり控えめといったところ。

 正直、美味と言えるものではなかった。

「路地物や天然種がハウス生産の農業品種に勝てるはずがないということか」

 やはり文明は偉大だ。

 店で売られている農産物は長い長い品種改良と生産技術向上の賜物である。

 普段は意識しないが、農家の人々には心底感謝するべきだと、あらためて実感する。

 さて戻ろう。

 危険な野獣がまた襲ってくるとも限らない。


 ******


「プモーッ!」

 大木の元に返ってきた京一郎の見たものは、病に臥せっている少女の腹の上で、あの丸いトンチキ動物が吠えている光景だった。

 京一郎は唖然としながらも、落ち着いた歩みでそれに近づくと後ろから両手で捕まえ、昼間のように高く持ち上げる。

「プモォーッ!プモッ!プモォッ!」

 あの時のようにまた短い脚を空中でばたつかせて暴れる肉玉。

 しかし、やはり全く意味をなさない。

「ほんと、お前は何をしたいんだ……」

 背丈の低い動物の上に乗っかりたい本能でもあるのか。

 しかし、体表を見るにところどころ怪我が目立つ。

 おそらく昼間と同じ個体なのだろう。

 あの時は気絶しただけで死んだわけでなかったらしい。

 相変わらずその無駄な抵抗をする姿が哀れすぎるので、やはり今度も地面にゆっくりと置いて開放してやる。

 だが、地面に放されたそれはゆっくりとこちらを振り返ると、なにか恨めしそうな目でこちらを見上げてくる。

「なんだ、逃げないのか」

 逃げる以上に執着するものが京一郎にあるのか。

 ふと思いつき、先ほど拾ってきた小さな果実を何粒かその目の前に置いてみる。

「プモォ~」

 耳をバタつかせながら、嬉しそうに一目散にそれにむしゃぶりついている。

 予感的中である。

「まぁ、草食動物にとっては栄養価的にはごちそうだろうしな」

 あっという間に果実を平らげると、おかわりを要求するように京一郎の足元に縋り寄ってくる。

「これ以上はやらんぞ、彼女の分が無くなるからな」

「プ、プモォ……」

 こちらの意図を察したのか、しなしなと耳を垂らし、落ち込んだトーンでさめざめと鳴く肉玉。

「全く……」

 こんなのは放っておいて、火起こしの準備にかかろう。

 白衣の左ポケットにありったけ詰め込んできた木材を取りだして全て地面に無造作に置くと、その中から一番太い丸木と、多少の力では折れなさそうな枝を一つずつ選ぶ。

 石包丁を使って太い丸木は真っ二つに縦に割り、枝の方は先を鉛筆のように削って尖らせる。

 その時に削り落とした木くずもまとめておく。

 後で使うからだ。

 丸木の断面に石包丁で木目と直行するような傷を何本も細かくつける。

 途中、肉玉が白衣のポケットに近づいてきたので、蹴飛ばしておく。

 さて、京一郎は金やすりのように傷をつけた丸木を大木の根っこを使って傾斜をつけて寝かせておき、その丸木をしっかりと跨って固定した。

 両手には尖らせた枝を握りしめたら、その先端を全体重をかけて勢いよく丸木の断面で滑らせた。

 ギリッっと高い木材の擦過音を立てながら枝の先端が削れ、熱を持って少し焦げる。

 素早く何度も上から下に力を込めて擦り続けると、そのうち先端から煙が上がり始めた。

 それを見て、直ぐに山盛りに積んだ木くずの中に焦げた先端を突っ込み、強く息を送ると、木くずに枝の火が移り、炎が大きく上がり始めた。

 乾いた細い枝を細い方からその炎にくべて、しっかりと山型の安定した焚き火へと組みあげた。

 動物の本能的に火を見てビビったのか、肉玉は寝ている少女の陰に引きこもってしまった。

 それでも遠くまで逃げ去っていかないのは獣らしからぬあさましさ故か。

 額に浮いた汗を白衣の袖で拭う。

 あと一息だ。

 大木の枝に茂っている葉っぱを見上げる。

 この木は手のひらと同じくらい大きな葉を持っていた。

 それを数枚採取し、次の準備に移る。

 広げた葉の上に取ってきた小さな果実をこぼれないように移すと、その葉っぱで果実を完全に包み込み、それを焚き火の近くに置いた。

 葉が焦げない程度の距離を保っておくのがポイントだ。

 しばらくすれば木の実がいい感じに蒸されるだろう。

 彼女の記憶によれば、この果実は一度過熱する事で酸味が抜けて甘みが増すらしい。

 葉の蒸気が上にあがり、風に乗って爽やかな匂いが鼻をかすめる。

 だが、時間が経つと蒸気も抜けきって甘く香ばしい匂いが漂ってきた。

「よい頃合いだな」

 葉の包みを焚き火から引き離し、その中身を広げてみる。

 やや硬かった果実は、完全に熟したように柔らかく蒸しあがった。

 これなら弱った彼女でも食べやすいだろう。

 別の葉っぱを器代わりに、寝ている少女の元にそれを運んでいく。

 彼女の傍らに潜んでいたトンチキ肉玉が丸い頭をひょっこり現わしてこちらを見上げてくるが、京一郎はここ一番の睨みを聞かせて無言で威嚇する。

 それに恐れた奴は慌てて頭を引っ込めた。

 かすかに開いた少女の口元のすぐ真上で蒸れた果実を指でつぶし、果汁を滴らせて彼女の口に含ませた。

 唇の間を染みこむように吸われていくのを確認すると、他の果実も次々に絞っていく。

 やがて、彼女が校内に溜まった果汁を嚥下したようで、咽喉が動くのが見えた。

 むせていなければ大丈夫だ。

 体力が低下しているのだから、とにかく彼女にはカロリーが必要なのだ。

 片手一杯蒸した果実を絞り切って、無意識ながら彼女はそれをすべて飲んでくれた。

 あとは寝て回復を待つしかない。

 白衣を脱いで毛布代わりに彼女に掛ける。

「おい、これでよければやるぞ」

 果汁の搾りかすをごそっと彼女のそばにいる肉玉の前に置いてやる。

 人間には残飯だが、草食動物にはこれでもまだ可食部だらけだ。

 肉玉は搾りかすの匂いをフンフンと嗅いで問題がないとわかると、むしゃむしゃと食べ始めた。

 けっこういけるらしく、耳をバタつかせノリノリで食べている。

 だが、すこし食べ過ぎたらしい。

 ただでさえ丸々とした体が、はち切れそうなほどパンパンになっている。

 お腹が張って満足に歩けなくなったそれは少女の隣までごろごろ転がると、そのままいびきを上げて寝てしまった。

「私の白衣を汚すんじゃないぞ……」

 少女と動物が並んで寝ているその光景に京一郎はなにかほっこりするものを感じ、それに背を向けて火の番をするために移動した。

 夜が明けるまでは火を焚き続けなければいけない。

 野獣がまた近づいてきても困るのだ。

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