いつかあなたとこねた小麦粉

第13話 パン屋ができる前の花

 ――これは、今より三十年ほど前、クランチバックスがまだ地球に来てない頃、OVENが設立するよりすこし昔のお話。


「ウェーッ。もう稽古なんて行きたないーっ」


 暖かな日射しに煌めく田んぼの中の一本道。そのど真ん中でぐずるのは幼き日の九条忍。


「でも、発表会週末やで。お稽古しとかんと、本番で恥かくで」


 九条よりすこし年が上くらいの品のいい少年、朝霧湊が九条の肩を優しく叩いてなだめている。


「……ほな、もうサボろかな。どーせ恥かくんやったら、最初から出ぇへん方がマシやんか……」


「でも、出てみて、うまくいったら嬉しいやろ?」


「うまくいったらな!」


 そう言って口先を尖らせる九条に朝霧は困ったように笑った。


 しばらくすると、赤い鳥居が見えてきた。境内には、二人の子どもの姿。一人は、しゃんと背筋を伸ばした少女。黒髪を後ろで綺麗に束ね、手に木刀を握っている。もう一人は、神楽鈴を手にし、無言で舞う白髪の少年。

 少女の方が、九条と朝霧に気づく。


「……遅ーい!何時やと思ってんの」


「おはよー。もう始まってたん?」


「まだ。てか、百回振り終わるまでに来なかったら、置いてくって言ったよね?もう二百本終わったんやけど」


「えー、そんなこと言ってへん!」


「言ったやん。昨日の朝ごはんのとき」


「ふふふ。そんなこと言って、葵ちゃんはいつも二人のこと気にかけてるし、優しいよね」


 白髪の少年は、九条と少女――宝生葵のやりとりにクスクス笑って言った。「うるさい」と言ってすこし顔を赤らめる宝生と、キョトンとしている九条。朝霧も呆れるように微笑んだ。


「おっ、みんな揃ったんか?」


 境内の影から細身の男性が顔を出す。髪は黒いが、白髪の少年とよく似た顔をしていた。


「お父さん!」


 白髪の少年、伊吹蓮の明るい声が響く。


「こら、蓮。お稽古んときは『伊吹先生』って呼ばなあかんって言ってるやろ」


 伊吹翔。蓮の父であり、四人に「霊子」のことを教える先生でもある。


「……はい、伊吹先生」

 父であり、師である彼の言葉に、素直にうなずく伊吹蓮。


「よーし。じゃあ、始めよっか。――忍、今日こそちゃんと型決めなさいよ。本番、また泣いたら承知しないから」


「はぁ?それは宝生やろ。本番なると手ぇ震えて、口上噛むやんけ」


「なっ……あ、あれは……そう、冷房が寒すぎたの!」


「うんうん、寒い中がんばったね」


「もーっ、湊まで私のことバカにするー」


 風が吹く。桜の枝がわずかに揺れ、花びらが舞い落ちる。伊吹蓮の口元がすこし緩んだ。

「今日は僕も負けへんからね」


 今や「御三家」と呼ばれる家に生まれた子どもたち。これは彼らの穏やかでささやかな日々。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る