第4話 濁り湯ミルキーウェイ
「はぁー、
任務帰り。九条は小声で呟いて背筋を伸ばす。防火霊装のロックを解除しても、身体の芯はまだ熱を帯びていた。
「え。まさか先輩またお風呂サボってたんですか?えぇー、今回は何日ぶりですか?」
「……3日や」
「うわー、きーたないんだ、きたないんだー!」
軽口を叩きながら、いつも行くスーパー銭湯へ向かう二人。
「……ちっ。こんなところで何やってんだよ」
二人が振り向くと、仁王立ちをしている同僚、柊雅人。
「お、柊くんやん。奇遇やなぁ~。キミもお風呂か。どや、背中の流しあいっこするか」
「なんでだよ、男同士で。しかもお前らなんかとするかよ」
「いや、先輩の背中流しテク最高なんすよ。一緒に流されましょうよ」
「……ふん」
呆れたように言いつつも、彼はきっちり畳まれたタオルをぽいっと九条に投げてよこす。
「ふふふ、キミたちは相変わらずだね」
「朝霧室長!」
ズンズン歩き去る柊を横目に微笑みながら現れたのは朝霧湊。大人びた中学生にしか見えないが、九条よりすこし年上で、九条たちの直属の上司だ。
「今日は残業じゃないんですか?」
「あぁ。残りは宝生本部長が引き継いでくれてね」
「あー。葵、いや宝生さんが」
何とも複雑な顔をする九条に、朝霧はくすっと微笑んでから耳元で囁いた。
「ホントは彼女もここのところ、銭湯へ行きたがっていたんだけどね。キミに会ったことを言ったら、怒られちゃうかな」
耳を朱く染めて振り返る九条。それを尻目に、朝霧は飄々とした様子で先に暖簾をくぐる。
「先輩って、いつも朝霧室長にイジられてますよね」
「幼馴染みやねん。いろいろ世話にもなってるしな、頭上がらんねん」
――湯気立ち込める浴場。桶の音と、お湯の流れる音が心地よく響く。
「ほぁー。つかれたぁー」
湯に浸かるなり、声をもらす高城。天井を仰ぎ顔をぬぐうと、なぜか目の奥がじんと熱くなった。
「仕事は慣れたか」
「柊さん!先輩に背中流してもらいました?」
「要らねぇって言ってんだろ」
気だるげに言った柊は、深いため息をつき、うつむいた。
「……お前さぁ、どうしてこの仕事を選んだんだ?」
「え?」
「公務員で、給料もいいからか?」
「そうっすね。まぁ、しんどいことはしたくありませんし」
「はは、今日も大変だったんだろ?聞いたぜ」
「あー、まぁそんなんですけどねー。
それでも、先輩がちゃんと守ってくれるんで」
「……」
一瞬の沈黙のあと、バシンと柊の手が頭に落ちた。
「いてっ!?」
「……九条と仲良くしろよ」
「どうかしたん?アレ、柊くんあがるん?
待っててな、コーヒー牛乳は一緒に飲もや」
タオルを頭に巻き直しながら、湯船に入ろうとする九条。彼と入れ違いで、もうひとり湯船を出る人がいた。
その人物とすれ違う瞬間、なぜか九条は懐かしい匂いを感じた。――どこで嗅いだのだったか。それはいつかの遠い記憶、優しくあたたかい――
「――っ?!」
我に返った九条が振り向いたときには、もうその影はすでにいなかった。
一方、浴場を後にしたその人物も脱衣所で困惑していた。
(懐かしい。……懐かしい?いや、そんなわけはない。俺には、懐かしむような昔の記憶なんてないのだから)
胸にあたたかなざわつきを抱きながら、彼は静かにその場を去った。
「……」
それを遠巻きに見ていた朝霧は、ただ黙って目を細めていた。
「……いい湯だったな」
誰ともなくつぶやく朝霧。朱く火照った彼の頬を風が優しく撫でる。
その時、バタバタとロビーに響く音が――。
「ふわぁ〜、極楽ぅ~♪
……ふんふふーん♪天才少女〜♪ふんふふーん♪
あっ、朝霧室長〜!おつですぅ」
女湯から出てきたのはOVENの科学班、三好風葉。霊装に搭載している補助AIはすべて彼女によるもの。OVENを支える若き天才である。
白衣の代わりにバスローブを着て、片手には瓶のコーヒー牛乳。視線のやりどころに困って、ドギマギしている高城や柊には気づかず、パタパタと顔を手で仰いでいた。
「研究室、ブレーカ落ちて冷房止まってさ~、あっつくて死ぬかと思ったぁ~」
コーヒー牛乳を飲もうとした彼女。手が滑らせる。
「あ」
パリンと音を立てて瓶が割れ、三好は膝から崩れ落ちた。
「おい、大丈夫か」
「大丈夫です。……でも。
ウワァーッ!なけなしの500円で買ったのにぃ〜。もうダメだぁ〜。今月もこれから雑草生活なのにぃ〜」
なぜかいつも貧乏生活をしている三好。どうやら残り僅かな食費を削って買ったコーヒー牛乳だったらしい。
「うぅ〜、せめてせめて、味だけでもぉ〜」
「アカンって。こぼれたミルクは還らへんって、昔の人も言ってるんやから」
「そうだよ、ガラス危ないから。怪我するから」
「お前はいつも、もう。ほら、タオル貸せ」
せめて、床にこぼれたものを舐めようと這いつくばる九条と高城を見て、柊もため息をつきつつ腰をあげる。
「ははは、もう三好ちゃんももう泣かないで。今夜は僕がみんなにコーヒー牛乳おごってあげるからさ」
「ひゅー、さすが朝霧室長!先輩はあんまりおごってくれないんすよ」
「はぁー?お昼ご飯はよくおごってあげてるやんか」
「でも、定食の野菜はほとんど先輩が食べてるし」
「お前が食べれへんって、皿に入れてくるからやろが!」
ロビーに響く賑やかな声。
「他のお客さんに迷惑だから、もうちょっと静かに――」
そう言いかけた朝霧は銭湯の店長と目が合った。肩をすくめて、優しく微笑む彼は寂しげな目をしていた。
朝霧は軽く会釈して、口をつぐんだ。彼ら以外の客はいない。窓辺に立った朝霧は、耳を澄まして夜空を見上げる。瞬く星は静まり返り、何の音も聞こえなかった。
本部の執務室。クールな視線で報告書をめくる宝生葵。
ブブブっと携帯端末が通知を知らせる。朝霧からだった。仕事ではなくプライベートのチャットアプリ。そこには、ただ一枚の写真が送られていた。
銭湯だろうか。濡れ髪の九条、コーヒー牛乳を片手に笑う高城、そして……ちらっと写り込む朝霧たち。
静かに端末を閉じて、立ち上がる葵。カーテンをめくると、空には天の川が輝いていた。まるで宝石の欠片をこぼしたように。
「へぇ……ふぅん。そう。みんなで、……行ったんや」
そして、ぽつり。
「……あたしも誘えや、あほ」
誰もいない部屋で、少しだけ寂しげな声が響く。
ただ、すぐに彼女はいつもの無表情に戻って再び机に向かった。うっすら開いたままの窓ガラスには、彼女の後ろ姿が映っていた。
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