第122.7話 ヴィルヘルミナの独白 その拾弐【後編】

「シンクローが傷心ですってぇ?」


 疑わしそうな口調のクリス。


 頭から信用していないようだ。


 ヘスラッハ卿も続く。


「サイトー様を慰めるって……。あの人ってそんな玉ですか? そりゃカロリーネさんから恨まれるかもしれないですけど、慰めないといけないほど傷心だなんて、全然想像が出来ませんよ?」


 クリスが「そうだそうだ」と何度も頷く。


 私も同感だ。


 ヤチヨ殿はシンクローへの好意が高じた余り、少々――いや、かなり評価がおかしいのではないだろうか?


 だが、私達の反応を見たヤチヨ殿は気分を害した様子もなく、「くすくす」と笑った。


「ああ、これは申し訳ござりませぬ。若は他人から恨まれた程度で気落ちなさる御方ではございませぬよ? 恨まれようとも、すべてお引き受けなさるおつもりで、マルバッハ男爵父子を刑にかけたのですから」


「えぇ? それじゃあ、何に傷心するって言うのぉ?」


「カロリーネ様の境遇に、でござります」


「カロリーネさんですか? でも……」


「そうそう! 処刑したのってぇ、シンクローじゃない!」


「法度破りを許す訳には参りませぬ。カロリーネ様が不憫だからと甘い顔をすることは出来ませぬ」


「それはそうかもしれなけどぉ……」


「カロリーネさんの境遇に心を痛めてるんですよね? じゃあ、何が不憫だって思っているんですか?」


「父君と兄君が、カロリーナ様の真心を踏みにじったことに、でござります」


 私は「ハッ」とした。


 マルバッハ男爵父子のはりつけにばかり心が奪われてしまっていたが、よく考えてみれば、カロリーネは二人を説得しているはずなのだ。


 身代金を支払えば捕虜の身から解放されると……。


 親子揃って一からやり直すことも提案したに違いない。


 彼女の様子からして、真剣で真摯な説得だったはずだ。


 マルバッハ男爵父子の逃亡は、二人の命を救おうとするカロリーネの真心を踏みにじる行為に他ならない。


 男爵らからしてみれば、カロリーネの行為こそ裏切りと映ったのかもしれない。


 だが、彼らは負けたのだ。


 完膚なきまでに負けて、捕虜になったのだ。


 どんな扱われ方をしても文句を言える権利はない。


 戦の直後に釜茹でにされたブルームハルト子爵やモーザー、そしてミドリ殿やカサンドラとの戦いを強要された者達の末路を思えば、命を救われる分だけはるかにマシ。


 莫大な身代金の代償に領地を失うだろうが、命があれば男爵家を立て直せる可能性も皆無ではない。


 事実、カロリーネはサイトー家に仕官した。


 男爵本人はともかくとして、嫡男たるカロリーネの兄が何処かに仕官できる可能性もあっただろう。


 しかし、帝国有数の大貴族たるレムスタール公爵家の血筋が、他家へ仕官することを不名誉とみなしたのかもしれない。


 自分の命を救おうと奔走した娘への答えは、処刑の約束された無謀な逃亡劇だった。


「カロリーネ様は二重に苦しんでおられます。一つは父君と兄君の命をお救い出来なかったこと。もう一つは、父君と兄君にご自身の真心を蔑ろになされてしまったことにござります」


「シンクローに恨みを向ければ、一つ目の苦しみには遣り場もあるかもしれないな。でも、二つ目の苦しみには……」


「遣り場がござりません。苦しみの遣り場がなければ、それがまた新たな苦しみを生みましょう。カロリーネ様の身の上に、心を痛めぬ訳には参りませぬ」


「それで慰める……か……」


「分かっていただけましたか?」


「シンクローってぇ、結構繊細なのねぇ……」


「豪傑って感じの人じゃありませんけど、それでも細かいことに悩むなんて無縁の人かと思っていましたよ」


「若はあまり表に出されませんので……」


「何に心を痛めてるかってのは分かりましたけど、でもそれってヤチヨさんがしないといけないことなんですか? ヤチヨさんはサイトー家の侍女、なんですよね?」


「ちっちっち! 甘いわよぉ? ドロテアちゃん?」


「えっ!? な、何ですか!?」


「辺境伯家に関係する人なら知る人ぞ知るお話なんだけどぉ……、ヤチヨちゃんとシンクローがそれなりに良い仲なのは公然の事実だったりするのよぉ?」


「はっ!? そ、そうなんですか!? で、でもっ! サイトー様は領地があるんですよね!? 帝国なら爵位持ちの貴族ですよ!? 貴族の跡継ぎと侍女って……!」


「侍女って言ってもヤチヨちゃんはモチヅキ様の妹だしねぇ」


「それでもですよ! 身分違いの恋には違いないし……! あの人どれだけ私達を驚かせるんですか!? 早速姫様達に報告を――――!」


「お待ちくださいませ」


「止めても無駄ですよ! こんな面白案件、報告しなかったら私が姫様に捻り殺されます!」


「いえ、報告なさるのは結構なのですが、若とわたくしは恋仲ではありませんよ?」


「はい!?」


「御本妻がお迎えになられた後、頃合を見てお迎えいただくとお約束下さっただけなのです」


「第二夫人じゃないですか!」


「ちょっとヤチヨちゃん! 何が『恋仲ではありません』よぉ! 膝枕で耳掻きなんてねんごろな真似をしてたんでしょ!? ねぇ!? ヴィルヘルミナ!?」


「へっ!?」


「前に見たんでしょ!?」


「あ? ああ……。たしかに膝枕で耳掻きしていたな……」


「すっごく懇ろな雰囲気だったんでしょ!?」


「懇ろではない……とは言えない雰囲気だった気がする……」


「ほらぁ!」


「懇ろな雰囲気で膝枕耳掻き!? それって恋人同士のやることですよ! そうじゃなきゃ甘ったるい新婚夫婦です!」


 大騒ぎのクリスとヘスラッハ卿。


 ヤチヨ殿は不思議そうに「取り立てて申すお話ではありませんよ?」と首を傾げるが、「じゃあ何が特別だって言うんだ」と言い返される。


「これはぁ、どうやって『慰める』のかぁ、俄然気になるわねぇ?」


「ですね! さあ、教えて下さい、ヤチヨさん! どうやって慰めるつもりだったんです?」


と、話すまで逃がさないと言わんばなりの勢いだ。


 私は「二人とも、あまり立ち入ったことを尋ねては……」と止めに入ろうとしたが、途中で言葉を呑み込んだ。


 品がないことだと分かってはいるが、私もヤチヨ殿が何をするつもりだったか、気になって仕方がなかったのだ。


 と、その時、ヤチヨ殿と目が合った。


 スッと目を細めるヤチヨ殿。


 口の端がわずかに上がる。


 まるで「うふふふ……。獲物が見つかりました……」と言われているようでならない。


「止め――――」


「――――そうですね。話してもようございましょう」


 私が止めに入る前に、ヤチヨ殿は口を開いてしまう。


 とっさに「もうこれ以上は――――」と言いかけるが、クリスとヘスラッハ卿にあっさり口を塞がれてしまった。


 二人の目が「黙って聞きなさい!」と強く訴える。


「――――大したことはござりません。若のお側に控え、一言申しあげるのでござります。『八千代はここにおります』と……」


「そ、それでぇ?」


「その後はどうなるんですか!?」


 勢い込む二人に、ヤチヨ殿は「落ち着け」と言いたげに首を振った。


「何も致しません。そのまま二人で、ただ静かに時を過ごすのです。そっと手を握って下さることもござりますけれど……。何も贅沢は申しません。時が経つのを忘れ、二人で心穏やかに過ごすことが、八千代にはこの上なき幸せにござります」


「うへぇ……。聞いた? 聞きましたか? ドロテアちゃん!」


「聞きましたよ! 何年連れ添った熟年夫婦ですか!? この人達十代でしょう!? 本当に十代なんですか!?」


「よねぇ!? 十代ならもっと他に色々と……あるでしょお!?」


「他に? そうでございますね……。抱き寄せて下さることもござりますよ?」


「「おおっ!」」


「若はわたくしを膝の上に座らせ、肩を抱き、手を引き寄せ、指を絡ませ、髪に顔を埋めて仰るのです。『其方そなたの香りは心が安らぐ』と……」


「「それからっ!?」」


「……そこまで、でござりますね」


「ええええええっ!? そんな寸止めみたいな終わり方ありぃ!?」


「こ、この人達……熟年夫婦すぎでしょう? 心が通じて満たされればそれで良いってことなんですか?」


「口吸い致してみようかとしたこともあるのですが――」


「クチスイ?」


「それってまさか――」


「異界の言葉で『きす』でしたか?」


 クリスとヘスラッハ卿がハイタッチした。


 とても嬉しいらしい。


「でも、そこから先は本当に何もござりませんよ?」


「こ、ここまで来ておきながらぁ!?」


「どうしてなんですっ!?」


「若が仰るのです。『この先は歯止めがきかぬ』と……」


「「…………」」


「わたくしは生娘でござりますと、クリス様には申し上げたことがあったかと思いますが?」


 ガックリするクリスとヘスラッハ卿に微笑しつつ言うヤチヨ殿。


 そう言われてみれば、そんな話を聞かされたような気がする……。


「そうだったけぇ……? はあ……。良かったねぇ、ヴィルヘルミナ……」


「どうして私が出てくる!」


「シンクローはまだ童貞だってぇ」


「だからどうして私に言うんだ!?」


「えっ!? ヴィ、ヴィルヘルミナ様もサイトー様のこと……!」


「そうそう。だってぇ、辺境伯様がシンクローと約束したんだよぉ? ヴィルヘルミナと結婚させるってぇ」


「そうなんですか!?」


「あ、あれは違う! あれはゲルトとカスパルを欺くための策の一つで――――」


「若は童貞ではありませぬよ?」


「「「――――はい?」」」


 唐突に、その場の何もかもを破壊する特大の爆発物がヤチヨ殿によって投げ入れられた。


 私は口がパクパク動くのみで、声を一切発することが出来なくなった。


 たっぷりと長い沈黙を挟み、クリスがようやく声を出した。


「……………………あ、あのぉ、それって……本当?」


「真にござります」


「で、でもぉ……ヤチヨちゃんじゃない……んだよねぇ?」


「違いまする。指南役がお相手を務めたのでござります」


「『シナンヤク』?」


「若は御本妻をお迎えしておりませぬが、縁組の話がなかった訳ではござりませぬ。故に、いつその時が来ても差し障りのなきように、家中から口固く信の置ける者を選び出し、若に手ほどき致したのでござります。文字通り、手取り足取り……」


「「「…………」」」


「本当はわたくしがお相手致したかったのでござりますが、何分経験のない生娘ではお役に立てませぬ。泣く泣く諦めたのです」


「……その話を知っているってことはぁ、相手が誰だったかもぉ……知ってるのぉ?」


「わたくしも存じている方にござります」


「も、もしかして、アタシ達……も?」


「どうでしょう? 何処かですれ違っているやも知れませぬね?」


「「「…………」」」


「指南を務めた者から聞かされた話にござりますが、若はとてもお上手だったそうですよ?」


「「「…………は?」」」


「とても初めて致したお方とは思えなんだそうにござります。心地良さのあまり、気を失いそうになったとか。手ほどきするつもりが、手ほどきされてしまったと、赤面しておられました」


 ヤチヨ殿は心の底から楽しそうな表情を浮かべ「クスクス」と笑った。

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